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1967年の東京オリオンズ
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1967年の東京オリオンズでは、1967年シーズンの東京オリオンズの動向についてまとめる。
この年の東京オリオンズは、戸倉勝城が監督に就任したが、チーム戦術について、オーナーと意見対立して解任され、シーズン終盤を濃人渉が監督を務めたシーズンである。
概要
この年から縦縞を廃止するなど、ロサンゼルス・ドジャースをイメージしたユニフォームに変更した。
だが依然として貧弱打線のために低迷、4月25日には坂井勝二投手がノーヒットノーランを続けながらチームは打てず、延長戦で負けるという醜態。その頃セ・リーグでは、中日ドラゴンズ(西沢道夫→近藤貞雄代行)、サンケイアトムズ(飯田徳治→中原宏代行)、大洋ホエールズ(三原脩→別当薫代行)と、3球団で監督途中交代が相次ぎ、その影響はオリオンズまで響き、いったん戸倉監督が休養→濃人ヘッドコーチが代行→戸倉監督復帰するもやがて解任→濃人監督就任と、めまぐるしく監督が替わった。
その後も低迷は続き、近鉄バファローズとの最終2戦に連敗すれば史上初の最下位となる状態へ。結果は連勝して辛くも最下位は免れたものの、これでようやく永田雅一オーナーは「守りの野球」がダメだった事が分かり、翌1968年からはジョージ・アルトマンとアルト・ロペスの2外国人を入団して打線を強化し、1970年の優勝につながっていった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 西田孝之 |
---|---|---|
2 | 二 | 石黒和弘 |
3 | 一 | 榎本喜八 |
4 | 右 | 井石礼司 |
5 | 三 | 前田益穂 |
6 | 左 | 森徹 |
7 | 捕 | 醍醐猛夫 |
8 | 遊 | 山崎裕之 |
9 | 投 | 小山正明 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 75 | 55 | 4 | .577 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 66 | 64 | 10 | .508 | 9.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 65 | 65 | 4 | .500 | 10.0 |
4位 | 南海ホークス | 64 | 66 | 3 | .492 | 11.0 |
5位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 7 | .469 | 14.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 59 | 71 | 2 | .454 | 16.0 |
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オールスターゲーム1967
→詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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