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スイスの時計メーカー ウィキペディアから
パテック・フィリップ(Patek Philippe)は、スイスの高級時計メーカーである。1839年に2人のポーランド人アントニ・パテックとフランチシェック・チャペックによって創業された。
ヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲとともに世界三大高級時計メーカーの一つとして数えられることが多い[1]。その中でもパテック・フィリップは頭一つ抜け出た存在であり[1]、世界一の時計ブランドとされている。
過去にはカルティエ、ティファニー、ギュブラン(Guberin )、ゴンドーロ・ラブリオ等宝石店向けに製品を納入していた。
かつては多くの製品がジュネーヴシールの認証を受けていたが、現在は自社独自の認証マークである「パテック・フィリップ・シール」に切り替わった[1][注釈 1]。
世界一高価な腕時計を販売するマニュファクチュールとしても知られている。
同時期、チャペックはポーランド人の民兵組織である「ポーランド国民衛兵」の兵士としてワルシャワでロシア軍を相手に戦った。
フランスへ亡命後しばらくは亡命ポーランド軍将校としてフランス側につき各地を転戦した。その後、軍を退役しアミアンに定住し植字工となった。
アドリアン・フィリップが経営から退き、ジャン・フィスター (Jean Pfister ) が社長に就任。ドレスウォッチの傑作Ref.96を発売。高級腕時計の代名詞となるカラトラバを発売。
1932年に発売されたカラトラバモデル。デヴィッド・ペニーのデザイン。パテック・フィリップの製品の中でも特にデザインが優れていることで著名なロングセラーである[4]。バウハウスのシンプルなデザイン哲学に基づいて文字盤やケースなどはデザインされており、スモールセコンドを配したシンプルな3針モデル。Ref.ナンバーから日本では「クンロク」「キュウロク[4]」の愛称で呼ばれている。キャリバーは時代に応じてCal.12、Cal.12-120、Cal.12-400、Cal.27-AM400などが使用されている。一般には1967年まで生産されたことになっているが、現在では、製造番号から1971年頃までは生産されていたことが判明している。ケース径32mm。初代Ref.96が販売中止された後もCal.215をφ31mmケースに入れたRef.3796、1995年発売でCal.215をφ33mmケースに入れたRef.5096、2004年バーゼルフェアで発表されCal.215をφ37mmケースに入れたRef.5196など96のデザインを引き継いだ時計が販売され続けている。
シンプルな2レジスタークロノグラフ。直径33mm。キャリバーはCal.13。
21×35mmの角形時計。帽子をかぶったような特徴的なケース形状から「トップハット」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。
パーペチュアルカレンダー、ムーンフェイズ、クロノグラフ機能を持つφ35mmの複雑時計。キャリバーは13Q。1941年から1954年までに281個が製造された。2010年5月11日のクリスティーズオークションで競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された旨報道されたがこれはRef.1527の間違いである。
Ref.1518に似ているが、ラグが長く曲がり、右側面がほんの少しではあるがリューズガード様になっているワンオフ品である。2010年5月11日のクリスティーズオークションで競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された[5][6]。
Ref.1518からクロノグラフを省略した型。キャリバーはCal.12-120Q。1942年から1952年までに210個が製造された。
22×32mmの角形時計。「フレアード」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。
二重構造のケースで防塵構造を実現し、アウターケースは、パテック・フィリップでは珍しいスクリューバック方式を採用。ケースの素材にはイエローゴールド、ピンクゴールド、プラチナのメジャーな素材以外に、パテック・フィリップにおいては極めて珍しいステンレス鋼のモデルがある。ケースはφ30mm。キャリバーは手巻きのCal.10-200。
強い日差しにも焼けないよう白七宝製文字盤を使用していることから、カメラの熱帯仕様にちなんで「トロピカル」と俗称されている。ケースはφ35mm。キャリバーはCal.12-600AT。
Ref.1518の後継で、ケースデザインが近代化された。φ38mm。派生型を含め1950年から1985年までに349[注釈 2]製造された。1960年にクロノグラフのプッシュボタンが角型から丸型に変更された。1978年以降はサファイアクリスタルに変更されたRef.2499/100である。特殊な派生型としてインテグラルケースに収められたRef.2499/101が4個以下存在する。
創業150周年を記念して製作された33機能の複雑時計。基本計算、基本設計は1980年に開始され、作動する試作品は1988年7月、製品は1989年4月に完成した。直径88.2mm、ガラスを除いた厚み36.55mm、ガラスを含んだ厚み44.07mm、ケースのみの重量500g、総重量1,100g。1278個のパーツが洋銀製プレート3枚に4層になって組まれている。126石。ガラス、ディスクはサファイア・クリスタル製。文字盤は14金に銀蒸着が施してある。
18金イエローゴールドケースに収められた試作品の他18金イエローゴールド、18金ローズゴールド、18金ホワイトゴールド、プラチナのケース素材違いで4個が製作され、1989年4月9日のアンティコルム・オークションにイエローゴールドモデルが出品されて4,500,000スイスフランで落札された。2004年4月のアンティコルム・オークションにも出品され、6,600,000スイスフランで落札されている。試作品はパテックフィリップミュージアムにある。
1976年に登場したラグジュアリースポーツウォッチでノーチラスと呼ばれるモデルである。
1972年にジェラルド・ジェンタによってデザイン・考案され、1975年にプロトタイプが完成した。
特徴的な舷窓型のケースにケースと一体化したラグ、ステンレス鋼製であるにもかかわらずゴールド製の時計よりも高価な腕時計として登場した。発売した当初はすぐに市場に受け入れられることは無かったが、徐々に受け入れられていった。[7]
後継モデルと区別するために「ジャンボ」の相性で親しまれている。
どんなに古い自社時計についても修理することができる「永久修理」を宣伝しているため、「パテック・フィリップの時計は一生もの」というブランドイメージを構築することに成功している。しかし、保証期間(通常2年間)が過ぎた時計については、当然のことながら有料修理であり、またオリジナル部品を長期にわたって保持することを保証するものではない。そのため、オリジナル部品の在庫がなくなった時点以降はオリジナル部品を使った修復ではなく、その時どきで製造可能な代替部品を使ってのメンテナンスとなる。その場合、必要な代替部品を新たに製造するコストは個々のユーザーの負担となり、時計の購入価格を大きく超える修理代金を請求されるケースも多い。
また、パテック・フィリップはオークションで古い自社時計を高値で買い戻すことによって、「パテック・フィリップの時計の中古市場価値を保たせる」というビジネス戦略をとっている。その結果、上記の「パテック・フィリップの時計は一生もの」というブランドイメージの宣伝にも役立っている。
製作記念台帳に全ての購入者を記録しており[4]、その中にはヴィクトリア女王[8][4]、エリーザベト王妃[4]、アインシュタイン[8]、ヴィルヘルム1世[8]、ワーグナー[8][4]、チャイコフスキー[8][4]、フルトヴェングラー[8]、トルストイ[8][4]、プーシキン[8]、ウォルト・ディズニー[8][4]、クラーク・ゲーブル[8]等の名前がある。
特に1851年に、英国ヴィクトリア女王がブローチ型懐中時計を購入したことにより、パテック・フィリップの名声が一躍広まった[9]。
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