トップQs
タイムライン
チャット
視点

アイク・デービス

ウィキペディアから

アイク・デービス
Remove ads

アイザック・ベンジャミン・デービスIsaac Benjamin Davis, 1987年3月22日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ヘネピン郡イーダイナ出身の元プロ野球選手一塁手投手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...

ユダヤ系アメリカ人である。父はかつてミネソタ・ツインズヤクルトスワローズなどに所属した元プロ野球選手のロン・デービス

Remove ads

経歴

要約
視点

プロ入りとメッツ時代

Thumb
ニューヨーク・メッツ時代
(2010年2月27日)

2008年MLBドラフト1巡目(全体18位)でニューヨーク・メッツから指名され、契約金157万5千ドルで契約し、背番号は父のロンが現役時代に付けていた39を選択[1]

2009年は、A+級セントルーシー・メッツとAA級ビンガムトン・メッツで計114試合の出場で、打率.298・20本塁打・71打点を記録し、メッツ傘下の最優秀マイナー選手に選出された[2]。また、9月に第38回IBAFワールドカップアメリカ合衆国代表に選出された。同大会では金メダルを獲得[2]

2010年は開幕をAAA級バッファロー・バイソンズで迎えた。10試合で打率.364を記録すると、4月19日にメジャー昇格[3]。4月23日のアトランタ・ブレーブス戦にて川上憲伸からメジャー初本塁打を記録した。シーズン全体では、147試合に出場し、1年目から規定打席に到達。打率.264・19本塁打・71打点という打撃成績を記録した。

2011年一塁手のレギュラーとして25人枠に入る。好調な滑り出しをみせたが、左足首を負傷、結局36試合にしか出場できなかった。最終的な成績は打率.302、HR7本、OPSは.925。

2012年は打率こそ.227と低迷したが、32本塁打・90打点と長打力の面では大きく飛躍した。

2014年は、開幕戦をスタメンで迎えた。その後、ルーカス・ドゥーダの台頭があり、控えとなった。4月5日のシンシナティ・レッズ戦で、代打で満塁本塁打を記録した[4]

パイレーツ時代

Thumb
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2014年5月1日)

2014年4月18日にトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[5]。4月21日のレッズ戦で満塁本塁打を記録し、MLB史上3人目の他チームで同一チームから満塁本塁打を記録した選手となった。また、4月に2本の満塁本塁打を記録したMLB史上初めての選手となった。しかし、チームには他にもギャビー・サンチェスアンドリュー・ランボーが一塁手としてプレーしていたため、彼らと併用された。オフの11月20日にDFAとなった[6]

アスレチックス時代

2014年11月23日にトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[7]

2015年4月21日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦では、投手として登板した[8]。5月18日に故障者リスト入りした[9]。8月16日のボルチモア・オリオールズ戦では再度、投手として投げ1.0イニングを1安打1四球1奪三振・無失点で切り抜けた[10]。この年は一塁手の控えとして74試合に出場。打率.229・17二塁打・3本塁打・20打点だった。守備では65試合で一塁守備に就き、4失策守備率.993・DRS - 1という成績に終わった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[11]

レンジャーズ傘下時代

2016年2月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。開幕はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎え、39試合に出場して打率.268・4本塁打・25打点の成績を残した。6月12日に自ら選んで契約を途中で放棄するオプトアウトを行使した[13]

ヤンキース時代

2016年6月12日、オプトアウトを行使した同日中にニューヨーク・ヤンキースとメジャー契約を結び、25人枠入りした[14]6月25日にDFAとなり、27日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースへ配属された。8月10日に自由契約となった[15]。8月26日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選イスラエル代表に選出された[16]

ドジャース傘下時代

2017年1月27日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[17]。開幕前の2月8日に第4回WBC本戦のイスラエル代表に選出された[18]。シーズンでは不振で大学以来となる投手に転向し、8月6日にルーキー級で初登板をした[19]。オフにFAとなった。

2018年11月7日に現役引退を表明した[20]

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 29(2010年 - 2014年途中)
  • 15(2014年途中 - 同年終了)
  • 17(2015年)
  • 24(2016年)

代表歴

アメリカ合衆国代表
  • 2009 IBAFワールドカップ アメリカ合衆国代表
イスラエル代表
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads