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「誰かのために」プロジェクト

AKB48グループのチャリティー活動 ウィキペディアから

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「誰かのために」プロジェクト(だれかのために プロジェクト)は、AKB48グループAKB48SKE48NMB48HKT48NGT48STU48SDN48)が2011年3月24日から展開しているチャリティー活動

プロジェクト名は『チームA 3rd Stage「誰かのために」』にちなむもので、ある一ファンの提案により命名されたという[1]

沿革

要約
視点

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震および福島第一原子力発電所事故東日本大震災)が発生した。

東京では震度5強を記録しAKB48劇場が被害を受け、また震災発生当時仙台市に在住していた岩田華怜も被災し、“当たり前にやっていた事が実はそうではなかったと思い知らされた”[2]ことから、今後一年間、震災と向き合って活動することを決め[3]、手始めに同年3月14日から義援金募集を、沖縄国際映画祭や劇場公演で行い(AKB48プロジェクト)、さらに、震災前から予定されていた2011年3月25日 - 27日の横浜アリーナでのコンサートを中止した[4]ものの、うち26、27両日については同会場を利用しチャリティーイベントを実施した。なお「誰かのために」プロジェクトと正式に命名されたのは、横浜アリーナでのチャリティイベントについて発表した時である[5]

2011年5月から被災地訪問を開始[6]

震災一周年の2012年3月11日、活動を“当分の間”継続することを発表した[7]。また、震災の発生した3月11日は篠田麻里子誕生日でもあったことから篠田は自身のブログで、「これは私の生涯の使命。神様に指名されて、世の中の役に立てと言われているような気がします。」と述べている[8]

2012年4月14日、宮城球場で開催されたAKB48『「フライングゲット」「風は吹いている」全国握手会イベント東北エリア』において、宮城県、岩手県福島県の東北3県に各10台ずつ贈呈されることが発表されていたマイクロバス「AKBus」が披露され、ステージ上で贈呈式も実施された[9]

震災から2年となる2013年3月11日を前に、3月8日18:00(日本時間)から震災復興応援ソング「掌が語ること」の無料配信が行われた[10]。11日当日は、AKB48グループのメンバー60人が6人ずつ10組に分かれて被災地を訪問。一グループで複数箇所を訪問することはあったが、初めて同時に複数箇所を訪問。またこの日から、プロジェクトシンボルマークの色が変わった(中央に描かれ、人々をつなぐ翼の生えたハートの色が、ピンクから黄色に)[11]

2013年3月12日時点で、本プロジェクトに集まった義援金の総額は13億円を突破した[3]

2014年10月23日の42回目の被災地訪問では、初めて東北地方から離れ新潟県中越地震から10年目を迎えた新潟県小千谷市を訪問した[12]

2015年1月15日の45回目の被災地訪問では、17日に阪神・淡路大震災から20年目を迎える兵庫県神戸市の防災訓練のイベントに参加した[13]

2015年11月21日の55回目の被災地訪問では、2015年9月10日に発生した豪雨水害の被災地である茨城県常総市の復興イベント「がんばっぺ常総」[14][15]にライブゲストとして参加し、初めて震災以外で被災地訪問を行った。

2016年4月14日に発生した平成28年熊本地震に対し、本プロジェクトからの流れとして被災者支援のための募金を行った[16]

2016年6月12日に復興庁主催のイベント『交流ミーティング in 東京 〜「新しい東北」を創る人々〜「若者」DAY』に出演した[注 1][17]

2018年7月5日に復興庁より東日本大震災の復興支援活動に対する大臣感謝状が送られた[18][19]

2018年7月13日には、西日本を中心として発生した平成30年7月豪雨の被災地に対しても支援活動の対象を広げることを発表した[20]

2019年3月23日の70回目の被災地訪問では、三陸鉄道リアス線の全線開業記念イベントに参加した。

2019年3月24日の71回目の被災地訪問では、初めて平成30年7月豪雨の被災地のひとつである岡山県矢掛町で復興支援ライブを行った。

2020年より新型コロナウイルス感染症の影響により被災地訪問などの移動を伴う活動は行われていないが、劇場での復興支援特別公演やオンラインによる復興支援配信などの活動を継続している。

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活動

誰かのために -What can I do for someone?-」を配信シングルとしてダウンロード料と、シングル『Everyday、カチューシャ』、アルバムここにいたこと』以降リリースされるCD・DVDの売り上げの一部も義援金として拠出[3]

2011年5月から2016年3月まではメンバーが交代で被災した各地を毎月訪問してミニライブを行っており[6][21][22][23]、以降も不定期に訪問している[注 2]。当初は他地域からファンが詰め掛けるのを防ぐため、公式サイトのスケジュールにも日時・場所・参加メンバーなど予定は一切掲載されず[注 3]、訪問先自治体など関係機関にのみに通知されていた。ミニライブの様子は「DOCUMENTARY of AKB48」取材チームが映像収録し、NHKのみが報道の一環として『MUSIC JAPAN』(2011年5月 - 2013年12月訪問分)[25][26][27]→『AKB48 SHOW!』(2014年1月訪問分 - )[28]で公開している[注 4]。メンバーによる被災地復興支援の活動のため、Serendとのコラボレーション企画「つながれ母校選手権」を中止し、優勝校でのライブに使う予定であった予算を活動費に回した[30]大島優子は仙台に親戚がいたこともあり、知人がトラックを手配して物資を届けに行くと聞くと「絶対に正体を明かさないから同行させて、手伝いたい」と頼み込んだり、秋元康総合プロデューサーに救援の為に現地入りさせてくれるよう懇願したという(“人気アイドルがボランティアしに行ったと知られたら取材が殺到して現地が更に混乱する”と説得されて断念)[31]。3年目となる25回目(2013年5月19日訪問)以降は、それまでのミニライブを中心とした活動から、訪問地の活性化につながる支援活動やPR活動も行うようになった[32]

各グループの劇場では毎年3月11日に「東日本大震災復興支援特別公演」と銘打った公演を行っている[33]

2016年に震災後初めて被災地で開催された第71回国民体育大会の閉会式にも参加するなど[34][35]、被災地訪問以外の活動も行っている。

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被災地訪問

要約
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被災地訪問の様子(2013年8月31日)
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...

『AKB48 SHOW!』のプロデューサーであった石原真が隊長を務め、セットリスト、台本は全て石原が書いている。同行するスタッフは石原も含め全員ボランティアである[36]

2020年3月現在[37]

  • 訪問地におけるライブ会場は公表されている場合に付記。収容避難場所隣接地の場合は(避)、応急仮設住宅隣接地の場合は(住)、仮設商店街のイベント広場等の場合は(商)と記す。
  • 所属は訪問時のもの。特記のないメンバーはAKB48所属。チーム別五十音順。

この他に、岩手県山田町の『やまだ観光物産館「とっと」』に展示されているジオラマ「やまだまち48」の制作に携わるため、メンバーがプライベートで定期的に訪れている[38]

さらに見る 回, 年月日 ...
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関連書籍

  • 「AKB48、被災地へ行く」 石原真 著(2015年10月21日発行、岩波ジュニア新書 ISBN 978-4-00-500816-2
    • 慰問活動開始から執筆時点までの様子をまとめたルポルタージュ。

脚注

関連項目

外部リンク

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