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オーランド・ロマン
プエルトリコの野球選手 (1978 - ) ウィキペディアから
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オーランド・ブルーノ・ロマン(Orlando Bruno Román、1978年11月28日 - )は、プエルトリコ自治連邦区バヤモン出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
要約
視点
マイナー時代
1999年のMLBドラフト31巡目でニューヨーク・メッツに入団。しかし、メジャーに昇格することはなく、マイナー球団を転々としていた。
2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCのプエルトリコ代表に選出された。
第一次兄弟エレファンツ時代
2010年は中華職業棒球大聯盟の兄弟エレファンツに入団。登録名は「羅曼」。4月16日の興農ブルズ戦で9回無失点と好投し、来台初勝利・初完封を飾った。同年は、リーグ最多の193イニングを投げ最多奪三振のタイトルを獲得した。
2011年は2年連続でリーグ最多の投球回を投げ、最多奪三振・最多勝のタイトルを獲得した。しかし同時に、リーグワーストとなる185安打を打たれた。
ヤクルト時代
2012年1月13日に東京ヤクルトスワローズと1年契約を結んだ[1]。4月22日の読売ジャイアンツ戦で来日初勝利を挙げる[2]。この年は先発ローテーションの一角として9勝をマーク。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[3]。シーズンでは最初は先発としてスタートするも、リリーフ陣の相次ぐ離脱、不調により中継ぎに回った。交流戦終盤からは先発に戻ったが安定感を欠く投球が続き、さらに外国人枠の関係もあって登板の機会が中々得られなかった。8月からは再び中継ぎとして、ロングリリーフから接戦時まで多様な起用に応えた。先発では防御率7点台と結果を残せなかったが、中継ぎでは23試合で防御率1.16と安定した投球を見せ残留を勝ち取る。
2014年はクリス・ナーブソン、クリス・カーペンターの加入もあり、外国人枠の関係で二軍スタートとなった。4月12日に投手陣の補強のため、打撃不振のラスティングス・ミレッジに変わって一軍に昇格。トニー・バーネットの不在、前年終盤に抑えを務めた石山泰稚の不調を受けクローザーを任される。しかし、5月28日に右腕の変形性肘関節症と診断され全治不明の離脱となった。この年限りでの退団が濃厚と見られていたが、投球内容は良かったこともあり、球団は翌年の復活に懸け再契約した。
2015年はセットアッパーを中心に、谷間での先発も行うフル回転の活躍を果たした。後半戦以降は疲れも見せたが、10月2日の阪神戦では2イニングを無失点に抑え、優勝を決めた試合の勝利投手となった。今季は秋吉亮やローガン・オンドルセクらと共に抑えのトニー・バーネットへ繋ぐセットアッパーを担い、「14ROB」の愛称が付く活躍でチームをリーグ優勝に導いた。オフには第1回WBSCプレミア12のプエルトリコ代表に選出されたが辞退している[4]。ヤクルトとの契約延長はなく、12月に自由契約公示された[5]。
Lamigoモンキーズ時代
2016年2月11日にLamigoモンキーズと契約し、2011年以来となる台湾プロ野球復帰となった。8月には3勝0敗・防御率1.80で月間MVPに輝いた。しかしシーズン終了後に戦力外となった。
第二次中信兄弟時代
2017年2月8日に第4回WBCのプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出となった[6]。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[7]。
2017年3月30日、古巣である中信兄弟と契約した。9月1日の統一ライオンズ戦では初と来台初となる二桁奪三振を奪った。9月25日に故郷のプエルトリコを襲ったハリケーンにより州全体が停電し、家族と連絡が取れなくなったため母国へ戻り今年でチームを去る事となった。
中信兄弟退団後
2018年は所属球団なく、オフにプエルトリコのウィンターリーグでプレー[8]。
2019年11月には第2回WBSCプレミア12にプエルトリコ代表として出場[9]。大会終了後、現役を引退[10]。
引退後
2022年6月25日、富邦ガーディアンズの投手コーチに就任し[11]、指導者として5年振りに台湾球界へ復帰した。2023年限りで退任した。
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選手としての特徴
ストレートの最速156km/h、平均球速は約141km/h(2012年)。
人物
ヤクルトでチームメイトであった石川雅規はロマンの人柄について「(ロマンは)一緒にプレーした外国人の中で一番性格が良い」と語っている[13]。
同じプエルトリコ出身のディッキー・ゴンザレスとは幼馴染であり、幼少期は実家が近所であった[14]。
楽曲のサルサが好きであり、日本人サルサ楽団であるオルケスタ・デ・ラ・ルスが登場曲として「頑張れロマン」を提供した[15]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- CPBL
表彰
- CPBL
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2012年4月6日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、6回1/3を1失点6奪三振で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏に平田良介から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2012年4月22日、対読売ジャイアンツ6回戦(明治神宮野球場)、5回1/3を2失点
- 初完投勝利:2012年7月27日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回2失点
- 初完封勝利:2012年8月2日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、7奪三振
- 初ホールド:2013年5月1日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、5回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2013年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(明治神宮野球場)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- NPB打撃記録
- 初安打:2012年5月5日、対広島東洋カープ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に野村祐輔から中前安打
- 初打点:2012年5月19日、対オリックス・バファローズ1回戦(明治神宮野球場)、2回裏に木佐貫洋から左前適時打
- その他の記録
- NPB
- 1イニング3暴投:2012年7月16日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、5回裏に記録 ※史上11人目(日本タイ記録)
- CPBL
- オールスターゲーム出場:2回(2011年、2016年)
背番号
- 34 (2010年 - 2011年、2016年)
- 53 (2012年 - 2015年)
- 78 (2017年)
- 41 (2022年 - 2023年)
- 30 (2025年 - )
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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