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1973年の阪急ブレーブス
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1973年の阪急ブレーブスでは、1973年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の11年目のシーズンである。
概要
1969年の黒い霧事件以降、人気が低迷するパ・リーグは2シーズン制を導入。前年まで2連覇のチームは優勝候補の本命と言われたが、投手陣の不調もあって開幕ダッシュに失敗。6月に入って巻き返したものの、南海やロッテをとらえることはできず前期は3位で終了。後期は開幕後から快進撃が始まり、特に前期優勝の南海相手に同一カードで12連勝(1分挟む)するなど、貯金24を稼いで優勝。プレーオフでは投打ともに一枚上の阪急が有利と言われ、最終戦までもつれ込むもその最終戦でエースの山田久志が終盤に広瀬叔功に本塁打を浴びるなどして2点を失う。9回裏に代打の切り札当銀秀崇がすぐに本塁打でお返しするも、もう一人の代打・高井保弘が江本孟紀の前に空振り三振。結局、前期を制した南海に2勝3敗で敗れパ・リーグ3連覇はならなかった。投手陣は足立光宏が年齢からくる衰えを隠せず4勝に終わったものの、山田と米田哲也がともに15勝をあげるなど好調で、水谷孝が12勝、前年ローテ入りの戸田善紀が負け越しながらも防御率3点台に食い込み、チーム防御率も3.30でリーグ1位。打撃陣は前年106盗塁の福本豊をはじめ、2番の大熊忠義、4番の長池徳士などもそれなりの成績を残し打率・本塁打でリーグ1位となった。シーズン終了後、西本監督は小林公平オーナー代行に辞表を提出し11年間の監督生活に別れを告げた。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 福本豊 |
---|---|---|
2 | 二 | 住友平 |
3 | 一 | 高井保弘[注 1] |
4 | 右 | 長池徳士 |
5 | 三 | 森本潔 |
6 | 左 | 大熊忠義 |
7 | 遊 | 大橋穣 |
8 | 捕 | 種茂雅之 |
9 | 投 | 足立光宏 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 38 | 26 | 1 | .594 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 35 | 27 | 3 | .565 | 2.0 |
3位 | 阪急ブレーブス | 34 | 29 | 2 | .540 | 3.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 32 | 30 | 3 | .516 | 5.0 |
5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 25 | 37 | 3 | .403 | 12.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 23 | 38 | 4 | .377 | 13.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 43 | 19 | 3 | .694 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 35 | 22 | 8 | .614 | 5.5 |
3位 | 南海ホークス | 30 | 32 | 3 | .484 | 13.0 |
3位 | 日拓ホームフライヤーズ | 30 | 32 | 3 | .484 | 13.0 |
5位 | 太平洋クラブライオンズ | 27 | 34 | 4 | .443 | 15.5 |
6位 | 近鉄バファローズ | 19 | 45 | 1 | .297 | 25.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 77 | 48 | 5 | .616 | -9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 70 | 49 | 11 | .588 | -5.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 59 | 64 | 7 | .480 | 7.5 |
5位 | 日拓ホームフライヤーズ | 55 | 69 | 6 | .444 | 12.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 42 | 83 | 5 | .336 | 25.5 |
*優勝はプレーオフで決定。3位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
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オールスターゲーム1973
→詳細は「1973年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1973年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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