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小堺一機、関根勤のコンビ活動の際の名義、この二人がパーソナリティを務める一連のラジオ番組の総称 ウィキペディアから
コサキン(Kosakin)は、浅井企画の先輩・後輩で親友同士でもあるお笑いタレントの関根勤と小堺一機がコンビで活動する際の名称、および2人がパーソナリティを務めた一連のラジオ番組の総称である。
コサキン | |
---|---|
メンバー |
関根勤 小堺一機 |
結成年 | 1981年 |
事務所 | 浅井企画 |
活動時期 | 1981年 - |
出会い | ぎんざNOW! |
旧コンビ名 | コサラビ |
芸種 |
コント ラジオパーソナリティ |
現在の代表番組 |
コサキンのラジオごっこ コサキン・天海の超発掘!ものまねバラエティー マネもの など |
過去の代表番組 |
コサキンDEワァオ! コサキンルーの怒んないで聞いて! コサキンDEラ゛ジオ゛! コサキン道中 ぶらっぶらっぶらっ! など |
公式サイト | コサキン公式サイト(浅井企画) |
受賞歴 | |
TBSラジオゴールデンマイク賞(1988年) |
コサキンという名称は小堺一機の名字を縮めた「コサ」と関根勤の名前を音読みした「キン」を合わせたもので、関根が「ラビット関根」を名乗っていた1983年10月までは「コサラビ(Kosarabi)」だった(「関根勤」に正式改名したのが11月1日で、コサキン名義の活動は10月から始まった)。
関根は小堺について「小堺くんに出会わなければ今の自分はない」「親友でありライバルであり、パートナーであり、恩人である」と語り[1]、小堺も関根について「“こう振ったらこうくるな”というパターンが、関根さんの場合はわからないので面白くてしょうがない」と語っている[2]。
二人はともにテレビ番組『ぎんざNOW!』内のコーナー「素人コメディアン道場」出身で、関根は初代、小堺は第17代のチャンピオンである。ともに同番組のコーナー司会→曜日別総合司会を歴任。当時小堺は浅井企画所属前だったが、関根とは既に仲が良く、番組の合間には二人でスタジオを脱け出し、「何もない空を見上げてひそひそ話をし、周囲の人がつられて空を見上げはじめ、やがて人だかりができたところでそっとその輪を抜け、遠くからその人たちを観察する」という悪戯をしていたという[3]。
1980年、小堺が浅井企画に所属。1981年6月より、毎月2回土曜日に、下北沢のライブハウス「下北沢スーパーマーケット」でコントライブ『土曜の夜にしゃらくせえ』を2人で行うようになったのが、このコンビの始まりである(このライブは1982年1月まで続いた)。
当初は先述のライブなど地道な活動を行っていたが、1981年10月より、TBSラジオでの帯番組の代役として『夜はともだち コサラビ絶好調!』が始まり、回を重ねるごとに人気が増すようになった。そして、テレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!』(以下『欽どこ』と表記)での2人揃っての出演(本放送時この番組で「コサラビ」ないし「コサキン」を名乗ることはなかった)を皮切りに、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)で「泣いちっちマイ・ハート」を唄う風見慎吾のバックダンサーを経て、やがて『欽どこ』で「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」のミニコーナーを任されたことにより2人の知名度が上昇。1987年秋に始まった2人での初の冠番組『コサキン勝手にごっこ』以降、「コサキン」という名称が全国的に認知されるようになった。
一方、先述のラジオ番組は形を変えつつも四半世紀以上に及ぶ長寿番組となった(コサキン名義でのコンビ活動はこちらの方が知られていた)。雑誌『ラジオパラダイス』のパーソナリティ人気投票にて、当初は「小堺一機」「関根勤」「コサキン」で票が割れていたが、とあるコサキンリスナーの呼びかけから投票を「コサキン」に一本化。それ以降、常に上位を争う存在になったというエピソードもある(1987年〜1988年の総合ランキング1位になったこともある)。また、1988年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を受賞した。2009年3月28日、『コサキンDEワァオ!』が終了し、ラジオ番組としてのコサキンシリーズは一旦終止符を打つことになった。
『コサキンDEワァオ!』終了直後は2人が共演する機会はほとんどなかったが、2010年4月 - 2013年4月放送の『コサキンDEラ゛ジオ゛!』(BS朝日)、2014年10月 - 2015年9月放送の『コサキン道中 ぶらっぶらっぶらっ!』(BSフジ)の他、現在もテレビで共演し、息の合ったところを見せている。2023年4月からは、ポッドキャストにて『コサキン ポッドキャストDEワァオ!』が週1回配信されている[4]。
当初、2人の所属事務所である浅井企画は、2人をコント55号に続くコンビとして売り出そうと考えていたようだが、2人は「あくまでもピンで」と答えて断っている[注 1]。そのため、「コサキン」は厳密にはコンビではなく、あくまでも「関根勤」「小堺一機」という2人のタレントが一緒に仕事をする際の通称である。また、これにルー大柴が加わった時はコサキンルー(Kosakinlou)と呼ばれていた。
関根の話によると、新人時代に小堺と即興でコントをやったところ、それを見ていた放送作家の大岩賞介が「このコンビは面白い」と感じ、「2人でやってみたらどうだ? 深く考えずに軽い気持ちで。例えばクッキー食べるみたいにさ!」とやんわりとコンビ活動を勧めた[5](小堺は、大岩から「若いのにブラブラしてるんじゃない!」といわれ、関根と下北沢でライブを行うようになったと語っている[6])。
この話を聞きつけた浅井企画の当時社長・浅井良二が「よし! 『お笑いスター誕生!!』出演の話を俺がつけてやる。今から10週分のネタ作りの合宿だ!」と発言。関根と小堺は「おいおい、クッキーどころじゃねぇぞ…」と怖くなったとのこと[7]。前述のように2人とも個人でのタレント活動が目標だったため、この話は辞退している。
事務所からは若手のホープと期待を掛けられていた一方、萩本欽一からは当初二人とも「(芸風が)嫌い」と公言され[8]、約7年も門前払いされ続けた[9]。後に、萩本の仕打ちは「最初に俺が優しいと、お前らは『大丈夫だ、芸能界』と思ってしまう」と危惧し、あえて厳しい態度を取ったものだったことを本人から明かされ、二人は萩本に感謝を示している[8]。後日対面を許され、萩本邸に招待されたが、そこで突然の無茶振りに始まり3時間にわたる指導を受け[9][10]、以降はテレビ番組での共演も果たしている。
二人とも萩本には弟子入りをしていないため、萩本とは正式な師弟関係ではない。しかし、『コサキンDEワァオ!』(2005年2月27日<26日深夜>放送分)に萩本がゲスト出演した際には、関根の「正式な手続きでの弟子入りはないですけども、『欽どこ』を通じて(萩本は)師匠という気持ちがありますから」という発言に対し、萩本が「それは大きな声で言うべきよ」と冗談めかしながら答えており、彼らが師弟に準ずる関係であることを認め合った。
※小堺・関根各人のソロ活動については、各項目を参照。
このほか、小堺司会の『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ)に関根がゲスト出演した際や、『ダウンタウンDX』(読売テレビ制作・日本テレビ系)に2人がゲスト出演した際なども、コサキン独特のノリでトークを進めることが多い。
小堺・関根それぞれが司会、あるいはメイン出演者を務めたレギュラー番組は多く放送されてきたが、コサキンの2人をメインにしたテレビバラエティはメジャー化せず、早々に終了となるジンクスは現在まで続いている[独自研究?]。このため、コサキン自身も「テレビじゃ伝わらない」と自嘲気味に述べている。
ラジオ番組関連の書籍は、番組の記事を参照のこと。
ラジオ番組関連のDVDは、番組の記事を参照のこと。
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