トップQs
タイムライン
チャット
視点
前原博之
ウィキペディアから
Remove ads
前原 博之(まえはら ひろゆき、1967年5月16日 - )は、岐阜県各務原市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
Remove ads
経歴
県立岐阜商業高校を経て、1985年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。1988年にアメリカ1A・セーラム・ドジャースに野球留学した。1989年に一軍デビューを果たし、代打と守備固めを中心とした起用が増えていった。
県立岐阜商業の先輩・高木守道が監督に就任した1992年、中日の世代交代期だったこともあり、長打力と強肩を売りにサードのレギュラーポジションを獲得。特に前半戦の活躍は目覚ましく、オールスターゲームにも出場した。同年は意外性のあるバッティングを発揮したが、守備面では悪送球が目立つなど19失策を記録している。
1995年オフ、村田勝喜・山野和明との交換トレードで、清水雅治とともに西武ライオンズに移籍。
しかし、移籍先の西武では出場機会を減らし、2000年限りで戦力外通告を受け退団した。
2001年から、社会人野球の昭和コンクリートで2年間兼任コーチとしてプレーした後、現役を引退した。その後しばらくは、昭和コンクリート工業で社業に就いていたが、2007年に退社。
その後は、アルファポイントスポーツマネジメントと契約し、岐阜・大垣・一宮中日文化センターで少年野球教室講師を務めた。プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersでもプレーした。
2009年5月、翌年度より発足する三重スリーアローズのコーチに就任することが発表された。2011年8月31日、一身上の都合により三重を退団した[1]。
2012年からは中日二軍内野守備走塁コーチを務める[2]。2013年、10月4日に球団から来季の契約を結ばない事が発表された[3]。
2014年より球団少年野球担当配属になり中日ドラゴンズジュニアチームの監督を務める。2015年大会ではチームを7年ぶりの優勝に導いた。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 56 (1986年 - 1994年、2011年)
- 9 (1995年)
- 39 (1996年 - 1997年)
- 59 (1998年 - 2000年)
- 85 (2012年 - 2013年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads