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カルロス・バイエガ
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カルロス・オベッド・バイエガ・オーティズ(Carlos Obed Baerga Ortiz, 1968年11月4日 - )は、プエルトリコ・サンフアン出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。
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経歴
要約
視点
幼少期はプエルトリコ・リーグのサントゥルーセ・クラバーズの選手になることを夢みていたバイエガは、16歳の時にサンディエゴ・パドレスと契約する。
マイナーリーグ時代は、打撃面では好成績を残す一方、二塁・三塁・遊撃守備では毎年30失策前後と不安が残っていた。1989年のオフには、強打者ジョー・カーターとのトレードでサンディー・アロマー・ジュニア、クリス・ジェームスと共にクリーブランド・インディアンスに移籍する。
インディアンス時代
1990年はマイナーリーグAAA級で開幕をむかえたが、12試合で打率.380の成績で4月12日にメジャー初昇格、最も頼りになる代打となった[1] この年は三塁手・遊撃手として出場する。
1991年には三塁手・二塁手として158試合に出場しレギュラーの座をつかんだ。
1992年はアルバート・ベルに次ぐチーム2位の20本塁打、105打点を記録し中軸選手に成長し、初めてオールスターに選出、オフに開催された日米野球にMLB選抜として来日した。
1993年はチーム1位の打率.321、本塁打・打点は前年に引き続きベルに次ぐ2位で、初のシルバースラッガー賞にも選ばれた。また4月8日の対ニューヨーク・ヤンキース戦では、MLB史上初の1イニング左右打席本塁打も記録している[2]。この記録は、他には2002年のマーク・ベルホーンと2012年のケンドリス・モラレスだけである。2年連続の200安打・20本塁打・100打点は、1922年のロジャース・ホーンスビー以来の記録となった[3]。
1994年は1994年から1995年のMLBストライキの影響で103試合の出場にとどまったが、19本塁打、80打点を記録。
1995年にはチームのア・リーグ中地区優勝に貢献、リーグチャンピオンシップシリーズでは打率.400と活躍したが、2勝4敗で敗れたアトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは最終打者になった。好成績は残していたものの、しばしばベスト体重をオーバーし、練習中にも携帯電話を使うなど、首脳陣は問題視していた[1]。
1996年のシーズン中にインディアンスの抑え投手ホセ・メサの妻と浮気をしているとの噂が流れた際、メサは「彼が(チームから)出て行くか、もしくは自分が出て行くかだ」と語り、後の放出に繋がった[3]。
メッツ時代
1996年7月26日、ジェフ・ケント、ホセ・ビスカイーノとのトレードでアルバロ・エスピノーザと共にニューヨーク・メッツへ移籍する。メッツでは主に1・3番を打ったが[3]、移籍後の打率は.193にとどまった。
1997年は、脇腹の故障の影響で右打席には立たず[1]、1998年も故障の影響などで成績が残せず、シーズン終了後の10月28日には再契約を提示されず、フリーエージェントとなった。
現役晩年
1999年の1月にセントルイス・カージナルスと契約するが開幕前に解雇され、3月末にシンシナティ・レッズと契約する。開幕をAAAでむかえ、打率.290を記録していたが6月4日に解雇され、パドレスに移籍する。AAAでの調整後パドレスに昇格し、二塁・三塁の控え選手として出場していたが、8月16日に3年ぶりにインディアンスに移籍する。ファンに愛されていたバイエガはスタンディングオベーションでむかえられた[1]。
2000年はタンパベイ・デビルレイズと契約するものの、開幕前に契約が無効となり1シーズンプレーをしなかった。
2001年はシアトル・マリナーズと契約するものの開幕前に解雇され、独立リーグであるアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスでプレー。7月には故障により退団した元阪神のベン・リベラの代役として韓国プロ野球の三星ライオンズに入団した。この年は「インディアンスの偉大な選手100人」にも選ばれた[3]。シーズン後にはクラバーズを買収、選手兼監督となり幼少期の夢をかなえた。
メジャーからの引退を決意していたが、12月にボストン・レッドソックスと契約し、2002年は控えの二塁手・指名打者として出場した。
2003年はアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約し、控えの一塁・二塁手として好成績を残し、翌年まで在籍する。
2005年はワシントン・ナショナルズに在籍した。
引退後
現在は、ESPNのスペイン語放送の解説者をしている。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- シルバースラッガー賞(二塁手部門):2回(1993年、1994年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:3回(1992年、1993年、1995年)
- ア・リーグ最多単打:152本(1992年)
- シーズン200安打:2回(1992年、1993年)
- 1イニング左右両打席本塁打(1992年)
背番号
- 9(1990年 - 1996年、1999年)
- 6(1996年)
- 8(1997年 - 1998年)
- 1(1999年)
- 12(2001年)
- 10(2002年)
- 3(2003年 - 2004年)
- 5(2005年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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