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東和町米谷
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東和町米谷(とうわちょうまいや)は、宮城県登米市東和地区にある大字。旧登米郡米谷村と同郡楼台村、登米郡秋実村、登米郡米谷町、登米郡東和町米谷に相当する。登米郡郵便番号は987-0902[3]。
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概要
東和町米谷は、西部の宮城県道202号東和登米線と国道398号が交差する地域に集落が密集している。
- 県道202号沿いのようす(2011年7月)
- 国道398号沿い、旧七十七銀行米谷支店付近(2011年7月)
地理
東は本吉郡南三陸町入谷と、西は登米市中田町浅水と、北は東和町米川や東和町錦織と、南は登米町大字日根牛と接する。
河川
- 北上川
- 二股川
- 大関川
小字
デジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリの「宮城県町字マスターデータセット」(2024年8月13日時点)によれば、東和町米谷の小字は以下の通りである[6]。
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歴史
米谷地区における略年表。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により米谷村が誕生する[7]。
- 1872年(明治5年) - 米谷村と楼台村が合併し秋実村と仮称する[7]。
- 1873年(明治6年) - 米谷郵便取扱所が元町に設置される。下等小学校が東陽寺に開校[8]。
- 1875年(明治8年)北上川、佐沼川などの堤防が決壊し、大損害を被る[9]。 米谷村、錦織村、米川村が誕生する。
- 1876年(明治9年) - 川東7ケ村の区務所が設置される[10]。
- 1886年(明治19年) - 巡査駐在所が設置される[11]。
- 1889年(明治22年) - 上記3村が町村制を施行[7]。
- 1898年(明治31年) - 米谷農会が設立[12]。
- 1903年(明治36年) - 米谷村が町制を施行し米谷町となる[7][13]。
- 1905年(明治38年) - 米谷船橋が架かる[7]。
- 1914年(大正3年) - 電線が架設され、域内にはじめて電灯が灯る[14]。
- 1930年(昭和5年) - 米谷大橋が架かる[7]。
- 1943年(昭和18年) - 久美愛病院米谷分院(現在の登米市立米谷病院)が設置される[7]。
- 1947年(昭和22年) - 米谷中学校が開校[15]。
- 1948年(昭和23年) - 宮城県登米高等学校定時制課程米谷分校が開校。
- 1957年(昭和32年) - 米谷町と日高村が町村合併し、東和町が誕生[7][13]。それに伴い、米谷町は米谷となった。
- 2005年(平成17年) - 東和町が他の登米郡の町々、本吉郡津山町と合併し、登米市が誕生。米谷は東和町米谷となった[16][13]。
- 2008年(平成20年) - 新米谷大橋が架かる[17][18]。
施設
交通
鉄道
域内に鉄道駅はない。最寄駅は柳津駅(JR気仙沼線)が挙げられる。
ただし、仙北鉄道が廃止される1968年までは米谷駅が、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日までは志津川駅(JR気仙沼線)が最寄り駅であった。
道路
バス
学区
公立学校であれば、登米市立東和小学校および登米市立東和中学校に進学する。
脚注
参考文献
外部リンク
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