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よねや商事
かつて秋田県横手市に本社を置きスーパーマーケットチェーンを展開していた企業 ウィキペディアから
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よねや商事株式会社(よねやしょうじ)は、秋田県横手市に本社を置き、秋田県の県南地区でスーパーマーケットチェーンの「よねや」を展開していた企業である。

2014年に株式会社ヤマザワ(山形市)の完全子会社となり[4][5]、2023年3月1日付で同社を存続会社として吸収合併され、よねや商事は解散した[6][7][8]。事業はヤマザワが継承し、よねやとして展開していた8店舗は屋号を維持して営業を続けた[6][9]。しかし、競争の激化や地域性への対応ができなかったとして、2025年12月1日付で、秋田県内のよねや店舗は同業の株式会社ナイス(秋田市)の子会社へ会社分割により事業譲渡されることになった[10]。店舗の屋号は引き続き「よねや」が使用される[11]。
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歴史
要約
視点
創業期
よねやの創業は1956年(昭和31年)8月11日で[1]で[13]、米谷一郎が秋田県横手市に「合資会社よねや」として設立した[14]。よねやの創業前は、軍手、メリヤス、セーターなどを製造する東北繊維工業株式会社などを経営していたが、業績が低下していたため、食品販売業に転身を図り、よねやが設立された[15][16]。横手市鍛冶町にかつて入手していた旧二坂呉服店を改装し、魚、野菜、菓子などを市場価格よりも格段に安く販売した[14]。当時はセルフサービス式の店舗ではなく、対面販売の形式であったが[14]、当時の横手市内において、いわゆる「スーパーマーケット」の進出はこのよねやが最初で、後の1962年(昭和37年)に全国チェーン店である主婦の店が進出し、横手店を開店させている[13]。
その後、よねやは「量販店」として店舗展開を進め、2号店の本町店(店舗面積66m2[14])を皮切りに、大曲市(現・大仙市)や湯沢市、さらには秋田市へと出店地域を広げていった[17]。また、通常より小規模な「ミニショップ」と呼ばれる店舗も複数展開した[注釈 1][17]。
経営不振から再建へ
しかし、素人経営による安売りや無理な拡大が裏目に出て、1960年(昭和35年)12月に経営不振が表面化した[18]。そのため、再建委員会が結成され、各店舗を売却して債務返済に充てる方針が決定されたが、本店(鍛冶町店)は創業者・米谷がとある宗教団体に寄付していたため売却できなかった[18]。このような措置にも関わらず約2,000万円の債務が残ったが、1968年(昭和43年)に完済された[18]。一方、米谷は再度メリヤス業に転じて東京へ移住し、経営者不在となったよねやでは退職者が続出、残ったのは佐々木雄一ら数名に過ぎなかった[18]。よねや本店(鍛冶町店)だけが営業を続ける中、残留社員であった佐々木雄一が再建に名乗りを上げ、夫婦で5万円ずつ出資して1962年(昭和37年)4月に「合資会社雄山閣」を設立した[19]。社名には、雄大の「雄」に「大山」のような企業を築くといった意味が込められているのと、佐々木のあだ名が「雄ちゃん」であったことに由来する[19]。この際、複数の取引先から店舗の屋号変更を勧められたが、創業者の両親への配慮から「よねや」の屋号はそのまま維持された[19]。
再建への道は厳しく、1日の売上を翌日の仕入れに充てるような経営が続いたが、次第に客足は回復した[19]。1964年(昭和39年)9月には、社団法人公開経営指導協会の吉田弘に経営指導を受け、経営改善が図られた[20]。
新生よねやとして再起
1965年(昭和40年)、店舗を大改装し、スーパーマーケット「よねや」として再オープンした。それまで、よねやはスーパーマーケットを名乗っていなかったが、これは日本セルフ・サービス協会が定める「日本におけるスーパーマーケット」の定義[注釈 2]にを満たしていなかったためである。佐々木は、この基準を満たすまでは「スーパーマーケット」を称さない方針をとっていた[21]。
その後は問屋筋からの信頼も回復し、従業員も次第と増加していった[22]。この頃、再度店舗を改装し[22]、1967年(昭和42年)7月には新生よねや2号店となる大水戸店を開店した[23]。開店当初は1日16万円の売上を記録する好調ぶりを見せていたが、2ヶ月ほどで減少し始めたため、天ぷらの実演販売や化粧品コーナーの新設を行い、同年秋には開店当初の売上まで回復した[23]。その後も1969年(昭和44年)9月に双葉店、1971年(昭和46年)7月には浅舞店を開店するなど、現在の各店の基盤となる店舗網が形成された[20][23]。さらに出店を加速させる中で湯沢市への進出も検討し、1971年春に秋田市へジャスコが進出することが決定すると、地元スーパー「なかよし」と提携。「なかよし湯沢店」は他業者へ譲渡することになり、よねや湯沢店の開店が実現した[24]。
当時、独立採算システムを徹底するため、各店舗を別会社が経営していた。鍛冶町店・大水戸店・四日町店を有限会社雄山閣、双葉店を有限会社梁山伯、浅舞店を有限会社雄マート、湯沢店を有限会社なかよしを経営母体として展開していた[25]。これらの会社は1996年(平成8年)に合併し、よねや商事株式会社として発足した[26]。
1974年(昭和49年)当時の売上高は湯沢店がトップで、続いて鍛冶町店、双葉店、浅舞店と続く[27]。
大型店舗の展開
当初は小型店舗での店舗展開を行っていたが、1997年(平成9年)の大曲店の開店を皮切りに、横手西店(ハッピータウン店)や増床した稲川店のような大型店舗を展開し、時代の要求に応えられなくなった小型店舗は閉店させるなどするスクラップアンドビルドを進めていった[28][29]。これにより店舗数自体は減ったが、総売り場面積は増え、一店舗当たりの売上も上昇している[28]。
走るスーパーマーケット
仙台のほてい屋から権利を買い取り、バスの内部を改装した上で現在の移動販売のような事業を行っていた[31]。「走るスーパーマーケット」と呼ばれ、初期の販売企画の一環として行われていたが、振動やバス内の暑さで商品が痛むなど、あまり商売にならなかった[31]。また、買い取ったバスは老朽化しており、10日走ると3、4日は故障でバスが止まってしまうなどしたため、開始から10ヶ月ほどでやめてしまった[31]。
そこから50年以上経過した2015年(平成27年) 、よねやはとくし丸からノウハウの提供を受け、移動販売事業に参入した[32]。
従業員が「食べました」シリーズ
1998年頃に始まった販促企画として「よねやの従業員が食べましたシリーズ」があり、毎週日曜日の週一回行われる全体朝礼にて試食が行われ、その感想を集計したうえでチラシに掲載される[33]。従業員が試食を行うこの制度は、現場で働く従業員全員に参加が撤退されており、全店一斉に実施される[33]。これは、社長の「自分が食べてもみない商品は、勧められないし、社員が信用しない商品は、お客さまも信用しない」といった信念からである[33]。
ヤマザワグループ入りから合併まで

2012年(平成24年)9月に株式の10%をヤマザワが取得し、子会社を通じて惣菜の供給などが開始された[34][5]。2014年(平成26年)3月1日には、残りの株式をすべてヤマザワが取得し、ヤマザワの完全子会社となった[4][5]。この際、屋号は変更されなかった。
当時、ヤマザワは店舗網を山形・宮城から岩手・秋田の両県へ拡大することを目指しており、その足掛かりとしてよねや商事を傘下に収めた[35][36]。
→詳細は「ヤマザワ § 北東北への進出計画とよねや」を参照
2022年(令和4年)3月28日、ヤマザワは経営資源の集約、業務の効率化を図るとして、よねや商事を2023年(令和5年)3月1日付で吸収合併することを発表した[3][7][8]。合併の形式はヤマザワを存続会社とする吸収合併方式で、よねや商事は解散することになった[3]。ヤマザワによる吸収合併が発表された2022年には、老朽店である浅舞店、双葉店が閉店している[37][38]ほか、南店が建て替えを終えリニューアルオープンしている。南店はヤマザワのノウハウを積極的に取り入れた新たなフォーマットの店舗としてリニューアルオープンを迎えた[39]。
2023年2月27日 - 28日はヤマザワとのシステム統合のため全店舗を臨時休業[40]。2023年3月1日をもってヤマザワがよねや商事を吸収合併、よねや商事の事業をヤマザワが継承した[6]。店舗の屋号は変更されず[6]、ヤマザワ運営の「よねや」として同日より店舗の営業を再開した。3月1日から3月7日までは「ヤマザワ・よねや合併記念セール」と銘打って、ヤマザワとよねやの計69店舗(全店舗)にてセールを開催した[41]。
ヤマザワからナイス子会社へ譲渡
2025年(令和7年)9月29日、ヤマザワは、秋田県内で展開する旧よねや商事の店舗および関連事業を、同年12月1日付で、秋田市に本社を置きスーパーマーケットを展開するナイスの新設子会社・東北ナイスに、会社分割により事業譲渡することを発表した[10][42]。
譲渡の理由としては、人口減少に伴う業界競争の激化に対応するため選択と集中による組織改革が必要になったこと、さらに本部のある山形県とよねやのエリアである秋田県とでは食文化などの地域性に差があり、十分に対応できなかったことが挙げられている[10]。譲渡の対象となるのは、ヤマザワが秋田県内で展開する「よねや」6店舗と関連事業で、26億円で譲渡される[10]。発表時点では稲川店を含む7店舗が営業していたが、同月30日をもって稲川店は閉店した[10]。事業譲渡後も店舗の屋号「よねや」は継続して使用され、雇用も維持される予定である[11]。
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沿革
要約
視点
以下、注釈の無い項目は文献の情報によるもの[43]。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)4月 - 現在の会社となる「合資会社雄山閣」を設立。
- 1965年(昭和40年)12月 - スーパーマーケット「よねや」を名乗る。
- 1967年(昭和42年)7月 - 横手市大水戸町にて、新生よねや2号店となる「(旧)大水戸店」を開業。
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)4月 - 湯沢市清水町にて、「(旧)清水町店」を開業。


- 1980年(昭和55年)11月1日 - 平鹿郡平鹿町浅舞(現・横手市平鹿町浅舞)にて「(新)浅舞店」を移転開業。
- 1981年(昭和56年)10月 - 鍛冶町店改装オープン。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 4月22日 - 横手市平和町にて「南店」を開業。
- 6月 - 横手市大水戸町にて「(新)大水戸店」を開業。
- 1984年(昭和59年)11月 - きりたんぽの発送を開始。
- 1986年(昭和61年)12月17日[46] - 湯沢市清水町にて「(新)清水町店」を移転開業。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)7月 - 沼館店を改装。
- 1989年(昭和64年/平成元年)
- 6月 - 横手市赤坂にて「赤坂店」を開業。
- 11月 - 浅舞店を改装。

- 1991年(平成3年)3月1日 - 雄勝郡稲川町(現・湯沢市稲川町)にて「稲川店」を開業。
- 1992年(平成4年)
- 7月 - 湯沢サンエー店が閉店。
- 8月 - 双葉店が増床。
- 1993年(平成5年)6月 - 大水戸店が閉店。西馬音内店が増床。
- 1994年(平成6年)7月 - 南店が増床。
- 1995年(平成7年)
- 7月 - POSシステムを全店で導入。
- 10月 - オール日本スーパーマーケット協会(AJS)に入会[47]。
- 1996年(平成8年)
- 3月26日 - 鍛冶町店が閉店。
- 4月 - 各店舗を管理していた各会社が合併し、よねや商事株式会社となる。プライベートブランド「ひまわり倶楽部」発足。

- 1997年(平成9年)
- 3月20日 - 大曲市戸蒔(現・大仙市戸蒔)にて「大曲店」を開業。よねや初となる本格大型店としてオープンした[48]。
- 7月 - 双葉店に爆発物を仕掛けたとのいたずら電話が入る。
- 11月 - 赤坂店を閉店した上、13日にハッピータウン開業と共に「横手西店(ハッピータウン店)」を開業。
- 12月 - 稲川店が増床。
- 1998年(平成10年)5月 - 惣菜センターを旧鍛冶町店へ移転。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)11月 - 沼館店が閉店。
- 2004年(平成16年)11月 - ひまわりカードが誕生。
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年)11月 - 湯沢市と、よねや商事・タカヤナギ・中央市場・バザールの4社で、災害発生時に生活物資を被災者へ供給する協定を締結[53]。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)9月 - 全店9時開店となる[56]。
- 2013年(平成25年)12月 - オール日本スーパーマーケット協会を退会し、ニチリウグループへ[56]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年) - 本部を鍛冶町から卸団地(横手卸センター)内へ移転[59]。
- 2017年(平成29年)7月 - 浅舞店を改装[60]。
- 2018年(平成30年)
- 2020年(令和2年)3月 - 大仙市佐野町にて「大曲中央店」を開業[63][64]。
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
- 2024年(令和6年)8月29日 - 大曲中央店が閉店[64]。
- 2025年(令和7年)
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店舗一覧
要約
視点

- ハッピーモール店(2015年(平成27年)10月8日 -)秋田県横手市横手町五ノ口36-1
かつて存在した店舗
店舗が店名を変えずに場所を移転している場合、元店舗を「旧」と表現し廃店舗とみなす[注釈 3]。

- 横手西店(ハッピータウン店)(1997年(平成9年)11月13日[92] - 2015年(平成27年)9月30日[93])秋田県横手市条里3丁目2-7(旧横手市横手町字一ノ口35-8[92])
- 店舗面積1,675m2[92]
- 大曲店で得たノウハウを活かし、自社競合が予測される赤坂店を閉店した上で、よねやの旗艦店としてハッピータウンの開業と当時にオープン[94]。太鼓などを用いたオープニングセレモニーが開催された[94]。
- 店内には「酒のロッキー」が出店、ゲームコーナーなども併設されていた[29]。
- ハッピータウンは、よねや商事などが出資して設立した「横手エス・シー」が、横手市内としては初となるオープンモール型のショッピングセンターとして開業[95][96]。よねやの他に地場ホームセンターの「ハッピー」や衣料品店「しまむら」などが出店した[29]。
- 売上としては、当時よねや全店の1⁄4を占めていた[71]。
- ハッピーモール店として移転するため閉店[93]。
- 浅舞店(1980年(昭和55年)11月1日[97] - 2022年(令和4年)9月30日[37])横手市平鹿町浅舞字浅舞47[97]
- 旧店舗から道路を挟んで斜め向かい側に移転し、開業した。商店街の中に立地していたため、郊外に出店する大型店との競合に苦慮した。その影響は、分割して点在する駐車場の配置にも表れている[98]。
スーパーマーケット以外の業態
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ポイントカード
自社カードの「ひまわりカード」が利用可能である[103]。同カードにはヤマザワ系電子マネーの「NICOCA(にこか)」が搭載されている[103]。
ひまわりカード

電子マネー機能付きのポイントカードで、よねや各店および加盟店で利用することができる。2004年(平成16年)11月1日に初めて導入され[104]、2015年(平成27年)に「新・ひまわりカード」として一新された。2004年の導入前は「Yカード」や「エスカレートカード」などが存在していた[104]。
ひまわりカードのポイント料率は300円(税抜)ごとに1ポイント[103]。2022年8月31日までは200円(税抜)ごとに1ポイントの加算だったが、翌日の9月1日より現在の料率へと変更された[105]。カードの最終利用から1年経過すると、会員資格およびポイントが失効する[103]。
発行手数料は100円(税込)で、入会費や年会費は無料[103]。
ヤマザワとの合併後もひまわりカードの使用は可能とされているが[106]、ポイント10倍の開催日が毎週木曜日・日曜日および毎月8のつく日だったのが、3月1日より毎週金曜日・日曜日へと変更となった[40]。
2023年(令和5年)11月1日、ひまわりカードやにこかカードなどヤマザワ自社カードを廃止し、2024年春より楽天ポイントカード・楽天Edy機能を搭載した「ヤマザワ Edy-楽天ポイントカード」を新たに発行する旨を発表した[107]。
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きりたんぽセット
1984年(昭和59年)頃から「よねやふるさと便発送本部」によるきりたんぽセットの発送を行っている[108]。秋田県の郷土料理、きりたんぽ鍋を作るのに必要な食材などがセットになっているもので、全国からの配送を受け付けている(ただし、沖縄県を除く離島へは配送不可)。配送の受付は毎年10月頃から2月頃まで行っている(2022年シーズンは10月1日から翌年2月23日[109])。
内容物としては、きりたんぽ、比内地鶏、比内地鶏スープ、セリ(湯沢市三関産)、ネギ、マイタケ、ゴボウのささがき[注釈 5]、糸蒟蒻、油揚げの他、作り方が記載されたパンフレットがある[110]。
関連企業
参考文献
- スーパーマーケットよねや『スーパーマーケットよねや社史 創立20周年記念』よねや商事株式会社、1975年。
- スーパーマーケットよねや記念誌編集委員会『スーパーマーケットよねや 創業40周年記念誌』スーパーマーケットよねや、1995年。
- スーパーマーケットよねや記念誌編集委員会『スーパーマーケットよねや創業50周年記念誌』スーパーマーケットよねや、2005年。
- 横手市編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。
- スーパーマーケットよねや記念誌編集委員会『スーパーマーケットよねや 創業60周年記念誌』よねや商事、2015年。
脚注
外部リンク
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