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ウイリアンス・アストゥディーヨ

ベネズエラの野球選手 (1991 - ) ウィキペディアから

ウイリアンス・アストゥディーヨ
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ウイリアンス・ホセ・アストゥディーヨ(Willians José Astudillo、1991年10月14日 - )は、ベネズエラアンソアテギ州バルセロナ出身のプロ野球選手捕手内野手外野手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

愛称はスペイン語で亀を意味する「トルトゥーガ[1]

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経歴

要約
視点

プロ入りとフィリーズ傘下時代

2008年12月にアマチュア・フリーエージェントでフィラデルフィア・フィリーズと契約してプロ入り。

2009年に傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・フィリーズでプロデビュー。58試合に出場して打率.250、1本塁打、21打点、7盗塁を記録した。

2010年も傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・フィリーズでプレーし、56試合に出場して打率.312、24打点、9盗塁を記録した。

2011年も傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・フィリーズでプレーし、52試合に出場して打率.361、1本塁打、25打点、11盗塁を記録した。

2012年にアメリカ本土へ渡り、この年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズでプレー。45試合に出場して打率.318、21打点、2盗塁を記録した。

2013年は一年間プレーしなかった。

2014年はA級レイクウッド・ブルークロウズでプレーし、117試合に出場して打率.333、4本塁打、61打点、2盗塁を記録した。

2015年はA+級クリアウォーター・スレッシャーズでプレーし、107試合に出場して打率.314、3本塁打、49打点、1盗塁を記録した。オフの11月6日にFAとなった[2]

ブレーブス傘下時代

2015年11月19日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、2016年スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。

2016年は傘下のAA級ミシシッピ・ブレーブスでプレーし、89試合に出場して打率.267、4本塁打、30打点、1盗塁を記録した。オフの11月7日にFAとなった[2]

ダイヤモンドバックス傘下時代

2017年4月4日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。この年は傘下のAAA級リノ・エーシズでプレーし、36試合に出場して打率.342、4本塁打、22打点を記録した。オフの11月6日にFAとなった[2]

ツインズ時代

2017年11月30日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]

2018年の開幕は傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスで迎えた。6月29日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りすると[3]、翌30日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー[4]

2021年11月19日にDFAとなり、24日に自由契約となった[5][6]

マーリンズ時代

2022年3月13日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[7]。開幕は傘下のAAA級ジャクソンビル・ジャンボシュリンプで迎え、5月25日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[8]。6月26日にDFAとなり[9]、29日にマイナー契約でAAA級ジャクソンビルへ配属された[2]。7月24日に再びメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[10]が、8月1日にウェイバーとなり、レギュラーシーズン終了後の10月6日にFAとなった。

ソフトバンク時代

2022年12月20日、福岡ソフトバンクホークスへの入団が発表された[11]。背番号は4。登録は内野手。

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福岡ソフトバンクホークス時代
(2023年4月4日京セラドーム大阪

2023年オープン戦で打率.167と苦しんだが、開幕を一軍で迎え、開幕戦には7番・指名打者としてスタメン出場した。しかし、開幕後は6試合に出場して10打席無安打と不振で、4月23日に二軍に降格した。5月3日に一軍に復帰すると、同日のオリックス・バファローズ戦(福岡PayPayドーム)に6番・一塁手でスタメン出場。2回裏に田嶋大樹からレフトへの二塁打を放ち、これが来日初安打となった[12]。しかし、復帰後も打率.190、無本塁打と苦しみ、牧原大成が復帰する前日の5月26日に二軍へ降格した[13]。その後、アルフレド・デスパイネが体調不良のため登録抹消となった翌日の7月22日に一軍登録されると[14]、翌23日の千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)に5番・一塁手としてスタメン起用され、6回表に小島和哉から来日初本塁打、および初打点となる、2ラン本塁打を放った[15][注 1]。しかし、その後は打撃不振に苦しみ、8月12日に腰の張りのため登録抹消となって以降は一軍から遠ざかった[16]。結局、二軍では打率三割をマークしたものの、一軍では20試合の出場で、打率.136、1本塁打、3打点という成績に終わった。12月1日、翌年の契約を結ばないことが発表された[17]

サルティーヨ時代

エストレージャス・オリエンタレスに所属してドミニカ共和国のウインターリーグでのプレーを経て[18]2024年2月8日、メキシカンリーグサルティーヨ・サラペメーカーズへの入団が発表される[19]も。6月4日に解雇。

アグアスカリエンテス時代

2024年6月12日、アグアスカリエンテス・レイルロードメンへ移籍した[20]。同年限りで退団した[21]

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詳細情報

年度別打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

投手・捕手守備
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内野守備
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外野守備
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  • 2024年度シーズン終了時

記録

NPB

初記録

背番号

  • 64(2018年 - 2021年)
  • 37(2022年)
  • 4(2023年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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