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アベイ・ド・ロンシャン賞
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アベイ・ド・ロンシャン賞(仏: Prix de l'Abbaye de Longchamp)は、フランスギャロが凱旋門賞ウィークエンドの2日目にフランス・パリロンシャン競馬場の芝直線1000メートルで施行する競馬の平地重賞競走である。モーリス・ド・ゲスト賞と並ぶフランス短距離路線の最高峰競走としてグループ1(G1)に指定されている。
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概要
1957年にパリロンシャン競馬場の100周年を祝いムーラン・ド・ロンシャン賞とともに創設。競走名のアベイとは修道院のことであり、かつて競馬場の北端に建っていた女子修道院[注 1]にちなみ名付けられた。創設時から現在と同じパリロンシャン競馬場の直線芝1000メートルで凱旋門賞と同日に施行されている。
本競走は創設時から2歳から出走が可能であり、最初の10年間は第1回からテクサナが優勝[注 2]するなど2歳馬が6勝と古馬と互角に渡り合っていた。しかし、1967年に地元の2歳馬ゼダーンが英国生産のドイツ調教馬ペンタスロンの2着に敗れた後、2歳馬の優勝は1978年のシジーによる1回だけである[注 3]。1968年以降は英国をはじめとする外国からの遠征馬が優勢となっており地元のフランス調教馬も勝てていない[注 4]。1997年にはジュライカップとモーリス・ド・ゲスト賞を含む6連勝中のフランス調教馬アナバーがクビ差の2着に敗れた。だが、彼に勝ったのは同厩馬のキステナ[注 5]でありシジー以来18年ぶりとなるフランス調教馬の勝利は果たされている。
日本では1999年にエルコンドルパサーの凱旋門賞挑戦に注目が集まる中、一足早く武豊が騎乗する日本調教馬アグネスワールドが優勝したことで一躍有名な競走となった。武豊は2001年にも地元のジョン・ハモンド厩舎所属のインペリアルビューティ[注 6]で優勝している。なお、同年からせん馬にも開放され今までで最多となる19頭立てで行われた。2007年には前年のスプリンターズステークス5着で当年も出走を予定していたベンバウンが優勝している[注 7]。
欧州での競馬シーズンの終盤に開催され、欧州中からトップスプリンターが集まる事実上のフランス短距離最高峰競走であり、英国のジュライカップと並ぶ欧州短距離路線の最重要タイトルとされる。
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歴史
要約
視点
- 1957年
- パリロンシャン競馬場で行われる芝1000mの重賞競走、アベイ・ド・ロンシャン賞として創設。
- フランソワ・デュプレの所有馬である2歳牝馬テクサナ(Texana)が優勝[注 2]。
- 1958年 - 史上最少の4頭立てのレースとなる。
- 1961年 - エティエンヌ・ポレ厩舎が、毎年違う馬での3連覇を達成。
- 1964年
- テクサナの全妹テクサニタ(Texanita)が史上初の連覇。
- フランソワ・デュプレが馬主として史上初の3連覇。
- 1966年 - フランソワ・マテ厩舎が5連覇を達成。
- 1967年 - ドイツ調教馬ペンタスロン(Pentathlon)が外国調教馬として初めて優勝。
- 1971年 - グループ制の導入に伴い、G2に格付け。
- 1976年
- G1に昇格。
- メンディップマン(Mendip Man)とジョンティオンブル(Gentilhombre)が同着優勝。
- 1977年 - ジョンティオンブルが史上2頭目の連覇。
- 1982年 - 一昨年・前年と続けて2着だったシャーポ(Sharpo)が優勝。
- 1985年 - コミッティド(Committed)が3頭目の連覇。
- 1986年 - ダブルシュワルツ(Double Schwartz)が優勝、父・ダブルフォーム(Double Form)との史上初の父仔制覇。
- 1988年 - 1位入線のカドージェネルー(Cadeaux Genereux)が最下位に降着。
- 1993年 - 史上最大の6馬身差でロックソング(Lochsong)が優勝。
- 1994年 - 5馬身差でロックソングが史上4頭目の連覇。
- 1999年 - 日本調教馬のアグネスワールドが優勝、同厩舎のドージマムテキは13着。
- 2001年 - 出走条件を緩和し騸馬にも開放。
- 2005年 - 2003年優勝馬パタヴェリアン(Patavellian)の半弟エイヴォンブリッジ(Avonbridge)が優勝。
- 2008年 - ハンガリー調教馬のウーヴェルドーズ(Overdose)が1位入線(0.54.5)するも、ゲートの故障によりフリーティングスピリット(Fleeting Spirit)がスタートできておらずレース不成立。再レースとなったがほとんどの馬はゴールまで走り切っており、ウーヴェルドーズを含む3頭が疲労により出走を取り消した。
- 2009年
- ブリーダーズカップ・チャレンジシリーズに編入。優勝馬はブリーダーズカップ・ターフスプリントへの優先出走権が与えられることになる。
- トータルギャラリー(Total Gallery)が優勝、父・ナミド(Namid)との史上2頭目の父仔制覇。
- 2010年 - 史上最多の21頭立てのレースとなる。
- 2011年 - ブリーダーズカップ・チャレンジシリーズから除外[注 8]。
- 2012年 - 賞金総額が30万ユーロから35万ユーロに増額。
- 2016年・2017年 - シャンティイ競馬場で代替開催。
- 2022年 - ザプラチナムクイーン(The Platinum Queen)が2歳馬として44年ぶりの優勝。
歴代優勝馬
日本調教馬の成績
→詳細は「日本調教馬の日本国外への遠征 § アベイ・ド・ロンシャン賞」を参照
日本人騎手の成績
日本調教馬以外での騎乗成績
優勝馬の日本への輸入
フランスでカロなどの産駒を輩出していたフォルティノが1969年に輸入され、1973年にシルバーシャークとディープダイバー、1974年にサンフォードラッド、1975年にモバリッズ[注 9]が続いた。中でもフォルティノは重賞馬を数頭産出し、代表産駒シービークロスは1979年に重賞3勝や天皇賞(春)で3着と活躍した。そうした結果もあり、フォルティノの孫で本競走を連覇したジョンティオンブルも1980年に輸入される。ジョンティオンブルは初年度に重賞2勝のキタヤマザクラと重賞3着を2頭出すに止まり、これ以降は本競走優勝馬は輸入されていない。
彼らの中で最も成功した直系にシービークロスの仔タマモクロスがいるが、日本ではむしろ母の父としての影響が強い。フォルティノは日本ダービー馬サクラシヨウリ、シルバーシャークはJRA顕彰馬オグリキャップと桜花賞馬オグリローマンの兄妹、モバリッズは2年連続JRA賞最優秀スプリンターのバンブーメモリーと直仔にはいなかった一線級の馬が産出されている。ジョンティオンブルも彼らほどではないが2頭の重賞馬がおり、2代母の父としても秋華賞馬ティコティコタックを産出した。
記録
- レースレコード - 0:54.30(1983年優勝馬ハビブティ)
- 最多優勝騎手(5勝) - イヴ・サンマルタン(1962年、1963年、1965年、1966年、1975年)
- 最多勝調教師(7勝) - フランソワ・マテ(1957年、1958年、1962年〜1966年、1974年)
- 最多勝馬主(4勝)
- フランソワ・デュプレ(1957年、1962年〜1964年)
- ロバート・サングスター(1984年、1986年、1988年、1997年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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