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ほていや (ユニー)
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株式会社 ほていやは、中部と関東でスーパーマーケットなどを店舗展開していた株式会社である。 食品や文化品はセルフサービス方式の売り場となっていたが、衣料品は対面販売を続けていた[6]。
1969年(昭和44年)8月に「タキヒョー」や「株式会社 西川屋チェン」と共同仕入れ会社の「株式会社ユニー(初代)」を設立し[7]、1971年(昭和46年)2月21日に当社が「西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併し[4]、経営統合した[8]。
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概要
要約
視点
創業から戦時統制での休業へ
「古川政次郎」が1927年(昭和2年)に[9][10]、遠縁にあたる[9]水野常蔵氏が1912年(大正元年)に横浜市伊勢佐木町に開いた「越後屋呉服店」[11]に1年ほど勤めたのちに独立[9][注釈 1]。
1929年(昭和4年)2月24日には「古川呉服店」として[13]、横浜市伊勢佐木町で間口二間半・奥行四間半の店舗を開いたのが始まりである[14]。 開業当初は一般的な呉服太物を取り扱っていたものの[9]、早々に「モスリン」専門店となり[9]、「古川モスリン店」と称した[15]。
その後、業績拡大と共に呉服を再び取り扱うようになり、販売力のある店舗として同業社内でも注目されるようになった[9]。
しかし、その後の戦時体制下での繊維統制の影響で事業を休止した[14]。
戦後の再開から全国5位のスーパーへ
戦後の1945年(昭和20年)に[16]、古川政次郎が横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]。 弟の古川秀一は名古屋市大須で「古川呉服店」を開業した[14]。
「古川呉服店」を古川秀一の縁故者が開いていた「今枝呉服店」と「猪飼呉服店」を統合する形で事業拡大を目指すこととし[17]、1950年(昭和25年)3月13日に資本金50万円で[1][4]「株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開いた[17]。
1951年(昭和26年)には仕入部を設置してチェーン本部機能を整え始め、1953年(昭和28年)に古川政次郎が経営していた会社も経営統合し、1958年(昭和33年)には全店一括の仕入部を設置するなど体制整備を進め、東海道を結ぶチェーン展開を目指していった[19]。 そして、呉服の専門店から品ぞろえを広げるため、1958年(昭和33年)に洋品売り場を開設し[20]、1959年(昭和34年)には全店に洋品雑貨を取り入れて呉服店から総合衣料店に転換した[21]。
その後、1961年(昭和36年)12月8日に浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開き[23]、1962年(昭和37年)5月20日に[24]横浜市の弘明寺で生鮮3品を含めた食料品も扱うスーパーマーケットを開設した[25]。
1962年(昭和37年)6月には「株式会社 ほていや(初代)」へ社名を変更し[18]、同年8月に[26]「株式会社 ほてい産業」を縫製部門として設立した[27]。
1963年(昭和38年)に物品購入部門の「株式会社 ほてい物産」と「株式会社 関百貨店」を設立[27]。 同年10月には、本社ビルとして「ほていやセンタービル」を開設した[27]。
また、京都の「嵯峨野の美しさ」から名称を採った[28]「株式会社 嵯峨美」を1964年(昭和39年)に設立して[27]、伊勢佐木町4丁目に出店し[28]、横浜ではトップクラスの高級品を扱う呉服専門店となるなど、呉服の販売にも力を入れていた[28]。
1967年(昭和42年)8月に「株式会社 関東ほていや」を設立し、1968年(昭和43年)8月には「株式会社 中部ほていや」を設立して、各々の地区ごとの営業部門を移管し、当社は両社への商品供給などの業務を行うようになった[18]。
当社は、ユニーとして経営統合する直前には、店舗数80で売上高約635億円を上げ、全国第5位のスーパーマーケットチェーンへと発展していた[8]。
提携から経営統合によるユニーへ
1969年(昭和44年)3月11日に「松喜屋」と合併契約を締結して傘下に入れ[29][30]、同月に三井物産と提携した[31]。 同年8月にタキヒョーや西川屋チェンと共同仕入れ会社の株式会社ユニー(初代)を設立し[7]、同年9月には仕入れと支払業務を同社に移管した[32]、1970年(昭和45年)2月にはタキヒョーや西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]。 同年10月にはユニードと衣料品の海外での共同生産を開始した[34]。 同年11月17日に[35]ほていやの不動産会社・名浜株式会社が[36]トヨタ自動車販売との折半出資で東名クラウン開発株式会社を設立[37]。 同年にはその他にも焼津の「大勝堂」を傘下に入れている[31]。
1970年(昭和45年)2月にタキヒョーや西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]。
そして、1971年(昭和46年)2月21日に「西川屋チェン」と経営統合するため[8]、同社や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となった[4]。 同時に、「株式会社 関東ほていや」は「株式会社 関東ユニー」に、「株式会社 中部ほていや」は「株式会社 中部ユニー」となり、引き続き店舗の営業を行った[18]。
この経営統合後、仕入れも本部も資本面も、西川屋系とほていや系は別になっており、「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」は実質的にほていや系として営業を続けた[8]。
その為、上場による更なる発展を目指して完全に統合することとし[38]、1975年(昭和50年)2月21日に株式会社ユニー(2代目)が「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」のほか「株式会社 東海ユニー」を吸収合併した[4]。
その後、1974年(昭和49年)4月15日には完全子会社として「株式会社さが美」を設立して[39]、同年8月に同社に呉服部門を継承させて「株式会社ユニー(2代目)」から分社化した[40]。
1976年(昭和51年)8月21日には株式会社ユニー(2代目)が「名浜株式会社」と「株式会社松喜屋」のほか「株式会社西川屋」と「犬山食品株式会社」を吸収合併した[4]。
なお、猪飼社長達が1975年(昭和50年)に商標権を買戻し[41]、呉服部門の拡充して保有する商標に合わせる形で1976年(昭和51年)に「株式会社 ほてい産業」が「株式会社 ほていや(2代目)」へ社名を変更[42]。 呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]。
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年表
- 1927年(昭和2年) - 「古川政次郎」が「越後屋呉服店」に勤め始める[9][10]。
- 1929年(昭和4年)2月24日 - 「古川政次郎」が横浜市伊勢佐木町で「古川呉服店」を開業[13]。
- 1945年(昭和20年)[16] - 古川政次郎が、横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]。
- 1950年(昭和25年)3月13日 - 資本金50万円で[1][4]「株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開業[17]。
- 1951年(昭和26年) - 仕入部を設置してチェーン本部機能を開始[19]。
- 1953年(昭和28年) - 古川政次郎が経営していた会社を経営統合[19]。
- 1958年(昭和33年) - 全店一括の仕入部を設置[19]。洋品売り場を開設[20]。
- 1960年(昭和35年)3月 - 「株式会社 ほてい商事」を設立[18][43]。
- 1961年(昭和36年)12月8日 - 浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開業[23]。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年) - 「株式会社 嵯峨美」を設立[27]
- 1965年(昭和40年)9月20日 - 「株式会社 ほてい商事」を合併[4]。
- 1967年(昭和42年)8月 - 「株式会社 関東ほていや」を設立[18]。
- 1968年(昭和43年)8月 - 「株式会社 中部ほていや」を設立[18]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)2月21日 - 「株式会社西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となる[4]。
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
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かつて存在した店舗
愛知県
名古屋市
中区
- 中店(?、1950年(昭和25年)6月開店[49])
- 売場面積53m2[49]
- 売場面積54m2[49]
- 万松寺嵯峨美(名古屋市中区裏門前町1-64[50]、?開店)
- 売場面積40m2[49]
中村区
東区
北区
西区
千種区
瑞穂区
尾張(名古屋市以外)地区
三河地区
豊田市
西三河(豊田市以外)
豊橋市
岐阜県
- 岐阜嵯峨美(岐阜市神田町5-18[1]、?開店)
- 売場面積429m2[23]。
- 売場面積165m2[23]。
静岡県
静岡市
- 売場面積2,500m2[73]。
- 取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[73]。
- ほていや呉服町センター店(1,380m2)と呉服町フード店(780m2)、呉服町ニューほていや店(1,450m2)の3店として出店した[76]。
- 売場面積825m2[77]。
浜松市
焼津市・藤枝市
沼津市
磐田市
長野県
北陸地区
富山県
石川県
- 敷地面積約1,700m2[91]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[91]、延べ床面積約6,370m2[91]、売場面積3,200m2[90]。
- 取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[90]。
- 地下鮮魚部は「近江町センター」が出店していた[92]。
- 金沢店(830m2)とサガミ金沢店(790m2)、金沢フード店(780m2)、ニューほていや金沢店(1,000m2)の4店として出店した[93]。
- 跡地の建物は改装され[94]、当社の呉服専門店子会社のさが美が運営する「竪町パティオ」が1979年(昭和54年)4月28日に開店した[95]。
- 2006年(平成18年)2月から建て替えを始め[96]、2007年(平成19年)4月20日に金沢パティオがオープン[97]。
福井県
関東地区
東京都
神奈川県
横浜市
- 売場面積50m2[104]。
- 売場面積5,100m2[107]。
- 売場面積137坪[109]
- 売場面積1,254m2[103]。
横須賀市
その他
- 売場面積3,447m2[112]。
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過去に存在した事業所
過去に存在した関連会社
- 不動産賃貸業・保険代理店[114]
- 不動産管理[115]
- 株式会社 ほてい商事(名古屋市中区沢井町10[43]、1960年(昭和35年)3月設立[18][43])
- 株式会社 ほてい産業(名古屋市中区栄3-22-1[116]、1962年(昭和37年)8月設立[27])
呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]。
- 包装品・消耗品調達部門を独立させて設立[23]。
- ほていやフード株式会社(名古屋市中村区本陣通1-1[119]、1963年(昭和38年)設立[119])
- 株式会社 関百貨店(名古屋市中区栄3-22-1[120]、1963年(昭和38年)設立[27])
- 株式会社 関東ほていや(横浜市中区伊勢佐木町4-117[2]、1967年(昭和42年)8月設立[18])
- 株式会社 中部ほていや(名古屋市千種区千種通1-16[2]、1968年(昭和43年)8月設立[18])
- 株式会社 嵯峨美(名古屋市千種区千種通1-16[121]、1964年(昭和39年)設立[121])
- 「ほていや」のレストラン部門[122]
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脚注
関連項目
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