Loading AI tools
日本の宇宙飛行士 (1970-) ウィキペディアから
山崎 直子(やまざき なおこ、旧姓:角野(すみの)、1970年〈昭和45年〉12月27日 - )は、宇宙飛行士。宇宙政策委員会委員(2012年7月 - )、女子美術大学客員教授(2014年4月 - )。千葉県松戸市生まれ。
プラネタリウムやボイジャーが送ってきた画像、アニメの宇宙戦艦ヤマト[1]などから影響を受け、またチャレンジャー号爆発事故のニュースを受け「亡くなった宇宙飛行士たちの意思を引き継いで、宇宙の素晴らしさを子供たちに伝えたい」と思い、宇宙を志した[2]。
東京大学大学院工学系研究科修了後、宇宙開発事業団に入社。国際宇宙ステーションの開発業務に従事しながら宇宙飛行士を目指し、入社3年後、2度目の受験で宇宙飛行士に選抜された。日本人女性宇宙飛行士としては向井千秋に続き二人目。2006年2月に、アメリカ航空宇宙局(NASA)の搭乗運用技術者に認定され、2008年5月には搭乗者支援宇宙飛行士として土井隆雄のミッションを支援した。
2010年4月にISS組み立てを主任務とするSTS-131(19A)ミッションに参加、ロードマスター(物資の移送責任者)として移送物資の管理や、作業の指揮を担当した[3]。
2010年4月5日(日本時間、以下同)、スペースシャトル・ディスカバリーに搭乗しケネディ宇宙センターから打ち上げ、飛行二日目にはシャトルのロボットアームとセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)を使い軌道上で機体の点検を行う。7日にISS到着、ISS23次長期滞在中の野口聡一飛行士らに迎えられる。滞在中は、ステファニー・ウィルソン飛行士と共にISSのロボットアームを操作し補給物資を搭載した多目的補給モジュール「レオナルド」をシャトルの貨物室からISSへ移動、その後他の飛行士と共にレオナルドから実験ラックや冷凍冷蔵ラック、個室ラックなどの機器や資材、補給物資の搬入を行った[3](ISSからレオナルドへの搬出も同様。移設物件の内訳についてはミッション記事を参照)。これらの任務の他、地上との交信行事やきぼうで持参の福山琴(特注の小型の物)の演奏や俳句の創作と募集なども行った[4][5]。17日にディスカバリーでISSを離脱し、20日ケネディ宇宙センターに帰還した。
スペースシャトルは2011年(平成23年)限りで退役したため、山崎は日本人として最後のシャトル搭乗者となった。国際宇宙ステーション(ISS)の日本人女性初の長期滞在も期待されていたが、2011年8月に引退を表明。これによって、要員減で日本の宇宙計画の練り直しが必要になった。国際宇宙ステーションでは、一般人の宇宙生活実現に向けた女性の医学データの取得なども検討されていた[6]。
2011年5月から、宇宙飛行士の肩書でウェブサイト論座(当時はWEBRONZA)の科学・環境執筆者に加わった[7]。2012年7月に宇宙政策委員会委員、2013年に札幌市青少年科学館名誉館長[8]、2014年に女子美術大学客員教授、2018年に鳥取県宇宙部長に就任した[9]。2020年からは岐阜かかみがはら航空宇宙博物館のアンバサダーに就任した[10]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.