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1950年のアメリカのアニメーション映画 ウィキペディアから
『シンデレラ』(原題:Cinderella)は、1950年のアメリカ合衆国のミュージカル・ファンタジー映画。ウォルト・ディズニー・プロダクション製作によるアニメーション映画である。原作は、シャルル・ペローの童話『シンデレラ』。本国米国で1950年2月15日に公開された。
シンデレラ | |
---|---|
Cinderella | |
予告編 | |
監督 |
ウィルフレッド・ジャクソン ハミルトン・ラスク クライド・ジェロニミ |
脚本 |
ビル・ピート テッド・シアーズ ホーマー・ブライトマン ケン・アンダーソン アードマン・ペナー ウィンストン・ヒブラー ハリー・リーヴズ ジョー・リナルディ |
製作 |
ウォルト・ディズニー ロイ・O・ディズニー |
出演者 | 下記参照 |
撮影 | ボブ・ブロートン |
編集 | ドナルド・ハリデイ |
製作会社 | ウォルト・ディズニー・プロダクション |
配給 | RKO Radio Pictures |
公開 |
1950年2月15日 1952年3月7日 |
上映時間 | 75分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $2,900,000[1] |
興行収入 |
$271,732,564[1] $93,141,149[2] |
配給収入 | 1億2714万円[3] |
前作 | イカボードとトード氏 |
次作 |
シンデレラII(シンデレラシリーズ) ふしぎの国のアリス(ディズニー・クラシックス全般) |
日本初公開は、1952年3月7日。初公開から1974年再公開時までのタイトルは『シンデレラ姫』。
21世紀に入り、続編として『シンデレラII』(2002年)、『シンデレラIII 戻された時計の針』(2007年)がOVAで製作されており、またリメイクとして実写映画版も製作された。
また本作は、2018年にNational Film Registry(アメリカ国立フィルム登録簿)に登録された[4]。
原作はシャルル・ペロー童話の『シンデレラ』。ウォルト・ディズニーはこの映画の構想に27年もかけたという。1923年に企画を立案するも第二次世界大戦によるスタッフ不足の影響があり中断[5]。1944年に企画を再立案し終戦後の1945年に制作を開始。ウォルトはシンデレラのデザインを創るにあたって色々な資料を集め童話の挿画や少年少女のイメージにあわせる事にし、青い眼、ブロンドの髪、体重120ポンドに決めた。更に独自のシーンや演出を多数盛り込んでミュージカル作品に仕立てている。また馬のメジャーや犬のブルーノ、トレメイン夫人の飼い猫ルシファーなどの動物たちはディズニーオリジナルのキャラクターである。
5年の歳月をかけて、絵の数は150万枚。長編アニメーション映画としては、1942年公開の『バンビ』以来となった。
ディズニー社では『白雪姫』の公開以降、ヒット作は出ておらず、第二次世界大戦の終戦時には会社の負債額は約400万ドルを超え、(現在では名作と名高い)『ピノキオ』『バンビ』等もヒットには至らず、興行収入的には失敗が続いていた[6]。スタジオは経営危機に陥り、次の作品でヒットを出せなければディズニー社は先がない状況であった[6]。
そんな状況下でウォルトは「逆境にある少女の物語を…」と、満を持して制作に踏み切ったのが本作である。1950年、本作は公開されるや否や瞬く間に話題を呼び、念願の大ヒットとなった[5]。関連商品は飛ぶように売れ、挿入歌の『ビビディ・バビディ・ブー』が収録されたレコードは好評を得て、同曲はアカデミー歌曲賞にもノミネートされた。ウォルト自身、アニメという金脈を掘り当てたシンデレラ・ボーイだった[5]。
アメリカでのビデオ発売は1988年で[5]、前年ビデオ発売された『わんわん物語』の2倍以上の720万本を売る特大ヒットを記録し[5]、アメリカに於けるセルビデオ時代の幕を開けたといわれた[5]。日本でのビデオ発売は1992年10月21日(通常版5768円)[5]。
後にウォルトは、(ディズニーアニメーションで)一番好きな作品は『シンデレラ』だと答えている[7]。ウォルト自身もシンデレラ同様に逆境を乗り越えて夢を掴んだ人物であり、映画評論家のジョエル・シエゲルは「彼がシンデレラに惹かれたのは、ウォルト自身がシンデレラだったから」だと語っている[6]。
遠い昔。ある所にシンデレラという美しく優しい娘が立派な屋敷に住んでいた。母親を早くに亡くした後、父親は妻の分までシンデレラを大切に慈しみながら育てていたが、まだ幼い彼女の身を案じ、二度目の結婚相手として新しい母親のトレメイン夫人と、その連れ子である二人の義姉・アナスタシアとドリゼラを迎える。しかし父親が亡くなると継母は本性を表し、義理の娘であるシンデレラに辛くあたり、自分の二人の娘だけを可愛がるようになった。そして継母や義姉たちが財産を浪費したため、屋敷は荒れ果てていった。
シンデレラはわがままな上に意地っ張りで意地悪な三人にいつもいじめられては罵られ、ついには召使いとして扱われるようになり、毎日灰にまみれて朝から晩まで洗濯や掃除、雑巾がけ、皿洗い、食事の支度などを押しつけられ、屋敷の塔にある屋根裏部屋に住まわされてしまう。しかし、シンデレラはきっと幸せがやってくる、いつかは夢が叶うと信じ、明るさと希望を失わなかった。そんな彼女の味方は鼠のガスとジャックの仲間や小鳥達、馬のメジャーと犬のブルーノだった。
そんなある日のこと、お城の王子であるプリンス・チャーミングの花嫁選びを兼ねた帰国祝いの舞踏会を開くことになり、シンデレラの家にも招待状が届いた。義理の姉達は大はしゃぎし、自身も行きたいと願うシンデレラに継母は、全ての仕事を片付け、ドレスを用意できたら舞踏会に行ってもいいという。
シンデレラは亡くなった実の母のドレスを手直しして着ていこうとしたが、三人は仕事をわざと多く押しつけ、ドレスが出来上がらないようにした。そこで小鳥や鼠達は義姉達がいらないと言って捨てたサッシュやリボンを使い綺麗なドレスを作る。しかし、舞踏会に行かせまいとする継母の悪巧みによって、義姉達はシンデレラを自分達が捨てたものを盗んで使った泥棒だと勝手に決めつけ、ドレスをボロボロに破かれてしまう。シンデレラはショックのあまり父との思い出の噴水まで走って泣いていたところ、彼女を励ますように妖精の老婆、フェアリー・ゴッドマザーが現れた。彼女が魔法の呪文「ビビディ・バビディ・ブー」を唱えて杖を振ると、瞬く間にカボチャが馬車に、ブルーノとメジャーは立派な従者と御者に、鼠達が白馬に変わっていった。最後に杖を一振りすると、破かれたドレスは美しく輝くドレスに変わり、気が付くとシンデレラはガラスの靴も履いていた。「12時になったら魔法は解ける」という忠告を聞いた彼女は、カボチャの馬車に乗って王子のいる城に向かった。
その頃、城の舞踏会では王子が出席者たちにお目通りを兼ねた挨拶をしていたが、元々結婚するつもりなど毛頭ないためすっかり退屈してしまっていた。そしてドリゼラとアナスタシアの番になった時、偶然現れたシンデレラの美しさに目を奪われダンスを申し込む。そのまま二人は踊りながら会場を抜け出し、城の庭を巡りながら楽しいひと時を過ごすが、シンデレラは相手が王子だと気が付いていなかった。そして時計塔の鐘が12時を打った途端シンデレラは妖精との約束を思い出し、王子の制止を振り切って走り出した。途中階段で靴が片方脱げてしまうが、シンデレラは拾う暇もなく馬車に乗り城を飛び出す。その一連を見ていた大公は慌てて兵士に馬車を追わせるが、魔法が解けてしまったため元の破れた服に戻ったシンデレラに気がつかず走り去る。シンデレラは足に残っていた片方の靴を抱きしめながら「素敵な夢をありがとう」と、もうここにはいないフェアリー・ゴッドマザーに御礼を言った。
翌日、城は突然消えてしまった謎の娘の事で大騒ぎになっていた。そしてガラスの靴にピッタリ合う足の持ち主を正式に王子の花嫁として迎え入れると大々的に発表し、この話はシンデレラ達の屋敷にも届いていた。継母はこれがチャンスだと早々にドリゼラとアナスタシアをたたき起こし、シンデレラにも仕度を手伝うよう命令する。そこでようやくあの時の相手が王子だと知り驚くシンデレラ。そして浮かれながら歌を口ずさみ、部屋へ身なりを整えにいく。だが、継母はその歌声からあの時の娘がシンデレラだと見抜き、自分達の邪魔をさせないためにこっそり後をつけ、部屋に鍵を掛けて閉じ込めてしまった。しかし、一部始終を見ていたジャックとガスが義姉達が靴に悪戦苦闘するどさくさにまぎれて鍵を取り返し、途中ルシファーが立ちはだかるも、ブルーノの手助けによってシンデレラは無事脱出。諦めて帰ろうとした大公たちを引き止めさせた。しかし、またもや継母がわざと杖を出して使いを転ばせて邪魔をし、ガラスの靴は大公とシンデレラの目の前で粉々に砕けてしまった。大公はせっかくの手掛かりが消えてしまったと嘆くが、シンデレラが隠し持っていたもう片方を差し出したことで事なきを得た。もちろんガラスの靴はシンデレラの足にピッタリと合い、シンデレラは王子と結婚して幸せに暮らした。
役名 | 原語版声優 (俳優[10]) | 日本語吹き替え | |
---|---|---|---|
1961年公開版 | 1992年公開版 (追加収録部分) | ||
シンデレラ | アイリーン・ウッズ (ヘレーネ・スタンリー) | 富沢志満 歌:浜田尚子 | 鈴木より子 |
プリンス・チャーミング (王子) | ウィリアム・ピップス 歌:マイク・ダグラス (ジョン・フォンテイン[11]) |
友竹正則 | 風雅なおと |
トレメイン夫人 (継母) | エレノア・オードリー (エレノア・オードリー) | 北林谷栄 | 寺島信子 (谷育子) |
ドリゼラ・トレメイン | ローダ・ウィリアムズ (ローダ・ウィリアムズ) | 前沢奈緒子 | 藤田淑子 |
アナスタシア・トレメイン | ルシール・ブリス (ヘレーネ・スタンリー) | 依田緑 | 高乃麗 |
国王 (王様) | ルイス・ヴァン・ロッテン (ルイス・ヴァン・ロッテン) | 中村哲 | 富田耕生 |
大公 | 坊屋三郎 | 吉水慶 (鳥畑洋人) | |
フェアリー・ゴッドマザー (妖精のおばあさん) | ヴェルナ・フェルトン (クレア・デュブレイ) | 堀越節子 | 京田尚子 |
ジャック (ねずみ) | ジム・マクドナルド | 中村哲 | 山寺宏一 |
ガス (ねずみ) | 安西正弘 (田中英樹) | ||
ブルーノ (犬) | アール・キーン[12] | 原語版流用 | |
ルシファー (猫) | ジューン・フォーレイ | ||
パーラ (ねずみ) | ルシル・ウィリアムス | ||
スージー (ねずみ) | ジューン・サリヴァン | 川村万梨阿 | |
郵便屋 | ドン・バークレー (ドン・バークレー) | 茶風林 | |
大臣 | 糸博 | ||
その他 | 高木渉 滝沢ロコ まるたまり 伊藤友美 石田彰 | ||
ナレーター | ベティ・ルー・ガーソン | 松田トシ | 鈴木弘子 |
製作 | ウォルト・ディズニー、ロイ・O・ディズニー | |
原作 | シャルル・ペロー | |
脚本 | ビル・ピート、テッド・シアーズ、ホーマー・ブライトマン、ケン・アンダーソン、アードマン・ペナー、ウィンストン・ヒブラー、ハリー・リーヴズ、ジョー・リナルディ | |
音楽 | オリバー・ウォレス、ポール・J・スミス | |
オーケストレーション | ジョゼフ・ドゥービン、エドワード・H・プラム | |
作画監督 | シンデレラ | マーク・デイヴィス、エリック・ラーソン、レス・クラーク |
プリンス・チャーミング フェアリー・ゴッドマザー 大公 王様 | ミルト・カール | |
トレメイン夫人 | フランク・トーマス | |
ネズミ ルシファー | ジョン・ラウンズベリー、ウォード・キンボール | |
小鳥 | エリック・ラーソン | |
ドリゼラ アナスタシア | オリー・ジョンストン | |
プルーノ | ノーム・ファーガソン | |
アクション担当 | ウォルフガング・ライザーマン | |
レイアウトチェック | ドン・ダグラディ | |
レイアウト | マクラーレン・スチュワート、トム・コドリック、ランス・ノリー、ドン・グリフィス、A・ケンドール・オコーナー、ヒュー・ヘネシー、チャールズ・フィリッピ、ソー・パットナム | |
原画 | ドン・ラスク、ヒュー・フレイザー、フレッド・ムーア、ジャッジ・ウィッテカー、マーヴィン・ウッドワード、ジョージ・ニコラス、フィル・ダンカン、ハル・キング ハーヴィー・トゥームズ、クリフ・ノードバーグ、ハル・アンブロ、ケン・オブライエン、エドウィン・アーダル、ジェリー・ハスコック、ダン・マクマナス、ジョン・マクマナス | |
エフェクト原画 | ジョージ・ローリー、ジョシュア・メダー、ジャック・ボイド、ブレイン・ギブソン | |
美術監督 | ジョン・ヘンチ、クロード・コーツ | |
背景 | ブライス・マック、ラルフ・ヒューレット、ディック・アンソニー、アート・ライリー、レイ・ハッファイン、マール・コックス、テルマ・ウィトマー | |
色彩設計 | メアリー・ブレア | |
特殊効果 | アブ・アイワークス | |
撮影 | ボブ・ブロートン | |
音響監督 | C・O・スライフィールド | |
録音 | ハロルド・J・ステック、ロバート・O・クック | |
音楽編集 | アル・ティーター | |
編集 | ドナルド・ハリデイ | |
助監督 | マイク・ホロボッフ、ラリー・ランズバーグ、テッド セバーン | |
アニメーション制作 | ウォルト・ディズニー・プロダクション | |
監督 | ハミルトン・ラスク、クライド・ジェロニミ、ウィルフレッド・ジャクソン | |
総監督 | ベン・シャープスティーン | |
配給 | RKO | |
製作担当者 | デイヴィッド・カーディフ |
製作デスク | コーリー・ハンセン |
デジタル修復 | レイチェル・クレメント |
デジタルプロデューサー | エイプリル・マックモーリス |
デジタルペイントタイミングスーパーパイザー | ブルース・タウシャー |
デジタルカラーリスト | ティモシー・ピーラー |
≪1961年版≫
総指揮 | ジャック・カッティング |
監督・台本 | 田村幸彦 |
音楽 | 服部逸郎 |
編集 | 上田忠雄 |
録音 | 国際ラジオセンター |
≪1992年版≫
プロデューサー | 津司大三 |
演出 | 佐藤敏夫、加藤敏[14] |
脚本翻訳 | 森みさ |
音楽演出 | 片桐和子、市之瀬洋一[14] |
録音・調整 | 吉田佳代子 |
録音スタジオ | 東亜スタジオ、アオイスタジオ、スタジオ・ユニ[14] |
録音制作 | 東北新社 |
日本語版制作 | DISNEY CHARACTER VOICES INTERNATIONAL, INC. |
使用箇所 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 訳詞 | 歌 |
---|---|---|---|---|---|
オープニングテーマ | シンデレラ Cinderella | マーク・デイヴィッド ジェリー・リヴィングストン アル・ホフマン | 片桐和子 | マーニ・ニクソン ザ・ジャド・コンロン・コーラス | |
エンディングテーマ | 夢はひそかに A Dream Is A Wish Your Heart Makes | アイリーン・ウッズ ザ・ジャド・コンロン・コーラス | |||
挿入歌 | 歌えナイチンゲール Oh, Sing Sweet Nightingale | アイリーン・ウッズ ローダ・ウィリアムズ | |||
仕事の歌 The Work Song | ジム・マクドナルド ルシル・ウィリアムス ジューン・サリヴァン | ||||
ビビディ・バビディ・ブー Bibbidi-Bobbidi-Boo | ヴェルナ・フェルトン | ||||
これが恋かしら So This Is Love | アイリーン・ウッズ マイク・ダグラス | ||||
1922年、ウォルト・ディズニーは、ラフォグラム・フィルムで「シンデレラ」を原作にした作品を作った。そして1933年12月に、その第2作をシリー・シンフォニーの短編として作ろうとしていた。監督はバート・ジレット、作曲はフランク・チャーチルと決めた。シンデレラの遊び相手として「白いネズミと鳥」が登場する筋書きだった。話を広げるため、ストーリーアーティストたちは視覚的なギャグを提案し、それらのいくつかは最終的な映画にも入った[15]。しかし、1938年初頭、話が複雑すぎて短編にまとめることができないことが分かったので、アル・パーキンスが書いた14ページの概要から始めることで、長編アニメになりうるという考えが浮上した[16][17]。
2年後、2回目の原案(フィルム・トリートメント)が、ダナ・コフィとビアンカ・マジョーリーによって書かれた。そこではシンデレラの継母はフロリメル・デ・ラ・ポシェル、義理の姉はワンダとジャボット、ペットのネズミはダスティ、カメはクラリッサ、義姉のペットの猫はボン・ボブ、王子の補佐官はスピンク、義姉のダンスの先生はムッシュ・カーネワルと名付けられた。このバージョンは、シンデレラが2度目の舞踏会から遅れて帰宅するまでは、元の童話に忠実である。その後、義理の家族はシンデレラを地下室に閉じ込める。スピンクたちがラ・ポシェル邸に着くと、ダスティはスリッパを持って彼らを導いてシンデレラを解放させる[18]。
1943年9月、ディズニーは『シンデレラ』に着手するため、ディック・ヒューマーとジョー・グラントにストーリー監督を担当させ、100万ドルの予備予算をつけた[19]。しかし、1945年までにストーリー作成の準備は中止された[20]。一方、『南部の唄』(1946年)の執筆途中に、ダルトン・S・レイモンドとモーリス・ラフは口論になり、ラフがシンデレラの仕事に回された[21]。そしてそのラフによって作られた『シンデレラ』は、主人公のシンデレラは白雪姫よりも積極的な人物として描かれており、義理の家族に反抗的な態度も見せている。ラフは次のように説明している。「私の考えでは、誰かが来てすべてを変えてくれることなどありません。すべてお膳立てされなどいません。つかみ取らないといけない。だから私が作ったバージョンでは、フェアリー・ゴッドマザーはこう言うのです。"真夜中までは大丈夫、だけどそれから先はあなた次第"と。私はシンデレラにつかみとらせました。そのためにシンデレラがしなければならなかったのは、継母と姉に逆らって、自分の家で奴隷でいることを止めることでした。なので私は、彼女たちがシンデレラに指図すると、シンデレラが彼女たちにものを投げ返すシーンを入れました。シンデレラは反抗したので、屋根裏部屋に閉じ込められます。(私の考えを)まともに受け止めていた人は誰もいなかったと思いますが」[22]。
1946年春、ディズニーはストーリーについてのミーティングを3回開き、その後の1947年3月24日に、テッド・シアーズ、ホーマー・ブライトマン、ハリー・リーブスから原案を受け取った。この原案では、王子はそれ以前の『白雪姫』(1937年)の話を思い起こすような紹介の仕方で[23]、いたちごっこのような対立がヒントになっていた。1947年5月までには、大まかなストーリーボードが作られている段階になっており、同じ月のレポートでは、「主に納屋の動物と、シンデレラの日々の行動の観察から」ストーリーに異なるアプローチをすることが提案されている[23]。
『ファン・アンド・ファンシー・フリー』(1947年)の劇場公開後、ウォルト・ディズニー・プロダクションの銀行債務は420万ドルから300万ドルに減少した[24]。この頃ディズニーは、財政健全化が必要ということは認めていたが、製作数を減らすことは自殺行為であると融資者に強調した。そして、スタジオを完全に健全な財政状態に戻すために、長編アニメーション映画の製作に戻るという欲望を表明した。これまでに、『シンデレラ』、『ふしぎの国のアリス』(1951年)、『ピーター・パン』(1953年)という3つの企画が計画中だった。ディズニーは、『ふしぎの国のアリス』と『ピーター・パン』はキャラクターが冷たすぎる感じがするのに対し、シンデレラは白雪姫と似た要素があると感じたので、このプロジェクトに許可を出した。一流のアニメーションの才能が買われ、ベン・シャープスティーンが総監督に選ばれ、ハミルトン・ラスク、ウィルフレッド・ジャクソン、クライド・ジェロニミが監督となった[25]。しかしながら、アリスの製作も再開された。これは、どちらの映画が先に完成させるか、良い意味で競争させるためであった[26]。
1948年初め、『シンデレラ』の進行は『ふしぎの国のアリス』よりもずっと先に進み、『バンビ』(1942年)以来初となる長編アニメーション映画となった[23]。1948年1月15日のストーリーミーティングで、いたちごっこのところが映画で重要な場面になってきたので、ディズニーはベテラン脚本家ビル・ピートにその部分を担当させた[27]。
1940年代終わりになると、ディズニーは『宝島』の製作に時間をとられ、本作にはかかわらなくなっていった。そのため監督たちは詳細についても自分たちで判断しなければならなくなった[28]。ディズニーはもう毎日ミーティングを開くことはなかったものの、1949年夏にディズニーがイギリスに出張している2か月半の間は、メモ、台本、ストーリーボードのフォトスタット、サウンドトラックのアセテートを郵送して連絡を取り合った。ディズニーから返事がなかった場合は、いったん作業を再開して、返事が来たらやり直していた[29]。1つの例として、ディズニーが8月29日にスタジオに戻ってきたとき、ラスクのアニメーションの筋を確認し、山のような細かい修正と、クライマックスシーンの大幅な作り直しを命じている。そして製作は1949年10月13日までに完了した[30]。
1992年のリバイバル公開は、東映系の企画『夢のファンタジーワールド』のメイン作品として上映された。これは日本での6回目の劇場公開であった[5]。『シンデレラ』のほか、『ミッキーのたつまき騒動』、日本のアニメ『きんぎょ注意報!』『キャンディ・キャンディ』の4本立て公開であった。
1992年10月でディズニーとワーナー・ブラザース日本支社の契約が切れ、その後は作品ごとに配給を検討することに決まった。そのような背景があり、1991年9月に日本で『ディズニー・フェスティバル』が開催された時に、ジェフリー・カッツェンバーグウォルト・ディズニー・スタジオ会長、リチャード・フランク同社社長らディズニー・グループの幹部が来日し[31]、岡田茂映連会長に表敬訪問に行った[31]。岡田は1980年と1981年の夏休みの「東映まんがまつり」枠で、ディズニー作品を上映した実績があることから[32]、ディズニー側から東映とディズニーのアニメをセットにしないかと申し入れがあり、『シンデレラ』を上映することで話がまとまった。ただ、東映アニメーション制作作品とは異なり、「東映まんがまつり」枠でディズニーのアニメを入れるとディズニーに儲けを半分持っていかれることから、1985年10月、東北新社と提携し、東映ビデオが権利を持つ『エクスタミネーター2』『殺人鬼』などの映画作品をビデオで販売したものと同様[33]、東映洋画部で「夢のファンタジーワールド」という別枠を作り、上記の東映の短編アニメと合わせて配給を決めた。この配給をワーナーと折衝し、120館程度で上映を予定したが、岡田が東映と東急レクリエーションの社長を兼任していたことから、当時岡田が積極的に推進していたビデオシアターをこのうち系列の10数館で上映を予定した。するとディズニー側がこれを拒否。ビデオシアターはスーパーやショッピングセンターの中が殆どで席数も100前後で当然小さいが、小さい子供連れだと新宿や銀座まで行かずに自宅の近所で観たい人が多く、実際に儲かっていてアニメ配給の約3%を占めていた。東映は「ディズニーは日本のマーケット事情を知らない」と三度に渡り[34]、詳細をまとめてワーナー日本支社を通じて、ディズニー側に送ったが、なぜ拒否するのかの理由を解答してくれず、ダメの一点張りで時間切れとなり、ビデオシアターは全部キャンセルし、劇場のみの110館で上映した[35]。
映画賞 | 賞 | 対象 | 結果 | 出典 |
---|---|---|---|---|
第1回ベルリン国際映画祭 | ミュージカル部門 金熊賞 | 『シンデレラ』 | 受賞 | [36] |
観客賞 | 『シンデレラ』 | 受賞 | ||
第11回ヴェネツィア国際映画祭 | 審査員特別賞 | 『シンデレラ』 | 受賞 | [37] |
第23回アカデミー賞 | アカデミー録音賞 | 『シンデレラ』 | ノミネート | [38] |
ミュージカル音楽賞 | 『シンデレラ』 | ノミネート | ||
アカデミー歌曲賞 | ビビディ・バビディ・ブー | ノミネート |
日本で2015年3月18日にウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンからBlu-ray DiscとDVD、デジタルコピー(スマートフォンやタブレット端末で、本編映像を見ることができるサービス)、MovieNEXワールドがセットになったMovieNEXが発売された。
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