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PlayStation 2のゲームタイトル一覧

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PlayStation 2のゲームタイトル一覧(プレイステーションツーのゲームタイトルいちらん)では、PlayStation 2対応として日本国内で発売した全2927タイトルのゲームソフトを発売順に列記する。

PlayStation 2
ゲームタイトル一覧
(日本)
2000 - 2001 - 2002
2003 - 2004 - 2005
2006 - 2007 - 2008
2009 - 2010 - 2011
2012 - 2013

特徴

要約
視点

PlayStation 2は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)からPlayStationの後継機として2000年3月4日に日本で発売され、『リッジレーサーV』など10作品がローンチタイトルとして発売された[1]。前世代機のPlayStationは世界初のリアルタイム3DCGに対応していたものの、グラフィックの粗さが課題となっていたため、PlayStation 2では独自開発したGPUグラフィックスシンセサイザー(GS)を搭載してグラフィックの質を向上させ、3DCGのゲームのすそ野を広げた[2]。具体的には、リアルなグラフィックを実現したり(例:『ファイナルファンタジーX[3][4]、『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君[5])、多数の敵を撃破する爽快感を演出する(例:『真・三國無双[6])、モーションキャプチャの導入(例:『鬼武者[7])といったことがあげられる。また、SCE作品からも『ラチェット&クランク』(2002年12月3日)[8]や『SIREN』(2003年11月6日発売)[9]といったヒット作も誕生した。

加えて、通信事業者によるPlayStation 2向けのオンラインサービス(例:マルチマッチング[10])や、携帯電話向けサービスiモードとの連携(例:『ギャロップレーサー5[11])など、ゲームとインターネットとの接続を模索する動きが出てきた。そして、2002年にはMMORPGファイナルファンタジーXI』がサービスを開始したことでこのジャンルが普及し[12]、以降も『信長の野望 Online』(2003年6月12日[13])や『モンスターハンター』(2004年3月11日[14])といったオンライン作品が相次いで登場した。

PlayStation 2においても遊びの拡張は続いていた。たとえば、2003年に発売された『オペレーターズサイド』は、音声認識機能を用いた作品としては珍しく、プレイヤーがオペレータとしてヒロインに指示を送るシステムが話題を呼んだ[15]。とはいえ、音声入力の内容に限りがあったことに加え、自然言語の認識率の低さとゲーム性にも影響を与え、遊びにくいと感じるプレイヤーもいたという[15]。このほかにも、カメラ型の入力機器EyeToyが発売された[16]

このようなPlayStation 2の持ち味を引き出すには高度な技術が必要とされており[注釈 1]、マルチプラットフォームタイトルにおいては他機種版よりもグラフィックが見劣りしてしまうことがあった[注釈 2][注釈 3]。また、ソフトの開発費用が前世代機であるPlayStationよりもさらに膨れ上がっており、持続可能な開発環境を守るために会社を他社へ売却した例もあった[20][注釈 5]

一方、他プラットフォームからの移植においては、移植元ハードとの差に苦労したり[注釈 6]、ハード性能の向上が思わぬ結果を招いたケースもあった[注釈 7]

また、PS2はソニー製ハードでPS1と同様にリージョンロック制度をゲームソフトにも採用していた最後のハードとなったことから、洋ゲーや輸入ソフトの流通量を制限し、大半のオンライン対応タイトルで海外の人とマッチングできない問題も生じたことから、PSPによってリージョンロックは撤廃されることとなる。ただし、PSP以降もPlayStation Storeで購入したDLCに関してはリージョンロックやディスク認証が必要になる。

日本のゲームは国外にも輸出されており、前述の『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』のように丁寧なローカライズによって成功を収めた作品[23]もあれば、『Mobile Light Force』シリーズ[注釈 8]のように無茶なローカライズによって現地のユーザーを遠ざけてしまった例もあった。逆に、日本国外の作品をローカライズするにあたって内容を差し替えたケース(例:『デストロイ オール ヒューマンズ![25][26])もあった。また、『サルゲッチュ2』のように輸出先の地域が多くローカライズに時間がかかってしまったケースもあった[27]

日本国外において、欧米では脱獄犯の生きざまを描いた『グランド・セフト・オートIII』(2001年10月22日)が、自由度の高さと暴力性ゆえに論争を巻き起こしつつもオープンワールドというジャンルを盛り上げるほどの人気を博し[28]、2003年には日本語版も発売された[29]。また、アメリカではスポーツゲームが人気を博していた[30]。一方、SCEの元社員である吉田修平によると、SCEとそのアメリカ法人はPlayStation 2への移行準備が不十分だったため、短期間での移行に悪戦苦闘したものの、MLBシリーズ英語版のように生き残れた作品もあったという[30][注釈 9]

韓国ではPlayStation 2用ソフトをパソコン向けに違法コピーしている販売業者が多かったが、2002年には正規の発売を実現した[31][32]

中国でも2003年にPlayStaiton 2が発売されたものの、青少年の健康を配慮するという目的で2000年に「電子ゲーム経営場所の整頓に関する意見」(关于开展电子游戏经营场所专项治理的意见)を発表する形で家庭用ゲーム機の販売を原則禁止にしたことが原因で宣伝ができなかったうえ、海賊版が横行し、販売地域も上海と広州に限られたため、数千台しか売れなかったという[33]。また、それ以外の地域でも海賊版が見つかり、正規品の販売元が注意喚起を行った例もあった[注釈 10]

その後、次世代機PlayStation 3と携帯機PlayStation Portableの登場に伴い、従来機PlayStation 2用の新規ソフトの発売は次第に減少していき[35]、やがて2012年には新規ソフトの発売が途絶え[35]、同年12月に本体の製造が終了となった直後の2013年3月に発売された追加ディスク『ファイナルファンタジーXI アドゥリンの魔境』が発売され、日本国内における事実上最後の新規ソフトとなった[36]。また、PlayStation 2全体においては、欧州のみで発売されたPro Evolution Soccer 2014[注釈 11]が最後となった[38]

2013年まで発売されたPlayStation 2用ソフトの一部は『新世紀エヴァンゲリオン2[39]や、『アーマード・コア3 サイレントライン』のように、PlayStation Portableに移植された上、ウイニングイレブンパワフルプロ野球のようにゲームエディターそのものをPSP版と流用したケースも存在。また、一部のソフトはPlayStation Plus[40]などのダウンロードサービスを通じて様々なプラットフォームに展開されており、『Jak X: Combat Racing[41]のようにオリジナル版が日本未発売の作品が日本向けに配信された例もあった。

その一方で、他機種への移植を想定せずに調整がなされていたため、中にはPlayStation 2から13年後に発売されたPlayStation 4であっても処理落ちするタイトルがあるなど、PlayStation 2の特殊性が移植やリマスターに影響を及ぼしたことが指摘された[42][注釈 12]。また、PlayStation 3の一部機種にはPlayStation 2との互換性が設けられていたものの、PlayStation 3本体のシステムソフトウェアのバージョンによっては不具合が出てしまう例もあった[注釈 13]。このほかにも、開発データの散逸(例:『トリガーハート エグゼリカ エンハンスド[46])が移植の障壁となることもあった。

2007年以前に発売されたゲームソフトについては以下の各項目を参照。なお、データは全て日本のもの。

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2008年(全149タイトル)

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2009年(全78タイトル)

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2010年(全40タイトル)

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2011年(全6タイトル)

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2012年(全0タイトル)

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2013年(全1タイトル)

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発売されなかったソフト

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脚注

参考文献

外部リンク

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