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龍皇昇

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龍皇昇
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龍皇 昇(りゅうおう のぼる、1983年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋に所属していた元大相撲力士。本名はエレヘムーオチル・サンチルボルドモンゴル語キリル文字表記:Эрхэм-Очирын Санчирболдラテン文字転写Erkhem-Ochiryn Sanchirbold)、愛称はサンチル。身長176cm、体重156kg、血液型はAB型、趣味はパソコン。得意手は突き、押し。最高位は西前頭8枚目(2007年7月場所)。

概要 龍皇 昇, 基礎情報 ...
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来歴

姉が日本に留学しており旭鷲山を知っていたことから宮城野部屋を紹介され[1]、ウランバートル市立第77高校を3年生で中退して1999年10月に来日し、2000年3月場所において初土俵を踏んだ。順調に出世して、2002年11月場所に幕下昇進を果たした。その後一気に幕下上位まで昇進したが、2003年11月場所の場所前の稽古で拳を負傷してしまい、その11月場所を全休して幕下下位まで陥落した。以降は幕下上位まで番付を戻したものの一進一退が続き、1年入門が遅い同部屋所属の白鵬に番付で大きく水をあけられてしまった。

2006年3月場所にそれまでの自己最高位となる西幕下3枚目の位置で4勝3敗と勝ち越し、翌5月場所でも西幕下筆頭の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において新十両へ昇進した。モンゴル出身では10人目、外国人では16人目の関取である。2007年3月場所に東十両3枚目の位置で9勝6敗と勝ち越しを決め、翌5月場所において新入幕を果たした。

新入幕となった2007年5月場所では序盤から好調で11日目に勝ち越しを決めて、勝利すれば敢闘賞が決定していた千秋楽で敗れたために三賞受賞は逃したものの、10勝5敗という好成績を挙げた。翌7月場所では5勝10敗と振るわず、続く9月場所でも3勝12敗と大敗し、翌11月場所では十両へ陥落した。2008年3月場所において再入幕を果たしたものの、その3月場所でも5勝10敗と大敗して、翌5月場所では再び十両へ陥落した。その後も調子が上がらず、同年11月場所では西十両11枚目の位置で4勝11敗と大敗し、翌2009年1月場所において幕下へ陥落した。以降は関取に戻ることはなく、三段目に陥落していた2013年7月場所13日目に現役引退を表明した。同年9月1日に両国国技館において断髪式が行われた。今後は妻子と共にアメリカへ移住して英語を学び、将来的には母国で法律関係の職に就く意向を示していた[2]

その後は同期入門で、同じく白鵬の付け人だった元幕下・光法(2代)の近藤将大が代表取締役を務める株式会社オフィスコンジョーのスタッフとして、白鵬のマネジャーを務める傍らで、宮城野部屋のコーチとしても活動していた。

2023年9月1日、東京の錦糸町で「ちゃんこDining龍」を開店させた[3]が、2024年6月30日で閉店し、その後は拠点を故郷のモンゴルに移して「THUNA restaurant」をオープンさせた。

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取り口

多彩な技で勝負するモンゴル出身力士が多い中では珍しく、本人は突き押しを得意としていた。新入幕を果たした2007年5月場所の大相撲中継の新入幕インタビューでも「モンゴル出身ですが、押し相撲です」と自己紹介した。

エピソード

幕内では白鵬の横綱土俵入り露払いを務めていた。2007年6月1日に明治神宮で行われた白鵬の新横綱奉納土俵入りでも露払いを務めた。

同部屋の弟弟子である白鵬が順調に番付を上げて行く一方で自らは低迷していた時は、「どうして同じ物を食べているのに…」と思っていた。稽古場でも白鵬に歯が立たなくなり、悔しさのあまりに稽古場の羽目板を強打して負傷したりもしている。しかし両者は私生活では非常に仲が良く、稽古が終わってからもよくボウリングやカラオケに行っていたという。誕生日も同じ3月11日(龍皇は白鵬の2歳年上)で、白鵬が結婚するまでは宮城野部屋ではいつも両者の誕生日パーティーを同時に開いていた。

師匠である宮城野親方(元幕内・竹葉山)は、自身が年寄・15代熊ヶ谷を襲名していた当時に著した著書『白鵬 「山」を越える男』(主婦と生活社、2010年)において、「もし宮城野部屋に龍皇がいなかったら、白鵬はモンゴルへ帰っていたかもしれない」と龍皇に対して深い感謝の意を表している。白鵬も「龍皇は僕の恩人ですよ。妻以上に何でも相談できる心強い兄弟子です。彼がいなかったら、マジで横綱になってなかったかもしれないね」と語り、2013年7月場所の優勝インタビューでも引退する龍皇について話していた。龍皇の断髪式における会見では涙を流して「寂しい。(龍皇は)ライバルであり友人だった。(龍皇がいなかったら)私はここにいない」と龍皇への深い感謝の意を表した。また、龍皇の断髪式の後に宮城野親方と白鵬はこれまでの感謝の意を込めて、2007年5月場所に敢闘賞の候補に挙がりながらも受賞を逃していた本人に対して手製の三賞トロフィーを授与している。

2010年9月場所11日目(2010年9月22日)において、白鵬の付け人を務める龍皇が、白鵬が待機している東支度部屋から反対側の西支度部屋へ往来していたことが判明し、日本相撲協会は翌9月23日に龍皇および(当時の)師匠の11代宮城野(元十両・金親)と15代熊ヶ谷(当時)の両親方に対して厳重注意を行った。力士や付け人が東西の支度部屋を往来することは八百長などの誤解を招きかねないとして禁止されている。龍皇は「猛虎浪関と食事の予定があり、携帯電話がつながらなかったので西支度部屋に行って話をした」と説明し、「(往来禁止は)知らなかった。反省している」と話した[4]。白鵬からも「何してるんだ!」と注意されたという。

略歴

  • 2000年3月場所 - 初土俵
  • 2006年7月場所 - 新十両
  • 2007年5月場所 - 新入幕
  • 2013年7月場所 - 引退

主な成績

通算成績

  • 通算成績:340勝322敗11休 勝率.514
  • 幕内成績:23勝37敗 勝率.383
  • 十両成績:81勝84敗 勝率.491
  • 現役在位:80場所
  • 幕内在位:4場所
  • 十両在位:11場所

場所別成績

さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...

幕内対戦成績

さらに見る 力士名, 勝数 ...
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改名歴

  • 龍皇 昇(りゅうおう のぼる)2000年3月場所 - 2013年7月場所
部屋の岩崎マネージャー(元幕下・岩海)が、港龍にちなんだ皇龍を考えた後で語呂が良い「龍皇」にし、下の名は昇龍のようにと「昇」と名付けた。

脚注

関連項目

外部リンク

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