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垣内哲也

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

垣内哲也
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垣内 哲也(かきうち てつや、1970年6月6日 - )は、和歌山県日高郡日高川町出身の元プロ野球選手外野手、右投右打)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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西武時代

日高高中津分校から、1988年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから3位指名を受け、契約金3000万円・年俸400万円(金額は推定)で捕手として入団[1]分校出身者(硬式)としてはプロ野球史上初の指名であった。強打・俊足の持ち主で、「秋山二世」、「和製大砲」と呼ばれる。

正捕手・伊東勤の存在で出場機会に恵まれなかったが、1990年にファームで頭角を現す。

1991年から強打を生かす為、外野手コンバートされた。イースタン・リーグで本塁打、打点の2冠を獲得した。

1993年には一軍定着を果たし、外野だけでなく捕手としての出場もあった。

1994年読売ジャイアンツとの日本シリーズでは槙原寛己に三振に打ち取られ最後の打者になっている。

1995年には初の開幕スタメンを勝ち取り5月終了までに2桁本塁打を放つなど本塁打王争いにも加わっていたが、6月に入ると他球団のマークがきつくなりだし不振に陥る。オールスターゲームにも出場したが調子が上がらず8月末には故障離脱でシーズンを終える。シーズンでは95試合の出場ながらこの年初の2桁となる14本塁打を放った。

1996年には左翼手としてレギュラーに定着し、自身唯一の年間規定打席に到達しキャリアハイの28本塁打を記録した。

1997年には清原和博FAで読売ジャイアンツへ移籍、その穴を埋める期待をされるも、スランプや右膝の故障で不振に終わる。

1999年、大砲として期されたアーキー・シアンフロッコグレッグ・ブロッサーら助っ人陣の大誤算と主軸の鈴木健が不振に喘ぐ中、チーム最多の15本塁打を放ち復活。9月15日のロッテ戦では、9回裏無死無走者の打席で礒恒之からサヨナラ本塁打を放った[2]。以後3年連続で2桁本塁打を記録。

2002年オフ、椎木匠との交換トレード千葉ロッテマリーンズへ移籍[3]

ロッテ時代

2004年9月11日、選手会のストが前日に回避されて行われた日本ハムとのプレーオフ戦で、1点を追う9回裏二死無走者で打席に入り三塁ゴロに倒れ、敗戦と思われたが、小笠原道大の失策で出塁し、後続の適時打で生還して延長戦に突入する。そして、同点のままで迎えた11回裏の打席で井場友和からサヨナラ本塁打を放った[4]

2005年にはプレーオフ最終戦でヒットを放つなど、出場機会は減ったが指名打者代打の切り札として活躍。

2006年には開幕一軍に名を連ねるも、4月には二軍落ち。10月2日にロッテから戦力外通告を受け、現役を引退[5]。3月26日のソフトバンク戦で三瀬幸司から放った3点本塁打が最後の安打・本塁打となった。イースタン・リーグの最終戦では4番で先発出場、これが花道となった。

現役引退後

六本木のステーキ店「シルクロード」の店長として勤務。ロッテのネットライブ中継の解説を2007年より原井和也の代わりにつとめることになった。

2007年からはプロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに所属。

2010年からは、落合博満が一軍監督を務めていた中日ドラゴンズで、打撃・外野守備走塁コーチを務めた[6]。しかし2011年限りで監督の落合らと共に退任した[7]

2012年から2013年までは、J SPORTSメジャーリーグ中継に解説者として出演した。

2013年末から落合がゼネラルマネジャーとして中日へ復帰したことを機に、2014年2月1日付で同球団のGM付関東地区担当調査役に就任、主にイースタン・リーグ視察を行った。その後2019年10月1日、同年限りで契約を満了し、翌年の契約を結ばないことが発表された[8]

2019年10月26日、2020年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務めることが発表された[9]。翌2021年は育成打撃コーチを務めた後[10]2022年は再び二軍打撃コーチを担当。同年10月14日、契約満了に伴い、同年限りで退任した[11]

2022年12月28日、台湾プロ野球富邦ガーディアンズ2023年シーズンからの打撃コーチに就任した[12]2024年限りで退団した。

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人物

素質は清原和博以上と言われ、和歌山出身なので「ミカンの大器」と言われた。一軍では通算110本塁打、ファームでも通算109本塁打を記録しており、一軍・ファーム双方で100本塁打以上を記録している唯一の選手である。ガンバレ日本プロ野球!?に出演した際にこのことを金村義明に報告したところ「プロ野球選手として一番自慢したらいかんことや」と冷静に突っ込まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 39(1989年 - 同年途中)
  • 63(1989年途中 - 1991年)[注 1]
  • 33(1992年 - 1994年開幕直前)
  • 12(1994年開幕直前 - 1998年)[注 2]
  • 55(1999年 - 2002年)
  • 38(2003年 - 2006年)
  • 81(2010年 - 2011年)
  • 94(2020年 - 2022年)
  • 72(2023年 - 2024年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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