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イギリスの首相の一覧

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イギリスの首相の一覧
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イギリスの首相の一覧(イギリスのしゅしょうのいちらん)は、イギリス政府の長であり、閣議内閣の会議)の議長を務めるイギリスの首相の一覧である。

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本項では現在のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国、およびその前身であるグレートブリテン及びアイルランド連合王国、グレートブリテン王国の首相を扱う。

概要

イギリスの首相は、(アメリカ合衆国大統領等と異なり)ある時点において創設されたものではなく、長い年月を経て進化してきたものであるため、イギリスにおいて首相職が最初に出現した具体的な日付は存在しない[2]

首相を指す「Prime Minister(プライム・ミニスター)」という用語は、1805年に議会下院庶民院で使用され[3]1880年代までには議会で使用されたことが確かであり[4]1905年に首相のポストは宮中席次英語版において公式に認められた[5]

近現代史研究家らは一般的に、1721年から1742年までの21年間グレートブリテンの政府を率いた[6][7]ロバート・ウォルポールが初代首相であると考えている。この定義に従うと、ウォルポールはイギリス史上最も長い期間首相を務めた人物でもある[8]

しかしながら、公式の宮中席次で厳密に言及される場合は、ヘンリー・キャンベル=バナマンが初代首相であり、マーガレット・サッチャー(在任:1979年 - 1990年)が最も長い期間首相を務めた者(11年と209日。歴代首相では7番目)である[9]。首相の肩書きを公式に使用した最初の首相は、1878年ベルリン条約で"Prime Minister of her Britannic Majesty"として署名したベンジャミン・ディズレーリである[10]

厳密に解釈すれば、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の最初の首相は、小ピットであった[11]。現在のイギリスである「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の最初の首相はボナー・ローであったが[12]、公式にはスタンリー・ボールドウィンが首相であった1927年までの間、国名は改称されなかった[13]

首相のポストは漸進的に進化してきたために、「首相」の称号は初期の首相には遡及的にのみ適用される[14]。このことは、時として学術的な議論を起こしている。初代バース伯爵ウィリアム・パルトニー第2代ウォルドグレイヴ伯爵ジェイムズ・ウォルドグレイヴの両名は、首相の一覧に記載されることもある[15]。バース伯爵は1746年ヘンリー・ペラムの辞任を受けて、組閣を打診された[16]。ヴォルドグレイヴ伯爵も1757年ウィリアム・ピット(大ピット、第1次デヴォンシャー公爵内閣の最有力人物)の罷免を受けて、同様に打診された[17]。だが、両者とも政府を組織するために十分な議会の支持を得ることが出来なかった。バース伯爵はわずか2日後に[15]、ウォルドグレイヴ伯爵も4日後に[17]、それぞれ退陣した。現代の学術的な意見は、両者とも首相職を保持した人物とは見なされないものとすることで一致しており[18]、首相の一覧にも記載されない。

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1721年以前

ハノーヴァー朝以前のイングランド王国大蔵省大蔵卿英語版Lord High Treasurer)が率いていた[19]。大蔵卿はテューダー朝後期にはすでに国務大官の1つとされており[19]、度々政府を主導する人物として扱われた。例えば、1547年から1549年までの大蔵卿初代サマセット公爵エドワード・シーモア[20]は未成年のエドワード6世の治世に護国卿を務め[20]、1572年から1598年までの大蔵卿初代バーリー男爵ウィリアム・セシル[21]エリザベス1世の重臣として国政を主導した[21]。バーリー男爵の息子にあたる初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルは1598年から1603年までエリザベス1世の首席大臣を務め、ジェームズ1世の治世では1608年から1612年まで大蔵卿を務めた[22]

ステュアート朝後期の大蔵省は大蔵卿1人ではなく、第一大蔵卿を長とし大蔵卿委員英語版Lords of the Treasury)で構成される大蔵卿委員会が率いることが多かった[23]。最後の大蔵卿となった初代ゴドルフィン伯爵シドニー・ゴドルフィン(在任:1702年 – 1710年)と初代オックスフォード=モーティマー伯爵ロバート・ハーレー(在任:1711年 – 1714年)[24]アン女王の治世に政府を率いた[25]

1714年にジョージ1世が即位した後、大蔵卿は任命されず、大蔵卿委員会が常設となった[26]。その後の3年間で政府を率いたのは北部担当国務大臣第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドだった[27]。タウンゼンド子爵の後は初代スタンホープ伯爵ジェームズ・スタンホープ第3代サンダーランド伯爵チャールズ・スペンサーが共同で政府を率い[28]、スタンホープが外交を、サンダーランドが内政を担当した[28]。スタンホープが1721年2月に死去、サンダーランドが同年4月に辞任すると[28]、タウンゼンド子爵とロバート・ウォルポールが後任となった[29]。それ以降、第一大蔵卿の官職に任命された人物は(非公式ながら)首相とされた。「首相」が公式に官職として設立されたのは時代を下ってエドワード朝のことである[14]。現代では首相が第一大蔵卿に任命されることは慣習法として定着しているが[30]、1766年から1768年までの首相チャタム伯爵と19世紀末に3度首相を務めたソールズベリー侯爵といった例外もある[31]

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歴代首相の一覧 (1721年以降)

要約
視点

所属政党

  国民労働党英語版
さらに見る 代, 肖像 ...
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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