福島瑞穂
日本の政治家、弁護士 (1955-) ウィキペディアから
日本の政治家、弁護士 (1955-) ウィキペディアから
福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年〈昭和30年〉12月24日 - )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(5期)、社会民主党党首(第3・6代)[2][3][4]、同参議院議員会長。宮崎県延岡市出身[1]。神奈川県在住。内縁の夫に海渡雄一を持つ[5]。
福島 瑞穂 ふくしま みずほ | |
---|---|
生年月日 | 1955年12月24日(68歳) |
出生地 | 日本 宮崎県延岡市[1] |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 第二東京弁護士会所属弁護士 |
所属政党 | 社会民主党 |
称号 |
法学士(東京大学・1980年) 弁護士 フランス国家功労勲章(シュバリエ章) 参議院永年在職議員 |
配偶者 | 海渡雄一(内縁の夫) |
サイン | |
公式サイト | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区) |
内閣 | 鳩山由紀夫内閣 |
在任期間 | 2009年9月16日 - 2010年5月28日 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 現職 |
その他の職歴 | |
第3・6代 社会民主党党首 (2003年11月15日 - 2013年7月25日 2020年2月23日 - 現職) | |
社会民主党副党首 (2013年 - 2020年) | |
第4代 社会民主党幹事長 (2001年 - 2003年) |
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当・少子化対策担当・男女共同参画担当)、社会民主党副党首、同幹事長(第4代)、学習院女子大学客員教授などを歴任した。
1987年弁護士登録をし、第二東京弁護士会に所属する。その後、人権を重視する弁護士あるいはフェミニズム論の論客として、テレビ朝日『朝まで生テレビ!』、読売テレビ『ウェークアップ!』をはじめとしたテレビの政治討論番組などに出演した。慰安婦募集の強制性を認めた1993年(平成5年)8月の河野談話の根拠となった日本政府による韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査にオブザーバー参加している[6]。
1998年の第18回参議院議員通常選挙で、社民党に政治姿勢と知名度を買われて比例区から出馬し初当選。以降、社民党神奈川県連合代表・党幹事長などを歴任する。
2003年、社民党は第43回衆議院議員総選挙で議席を大幅に減らし、党首の土井たか子が引責辞任する。同年11月、後任の党首に就任した。
2004年の第20回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し再選した。
2007年11月1日に期限失効したテロ対策特別措置法の後継法として国会に提出された新テロ特措法案には、テロ対策特別措置法に引き続き反対した。2008年1月10日、参議院外交防衛委員会で法案が否決され、参議院の本会議でも否決される見通しとなったので、与党が日本国憲法第59条に則り再可決を行う方針を示したことに対して「衆議院の再議決は、ここ50年間はなかったことだ」「与党の数の横暴であり、憲政史上最悪の汚点となる」と反対・批判した。
2008年、社会主義インターナショナル副議長に就任する。
2009年3月26日の参議院予算委員会で、北朝鮮のミサイル発射問題に関して弾道ミサイルが日本領内に落下した場合にこれを迎撃するとする日本政府の方針を批判した。外務大臣の中曽根弘文や防衛大臣の浜田靖一から理解を求める答弁がされたが、これに対しても福島は「当たらない場合は国益を侵害し、当たった場合でも単なる人工衛星だったらどうなるのか」と迎撃批判を続けた[7]。
2009年9月16日、社民党は、民主党、国民新党と連立して鳩山由紀夫内閣を発足させ、社民党は11年ぶりに与党に復帰する。自身は初入閣し、内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)及び、鳩山由紀夫内閣で内閣府特命担当大臣(消費者担当)と内閣府特命担当大臣(食品安全担当)を統合して新設された内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)に任命された。
しかし、普天間基地移設問題では一貫して沖縄県外、日本国外への移設を主張。2010年5月28日に辺野古地区への移設で日米が合意したためこれに反発し、閣議了解の書類に署名しないと宣言する。鳩山の説得にも応じなかったため、同日中に罷免された[8]。日本国憲法下での閣僚罷免は5例目で、政党の党首職にある閣僚の罷免は初めてであった。
2010年5月30日に開いた社民党全国幹事長会議で、最終的に連立を解消することを決定した。
2010年、第22回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し再選。
2013年7月25日、前回第46回衆議院議員総選挙及び、第23回参議院議員通常選挙での敗北の責任を取り、2003年以来10年近く務めていた社民党党首を辞任した[9]。党首辞任理由に選挙戦での敗北に伴う引責を掲げる一方で、兼任していた党の選挙対策の総責任者である社民党選挙対策委員長については留任する[10]。辞任前の日本国会における政党要件を満たす、政党の党首の中では、山口那津男(公明党)や荒井広幸(新党改革)と共に、数少ない参議院議員であった。このため、衆議院通常国会で代表質問などを行うことはできず(参議院では行った)、この役目は社民党幹事長だった重野安正らが担った。
2013年11月1日、社民党副党首に就任する。
2016年の第24回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し4選。同年7月26日、社民党と生活の党と山本太郎となかまたちの参議院統一会派「希望の会」の議員会長に就任した。
2020年2月22日告示の党首選に立候補したが他に立候補者がなく、同日の党大会において無投票で選出された[11]。
同年11月14日、社民党は、東京都内で臨時党大会を開き、希望する党員・地方組織の立憲民主党への合流を認める議案を賛成多数で可決した。この決議に基づき国会議員4人のうち福島と任期中の離党を見送った照屋寛徳を除く2人が後日離党し、社民党所属議員は衆議院の照屋と参議院の福島、合計2名にまで減少した。福島は大会後の記者会見で「新たな人が加わってくれる魅力的な社民党をつくりたい」と述べ、党再建に取り組む考えを示した[12]。
死刑廃止、ジェンダー平等、子育て支援などの活動を評価され、2021年6月23日、フランス政府から国家功労勲章シュヴァリエを授与された[13][14][15][16]。
2022年1月14日告示の党首選に立候補したが他に立候補者がいなかったため、再選が無投票で決まった。3月の党大会で正式に承認された[17]。
同年7月10日の第26回参議院議員通常選挙で、社民党は比例代表で1議席を獲得。福島は党内1番目の得票数(216,984票)により、5選[18]。社民党は政党要件を辛うじて維持した。
2023年2月8日、在職25年の「永年在職表彰」を受けた[19]。野党の女性議員では1994年の土井たか子以来[19]。
2023年12月1日、党首選挙が告示され、福島が立候補。ほかに候補はおらず、3回連続無投票で当選した[20]。2024年2月23日の党大会で正式に承認された[21]。
*本人の行動ではないが、永年在職議員表彰式に夫の海渡雄一が出席、娘と3人で記念撮影した。女性国会議員の夫の出席も、内縁の配偶者の出席も国内初である。
『宗教問題』編集長小川寛大によると2019年8月14日、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて立正佼成会や崇教真光、PL教団などでつくる新宗連主催の「平和祈願式典」に参加した[108]。そこでは「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……」の大合唱が行われた[109]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.