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京都市立明親小学校

京都府京都市にある小学校 ウィキペディアから

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京都市立明親小学校(きょうとしりつ めいしんしょうがっこう)は、京都府京都市伏見区淀池上町にある公立小学校

概要 京都市立明親小学校 Meishin elementary school, 過去の名称 ...

概要

万延元年(1860年)5月11日、淀藩の当時の藩主稲葉正邦が家老の松尾直在に創設させた藩校「明親館」を前身とし、学制発布にあたり「明親館」の校舎・教師を引き継ぐ形で、1872年明治5年)12月に設立された[1]

沿革

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通学区域

明親小学校の通学区域は、京都市の元学区(学区)淀学区に一致する[4]。 また、久世郡久御山町の大橋辺(うち、府道宇治淀線より東側)[5]の区域が、区域外通学の対象となっている[6]

関係者

淀学区

淀学区(よどがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市伏見区に位置する。明親小学校の通学区域と概ね合致する、京都市の地域自治の単位となる地域区分である。

淀学区の沿革

現在の淀学区の地域は、以下のような変遷を経ている。

近世の淀城下には、池上町、下津町、新町の城内3町と、納所町[注釈 1]、大下津町、水垂町の城外3町の6町があった[7]

かつての「島之内」にあたる城内3町および淀城内は、廃藩置県により明治4年(1871年)7 - 11月の淀県[注釈 2]を経て京都府に属し、その後1889年(明治22年)10月に池上町、下津町、新町により町村制に基づく久世郡淀町が発足した。(現在の淀本町淀池上町淀下津町淀新町淀川顔町淀木津町にあたる。)

城外3町のうち、桂川右岸にある大下津町、水垂町は、もともと各々大下津村、水垂村の一部であったが、明治4年(1871年)に紀伊郡から乙訓郡へ転属、1878年(明治11年)には、水垂町が水垂村に、大下津町が大下津村に併合され[9][10]、1889年(明治22年)10月に町村制施行により、水垂村、大下津村および水垂村に接する樋爪村が合併して、乙訓郡淀村が発足した。(現在の淀水垂町淀大下津町淀樋爪町にあたる。)

この乙訓郡淀村は、1936年昭和11年)2月に、久世郡淀町に編入された。(また、淀町は1935年(昭和10年)4月には、現在の淀美豆町淀際目町淀生津町にあたる綴喜郡美豆村を編入している。)その後、淀町が1957年(昭和32年)4月1日に京都市へ編入され、これらの地域は伏見区に所属することになった。

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[11]、淀学区の区域に設定されている国勢統計区(伏見区第8国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は8,327人、3,779世帯である。

地理

伏見区の南西部に位置する学区であり、北側は羽束師学区、東側は横大路学区と納所学区、南側は久世郡久御山町淀南学区、西側は長岡京市乙訓郡大山崎町に接する。面積は2.615平方キロメートルであり[注釈 4]、区域の中央部を桂川が横切り、両岸は宮前橋で結ばれる。

淀学区の通学区域

淀学区の通学区域は、現在全域について、小学校は京都市立明親小学校、中学校は京都市立大淀中学校となっている[4]

淀学区の町名

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通学区域が隣接している学校

周辺

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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