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1992年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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1992年のオールスターゲームは、1992年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
![]() | PJ:BASE#NPBポストシーズンに準じた対応をとるべき記事であるため、ランニングスコアの記載等ご遠慮ください。(2022年5月) |
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試合概要
前年、日本選手権シリーズ2連覇を達成した西武ライオンズの森祇晶監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率い、セ・リーグを制した広島東洋カープの山本浩二監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率いた1992年のオールスターゲーム。夏季オリンピック開催年3試合制が初めて適用された球宴となった。3試合目が地方開催になったのもこのときからであり、オールスターで投手が打順に入った最後の年である(翌年のオールスター以降では両リーグともに全試合指名打者制度を採用したため。DH解除は除く)。
第1戦は全パの下位打線、6番石井浩郎(近鉄)、7番田辺徳雄(西武)、8番佐々木誠(ダイエー)[1]の3連続本塁打が飛び出しまず1勝を挙げる。続く第2戦は古田敦也(ヤクルト)が、初回先頭打者として三塁打を放つと3回に単打、5回に本塁打、そして9回二塁打を記録しオールスター史上初めてサイクル安打を達成、文句なしのMVPに輝いた。初の地方開催となった第3戦は「杜の都」仙台に場所を移して開催された。8回まで0点に抑え込まれていた全セは8回表一気に4点挙げ逆転。9回裏には地元宮城県で大学まで過ごした横浜大洋ホエールズの守護神・佐々木主浩が登板した。
オールスター史上初の地方開催となった第3戦、試合前には地元の郷土芸能「すずめ踊り」が披露されるなどした。しかし、当時の宮城球場(現:楽天モバイルパーク宮城)は公称で収容人数30,000人だったにもかかわらず、当時は東北地方を本拠地とする球団がなかったことも影響し、オールスター戦で満員の観客を集めても16,000人弱にしかならず、コロナウイルス感染症の影響で観客動員数の制限が行われた2021年に塗り替えられるまでオールスター最少観客動員数の記録だった。なお、全試合で実質観客数発表が行なわれるようになったのは2005年からである。また、同年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスによる球場の全面改修もあって、2022年には31,272人を収容できるようになった。
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選出選手
- 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
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試合結果
第1戦
オーダー
第2戦
オーダー
第3戦
オーダー
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
ラジオ中継
- 第1戦:7月18日
- 第2戦:7月19日
- 第3戦:7月21日
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脚注
関連項目
外部リンク
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