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サンディー・アロマー・ジュニア
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サントス・アロマー・ベラスケス・ジュニア(Santos "Sandy" Alomar Velazquez, Jr. , 1966年6月18日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手。現在はMLBのクリーブランド・ガーディアンズでコーチを務めている。右投右打。
父はサンディ・アロマー・シニア、弟はロベルト・アロマー。
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経歴
父サンディー・シニアがコーチを務めていたサンディエゴ・パドレスに弟ロベルト共々入団。 捕手として大いに期待されるが、当時パドレスにはベニート・サンティアゴがおり、なかなかメジャーでの出場機会に恵まれず、1988年9月30日にメジャーデビューを果たすも、2年間で合計8試合の出場に終わった。 1989年にはマイナーリーグの年間最優秀選手に選ばれたが、この年を最後にジョー・カーターとの交換で、カルロス・バイエガと共にクリーブランド・インディアンスに移籍。
1990年にはオールスターにファン投票で選出されて先発出場。 新人捕手のオールスター先発出場は史上初であった。 この年、132試合に出場して打率.290、本塁打9、打点66の成績を残し、守備面でも活躍し、ア・リーグ新人王[1]とゴールドグラブ賞を受賞した。
以後数年間は故障が多く、欠場がちとなった。 チームが41年ぶりにワールドシリーズに進出した1995年も66試合の出場に終わる。 1996年には6年ぶりに100試合を越す127試合に出場し、オールスター出場。 翌1997年には30試合連続安打を記録し、自己最多となる打率.324、21本塁打を記録。 本拠地ジェイコブス・フィールドで開催されたオールスターでは、決勝本塁打を打ちMVPに選ばれた。開催地のチームの選手がMVPとなるのは1972年のハンク・アーロン(ブレーブス)以来であった。 ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでも2本塁打を含む打率.316の活躍。 チームをワールドシリーズ出場に導いた。シリーズはフロリダ・マーリンズに敗れたが、アロマーは打率.367、2本塁打を記録。 6度目のオールスター出場を果たした1998年を境に、再び故障がちとなり、1999年はわずか37試合の出場に終わる。

(2007年3月11日)
2001年にはシカゴ・ホワイトソックスに移籍。 2002年途中にコロラド・ロッキーズに移籍するが翌年再びホワイトソックスに移籍。 2003年途中に弟ロベルトがホワイトソックスに移籍してきて、インディアンス時代以来3年ぶりに兄弟が同じチームの所属となったが、それは2004年途中にロベルトがアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍するまでの間であった。 弟ロベルトは2004年限りで現役引退したが、兄の方は現役を続け、2005年はテキサス・レンジャーズに移籍。 2006年はロサンゼルス・ドジャースとホワイトソックスに所属。 2007年は父シニアがコーチを務めるニューヨーク・メッツに移籍。現役20シーズンで1,377試合に出場、100試合以上出場したのはわずか4シーズンであった[1]。 2008年現役引退後はニューヨーク・メッツの捕手コーチを経て2010年よりインディアンスにコーチとして復帰しており、2012年9月には監督代行を務めた。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 捕手守備
- 一塁守備
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
背番号
- 4 (1988年)
- 17 (1989年)
- 15 (1990年 - 2002年7月29日, 2003年 - 2004年, 2005年)
- 25 (2002年7月31日 - 同年終了, 2006年 - 同年7月23日)
- 26 (2006年7月25日 - 同年終了)
- 19 (2007年 - 同年途中)
- 28 (2007年途中 - 同年終了)
表彰
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脚注
関連項目
外部リンク
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