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日本のお笑いコンビ(2005-) ウィキペディアから
三四郎(さんしろう)は、マセキ芸能社に所属する小宮浩信と相田周二からなる日本のお笑いコンビ。2005年結成。2023年『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』ファイナリスト。
メンバー |
小宮浩信 相田周二 |
---|---|
結成年 | 2005年 |
事務所 | マセキ芸能社 |
活動時期 | 2005年5月1日[1] - |
出身 | スクールJCA13期中退 |
出会い | 成城学園中学校 |
旧トリオ名 | 次男坊 |
現在の活動状況 | テレビ、ラジオ、ライブ |
芸種 | 漫才 |
ネタ作成者 | 小宮浩信 |
現在の代表番組 |
テレビ 有吉の壁 三四郎のDearボス デカ盛りハンター 22/7 計算中など ラジオ 三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO) など |
過去の代表番組 |
テレビ 世界カンペ旅 浅草ベビ9 おはスタ イッテンモノ HKTBINGO! SKEBINGO! 青春高校3年C組 シブサワ解体深書 タイチサン!など ラジオ YOU&三四郎 恋愛見極め人 コレって脈あり!? など |
同期 |
ともしげ(モグライダー) ニッチェ トレンディエンジェル など |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
2014年 元旦爆笑レッドカーペット レッドカーペット賞 2019年 芸人デカスロン〜お笑い10種競技バトル〜 優勝 |
成城学園中学校時代の同級生によるコンビ。2人とも成城学園高校へ進学するが小宮は高校2年時に留年したため、1学年下で卒業している[2]。クラスの温情で、本来の学年と同じC組での卒業アルバムの集合写真に載っている。小宮はC組であったが、D組の相田がいたクラスの集合写真にも一緒に載っている。中学時代はテニス部・サッカー部を経て、高校時代はホッケー部で東京選抜に選出された。
高校を卒業してからフリーターだった小宮が、成城大学に通っていた相田を誘う形でコンビ結成。当初はNSC東京校に入学予定だったが、入学の約2ヶ月前に願書を取りへ行った際に「まだ発行してないから2週間後くらいに郵送する」と言われたまま1ヶ月経っても届けて貰えず、焦って他の養成所を調べていたところでプロダクション人力舎が運営する養成所・スクールJCAの存在を知る。また、当時は人力舎の芸人が盛んでアンタッチャブルに憧れていたことから2004年にJCAへ13期生として入学、本格的な活動を始める[3]。
コンビ名は、当時通っていた養成所(現在は西新宿へ移転)の向かい側にある杉並区立蚕糸の森公園から「さんし」を拝借したものが由来[4]。後々で夏目漱石の小説『三四郎』のモデルとなった人物に小宮と同姓の小宮豊隆がいることを知人に聞き、「そっちのほうが博学に見えるから、それでいいや」という理由で訂正せず後付けという形で受け入れた[4]。また、JCA在籍時からコンビ名は「三四郎」だった[2]。
JCA在籍時の成績は常にトップクラスで、JCAの先輩であった慶から「こんなに成績が良いのはドランクドラゴンぶりだ」と高評価を受けるなど、自分たちが圧倒的に一番だと誇っていたがNSCとの対抗戦形式のライブで同期にあたるオリエンタルラジオの勢いに圧倒され、ショックを受け半年ほどで中退してしまう[5][6]。その後、結成2・3年目頃に渋谷のマクドナルドで3人目のメンバーを加入させる是非を巡って衝突し、一度解散[7]。その後、小宮は当時ピン芸人として活動していたJCA時代の同期・あべじゅりあ(現在はNSC東京校17期生であり、コンビ「ほっとライス」として活動後に解散)とコンビを組む。しかし1週間後にツッコミが欲しくなったため、相田が加入する形でトリオ「次男坊」を結成。当時はプロデューサーハウスあ・うんに所属していた[8]。
トリオとして1年ほど活動するも「お前らにはついていけない」とあべが脱退。再び小宮・相田のコンビに戻り、「三四郎」として活動を再開。この時にボケとツッコミを交代した[7](ただし現在でも小宮がボケ、相田がツッコミを担うことがある)。フリーとして約3年ほどげんしじん事務所を中心にライブ活動を行う。
2008年、マセキ芸能社のオーディションに合格し下部組織「マセキユース」の所属が決まる。2010年のM-1グランプリでは初めて準々決勝まで進出。
2013年4月、日暮里サニーホールで行われた第12回漫才新人大賞の予選会において決勝進出を果たし、同年6月に国立演芸場で行われた決勝戦に出演[9][10][11]。同年10月よりマセキ芸能社へ正式所属となる。また、同年に『ゴッドタン』へのブレイク芸人発掘企画にて、小宮の生意気なキャラクターが出演者やスタッフに大ハマりしたことで、ブレイクのきっかけを掴んだ。また、同年より2年連続で『THE MANZAI』の認定漫才師となった。
2015年4月から『三四郎のオールナイトニッポン』が放送開始。高い人気を獲得しており、三四郎のレギュラー番組の中では最も長く続いている。
2016年、小宮が約3年間欠けていた前歯を新しく入れて11月にはその状態でメディアに出演、歯の復活を報告した[12]。
2016年〜2018年に『M-1グランプリ』で3年連続準決勝に進出している[1]。しかし、ラストイヤーの2020年大会まで出場し続けるも遂に決勝進出は叶わなかった。ただし、2018年に開かれた同大会の開催記者会見においては唯一決勝進出未経験ながら参加する[13]など、漫才の実力者として一定の評価は受けていたのが窺える。お笑い賞レースのファイナリストにならずテレビに長年数多く出演している、昨今のお笑い界では珍しい芸人のため『無冠のブレイクスター』『バチボコTVスター』などと紹介されることも多い。
2023年、結成16年以上のお笑い賞レース『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』へ出場。選考会にてポットA(上位8組)に選出され、ノックアウトステージ32→16ではタモンズ、16→8では流れ星☆に勝利を収めグランプリファイナル進出を果たした[14]。グランプリファイナルでは1回戦でスピードワゴンに勝利するも、準決勝でマシンガンズに敗退した[15]。
年度 | 結果 | 会場 | 日時 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2006年 | 1回戦敗退[20] | TOKYO FM HALL | 9月3日 | 次男坊時代 |
2008年 | 2回戦進出[21] | ラフォーレミュージアム原宿 | 11月2日 | |
2009年 | 3回戦進出[22] | ルミネtheよしもと | 11月27日 | |
2010年 | 準々決勝進出[23] | メルパルクホール | 12月3日 | 予選74位 |
2015年 | 準々決勝進出[1] | 浅草公会堂 | 11月3日 | |
2016年 | 準決勝進出[1] | よみうりホール | 11月19日 | 予選20位、敗者復活戦7位 |
2017年 | NEW PIER HALL | 11月15日 | 予選26位、敗者復活戦5位 | |
2018年 | 11月15日 | 予選23位、敗者復活戦6位 | ||
2019年 | 準々決勝進出[1] | 11月19日 | ||
2020年 | 11月17日 | ラストイヤー |
※コンビでの出演を記載。単独出演はそれぞれ小宮浩信、相田周二を参照。
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