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1997年の西武ライオンズ
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1997年の西武ライオンズでは、1997年における西武ライオンズの動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、東尾修監督の3年目のシーズンであり、3年ぶり17度目(1994年以来)のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
1994年を最後に2シーズンに渡り優勝を逃したチームだが、シーズンオフに清原和博が巨人へFA移籍。打線は前年の後半に台頭した松井稼頭央・大友進・髙木大成と俊足の選手を上位に並べ、松井の62盗塁を筆頭に控え選手を含め二桁盗塁を記録した選手は7名を数え、チーム盗塁数は200個に到達した。主軸打者では前年8年目で28本塁打を記録した垣内哲也は3本塁打と不振に陥ったが、この年から4番に入った鈴木健が奮闘した。清原の穴埋めとして入団したドミンゴ・マルティネスと佐々木誠までの4番から6番がいずれも打率.300以上を記録するなど、チーム打率、得点数はリーグ1位。
投手陣では、先発では沢村賞を獲得した西口文也を中心に、リリーフから転向した潮崎哲也、この年台頭した豊田清、抑えとして頭角を現した石井貴の4人が二桁勝利を記録した。リリーフ陣はリーグ最多登板の橋本武広に加え、後半からはこのシーズン前に横浜から移籍してきたデニー友利、石井に代わって抑えを務めたルーキーの森慎二が頭角を現した。
ペナントレースは6月終了時点でオリックスに4.5ゲーム差をつけられていたが、7月以降調子を上げていき、8月の直接対決に勝ち越して首位を奪取。その後も息切れしたオリックスとのゲーム差を広げ、優勝マジック1で迎えた10月3日のダイエー戦10回裏に、鈴木健のサヨナラホームランで3年ぶりの優勝を決めた。
日本シリーズは1993年以来4年ぶりにヤクルトとの対決となったが、国歌斉唱で西武の選手が整列しないのを見たヤクルトの野村克也監督から「昔の西武はそんなチームじゃなかった」と批判された。本拠西武球場での開幕をエース西口で落とした後、田辺徳雄のサヨナラ打で第2戦を取り返して1勝1敗としたが、敵地神宮での第3戦以降は豊田の故障離脱による不在の影響で先発投手不足に陥り、松井・大友ら俊足選手もヤクルトバッテリーに封じられ1勝4敗で敗退し、1993年のリベンジはならなかった。
7月10日の近鉄戦、9回表無死一、二塁の西武攻撃の場面で、奈良原浩が牽制でタッチアウトになり、そのジャッジに怒った奈良原は丹波幸一塁審に対して胸を突いたため退場となった。東尾が抗議し、丹波塁審が抗議を受けなかったことから、東尾が丹波の胸を突き退場を宣告されたことで、丹波を蹴るなどの暴力行為を行い、パ・リーグ関係者が仲裁に入る騒動になった。翌日に東尾は3試合の出場停止、罰金10万円の処分を受けた。東尾の出場停止期間はヘッドコーチの須藤豊が監督代行を務めた。
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チーム成績
要約
視点
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 76 | 56 | 3 | .576 | 優勝 |
2位 | オリックス・ブルーウェーブ | 71 | 61 | 3 | .538 | 5.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 68 | 63 | 4 | .519 | 7.5 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 63 | 71 | 1 | .470 | 14.0 |
4位 | 福岡ダイエーホークス | 63 | 71 | 1 | .470 | 14.0 |
6位 | 千葉ロッテマリーンズ | 57 | 76 | 2 | .429 | 19.5 |
日本シリーズ
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オールスターゲーム1997
→詳細は「1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
- 太字はファン投票による選出。
できごと
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選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 網掛けの選手は逆指名による入団
出典
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