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エイシンオスマン
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エイシンオスマン(欧字名:Eishin Osman、2008年4月29日 - )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍は2011年のニュージーランドトロフィー。
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経歴
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2010年のJRAブリーズアップセールにて、平井豊光に税込み3150万円で落札された[1]。6月20日、阪神競馬場第4レースの2歳新馬戦(芝1600m)で、岩田康誠を背にデビューし、のちの秋華賞馬であるアヴェンチュラの2着。3週間後、再び岩田とのコンビで挑んだ同会場・同距離の2歳未勝利戦で初勝利を収めた。重賞初挑戦で出走した10月のデイリー杯2歳ステークスは9着に敗れる。年末の条件戦で2勝目を挙げた。
3歳シーズンは3月のスプリングステークスより始動し5着。翌月のニュージーランドトロフィーは単勝12番人気の低評価ながら、好位2番手から直線で抜け出し重賞初優勝を飾った[3]。GI初挑戦で出走した皐月賞は果敢に逃げを打つも、直線で失速し8着に敗れた。翌5月のNHKマイルカップはフォーエバーマークの番手で粘って4着に好走したが、レース後長期休養に入った。この休養期間中に松永昌博厩舎から坂口正則厩舎に転厩。
4歳シーズンは全休し、5歳となった2013年3月のオープン・東風ステークスで約1年10か月ぶりにレースに復帰(結果は15着)。以降もオープン戦を連戦するが、全て二桁順位の惨敗に終わった。
6歳シーズンから陣営は障害路線への転向を決断。シーズン初戦の京都競馬場・障害4歳以上未勝利戦は9番人気と期待されていなかったが、スタート直後にハナを奪うとそのまま逃げ切り、ニュージーランドトロフィー以来2年10か月ぶりの勝利を収めた。次走の障害オープン戦も勝利したが、再度長期休養に入った。
結局レース復帰は叶わず、最後のレースから約1年2か月が経過した2015年5月14日付で競走馬登録を抹消され引退した[4]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[1]およびnetkeiba.com[6]に基づく。
- 障害戦は平均1F
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血統表
エイシンオスマンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | デインヒル系 |
|||
父 *ロックオブジブラルタル 1999 鹿毛 |
父の父 *デインヒル1986 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer | |
Pas de Nom | ||||
Razyana | His Majesty | |||
Spring Adieu | ||||
父の母 Offshore Boom1985 栗毛 |
Be My Guest | Northern Dancer | ||
What a Treat | ||||
Push a Button | Bold Lad | |||
River Lady | ||||
母 *ゲルニカ 1997 栗毛 |
Luhuk 1991 栗毛 |
*フォーティナイナー | Mr. Prospector | |
File | ||||
Royal Stance | Dr. Fager | |||
Royal Statute | ||||
母の母 Gouache1989 栗毛 |
*サザンヘイロー | Halo | ||
Northern Sea | ||||
Aquarelle | Logical | |||
Always Tracks | ||||
母系(F-No.) | ゲルニカ(ARG)系(FN:9-g) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer 4・4×5・5、Buckpasser 5×5、Natalma 5×5×5(父内) | [§ 3] | ||
出典 |
- 母ゲルニカは2001年パレルモ大賞などアルゼンチンでG1を4勝した実績を持つ。
脚注
外部リンク
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