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平鹿町樽見内
秋田県横手市の地名 ウィキペディアから
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平鹿町樽見内(ひらかまちたるみない)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0104[3]。人口は706人、世帯数は224世帯(2020年10月1日現在)[1]。住居表示は全域で未実施[5]。旧平鹿郡平鹿町樽見内、旧平鹿郡雄物川町大字樽見内、旧平鹿郡里見村大字樽見内、旧平鹿郡樽見内村に概ね相当する。
地理
横手市の南西部[6]、平鹿地域の南西部に位置しており、水田中心の農村地帯である[2]。中央部を国道107号が東西に横断しており、その沿線の樽見内集落を中心に、小規模な集落が点在している[2]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[8]。
地名の由来
アイヌ語でオタは砂、ルは路を意味し、これを組み合わせたものが北海道の小樽の地名となったとされる[9]。同様に、オを除いた「タル」に「ミンナイ」を付したものが「樽見内」であり、砂の多い川端を意味する地名と推定されている[9]。また、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、砂地を流れる沢を意味する「オタルナイ」に由来するとある[6]。
小字
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[10]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[11]、横手市公表のオープンデータ[12]によれば、平鹿町樽見内の小字は以下の通りである。
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歴史
要約
視点
樽見内では、鎌倉時代の堀田Ⅰ・Ⅱ遺跡などが発掘調査されている。このうち、堀田Ⅰ遺跡からは集落跡の遺構が確認され、中国製の陶磁器(青磁)や、土坑墓から烏帽子が出土した[13][14]。年代測定の結果、烏帽子は1163年から1221年のもので、奥州藤原氏3代藤原秀衡から鎌倉幕府3代源実朝の時期に相当するとされる[13]。この埋葬者は当地を治めた領主階層に属していたと推定されている。烏帽子の出土例は全国でも30数件と少なく、秋田県内では初の例である[13]。秋田県では鎌倉時代の文献資料が乏しいため、この烏帽子の出土によって、平鹿町一帯に社会的に高位の人物が存在したことを示すものとされている[13]。
字古館には樽見内古館と称される中世の城館跡があり、周辺には堀田や宿尻、西ノ要害といった関連する地名が点在する[15]。
江戸時代には出羽国平鹿郡のうちであり、親郷浅舞郷の寄郷であった[6]。石高は『正保国絵図』および『元禄7郡絵図』では776石とあるが、これは東里・砂子田も含まれているという[6]。『享保黒印高帳』では村高1,240石余、当高1,103石余、『寛政村附帳』では831石余とある[6]。戸数は『享保郡邑記』で81軒、『秋田風土記』で80軒とある[6]。『六郡郡邑記』では枝郷に、中ノ在村、水里境村、柄内村、荒屋村、小豆田村、平清水村、古館村が見える[16]。菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、水里境村は薬師村へ改称し、荒屋村が廃村に、高畑村の新出が見える[16]。
町村制の施行により、1889年に樽見内村は里見村の一部となり、 1955年には雄物川町の一部となった。雄物川町への合併後、樽見内においては平鹿町への分町運動が勃発し[17]、1957年に平鹿町へと分町した[6]。
→詳細は「横手市の行政区域の変遷 § 雄物川町の成立と樽見内地区の分町」を参照
沿革
- 1872年(明治5年)2月 - 秋田県第14大区第6小区に属する[18]。
- 1873年(明治6年)7月 - 秋田県第6大区第5小区に属する[19]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、東里村・樽見内村・砂子田村・造山村が合併し、里見村となる[20]。樽見内村は里見村大字樽見内となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 沼館町・里見村・福地村・明治村の一部が合併し、雄物川町となる[21]。雄物川町大字樽見内となる。
- 1957年(昭和32年)6月20日 - 雄物川町大字樽見内の全域、大字砂子田・大字造山の各一部[2]が平鹿町に編入[21][22][23]。平鹿町大字樽見内となる。
- 1979年(昭和54年) - 浅舞公民館樽見内分館が開館[24]。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 〈旧〉横手市と平鹿町を含む平鹿郡5町2村が合併し、横手市となる[25]。横手市平鹿町樽見内となる。
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世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[31]。
交通
鉄道
道路
バス
- 相川野(横手・本荘線)
- 樽見内(横手・本荘線)
- 樽見内地蔵尊前(横手・本荘線)
- 古館(横手・本荘線)
- 横手市コミュニティバス[32]
- 砂子田(蛭野石成線)
- 小豆田(蛭野石成線)
施設
脚注
外部リンク
参考文献
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