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内務大臣 (イギリス)
イギリスの内務省の長 ウィキペディアから
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国王陛下の内務大臣(こくおうへいかのないむだいじん、正式名称:His Majesty's Principal Secretary of State for the Home Department、通称: Home Secretary)は、イギリスの内閣の閣僚である。内務省を統括する。
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歴史
18世紀初頭よりイギリスの国務大臣(Secretary of State)は、北部担当国務大臣と南部担当国務大臣という地域で分けた区分になっており、前者が北方外交(北欧諸国・オランダ・ドイツ諸国・ロシアなどとの外交)を担当し、後者が内務と南方外交(フランス・スペイン・イタリア諸国・トルコなどとの外交)を担当していた[2]。しかし当時のイギリスで外交上重要なのは北方外交のみであり、南方外交は重要ではなかった。そのため南方省は本土担当の専門省にすべきという意見が強まった[3]。
1782年に成立した第2次ロッキンガム侯爵内閣から職務別の区分がなされるようになり、北部省は外務省、南部省は内務省に改組された。そしてその長として外務大臣と内務大臣がそれぞれ設置された[4][2]。以降内務大臣は警察、監獄、工場、鉱山に関する官吏を統制し、また国王の恩赦に関する大権を輔弼する役割を担うことになった[5]。
しかし歴史的には警察に関する限り内務大臣の権限はさほど強くなかった。イギリスでは各地の参事会が任命に関与する治安判事指揮下のコンスタブル集団(警察官)が治安維持するという中世以来の古い体制が長くはびこり続けていたためである。19世紀以降には警察を内務大臣の強力な指揮権下に置く中央集権化改革が必要との認識が高まり、1829年の首都警察法によって大ロンドン地区には内務大臣指揮下の統一警官隊(スコットランドヤード)が創設された。しかしロンドン外の警察中央集権化改革は遅々として進まなかった。1964年警察法でようやく(中世以来の古い警察体制を温存させつつ)中央集権化の第一歩が踏み出され、内務大臣の権限強化が図られた。ついで1994年警察法、1996年警察法で内務大臣の更なる権限強化が果たされた[6]。
1996年警察法は国務大臣(内務大臣)の権限として警察の運用・構成に関する規則制定権、警察への査察権、警察予算の統制権、特別警察官(一部の地域でのみ警察官の機能を果たす補助警官)や見習い警察官の任命権、委任された場合の警官懲罰権などを認めている[7]。
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歴代の内務大臣
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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