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コディ・ロス
アメリカの野球選手 (1980 - ) ウィキペディアから
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コディ・ジョゼフ・ロス(Cody Joseph Ross, 1980年12月23日[1] - )は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ルーズベルト郡ポーテイルズ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投右打。
同じくメジャーリーガーのトレバー・ロジャースは従兄弟にあたる[2]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとタイガース時代
1999年のMLBドラフト4巡目(全体117位)でデトロイト・タイガースから指名され、プロ入り。
2003年1月23日にタイガースと1年契約に合意。3月12日に傘下のAAA級トレド・マッドヘンズへ異動した。7月4日にメジャー初昇格を果たし、同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー。「7番・右翼手」で先発出場し、2打数無安打に終わった。7月17日にAAA級トレドへ降格。9月1日に再昇格したが、9月3日に膝を故障し、残りのシーズンを欠場した。
2004年2月23日にタイガースと1年契約に合意。3月21日にAAA級トレドへ異動した。
ドジャース時代
2004年4月1日にスティーブ・コリヤーとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
2005年3月2日にドジャースと1年契約に合意。4月2日に傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ異動した。6月24日にメジャー昇格。7月14日にAAA級ラスベガスへ降格した。
2006年2月20日にドジャースと1年契約に合意。4月17日にAAA級ラスベガスへ降格した。4月18日にDFAとなった。
レッズ時代
2006年4月24日にトレードで、シンシナティ・レッズへ移籍した。トレード相手は後日発表選手となり、ベン・コズロースキーがドジャースへ移った。4月29日に左手の指を負傷し、5月2日に15日間の故障者リスト入りした。5月23日に復帰した。
マーリンズ時代

(2008年2月29日)
2006年5月26日に金銭トレードで、フロリダ・マーリンズへ移籍[3]。9月11日には、1試合で3点本塁打と2本の2点本塁打を放った。この年は1年間で3チームに所属したことになったが、1試合7打点を2回記録するなど、飛躍の年となった。その後もレギュラーとして活躍し、2009年には自己最多の24本塁打を記録した。
2010年2月16日にマーリンズと1年契約に合意。8月22日に年俸削減と若手起用の方針のためチームから放出された[4]。
ジャイアンツ時代

(2011年7月15日)
2010年8月22日、同様に獲得を目指していたサンディエゴ・パドレスへの移籍を防ぐ目的もあり、ウェイバー公示を経てサンフランシスコ・ジャイアンツが獲得した[5][6]。レギュラーシーズンでは33試合に出場し、打率.288、3本塁打を記録した。チームは首位を走っていたパドレスに追いつき、地区優勝を果たした。
ディビジョンシリーズでは全4試合に右翼で先発出場した。第4戦では6回表に同点本塁打を放つなど、チーム3勝のうち2試合で決勝点を打った[7]。チャンピオンシップシリーズでは[8][9]第1戦目でロイ・ハラデイから2本の本塁打を放つなど、計3本塁打を放ちMVPを獲得した。ワールドシリーズでも第3戦でコルビー・ルイスからソロ本塁打を放つなど、チームのワールドチャンピオンに貢献した。
2011年1月18日にジャイアンツと630万ドルの1年契約で合意[10]。3月31日に右脚の脹脛を負傷し、15日間の故障者リスト入りした。4月20日に復帰した。7月5日から左ハムストリングの怪我が目立つようになり、度々欠場した。9月17日に再びハムストリングを痛め、残りのシーズンを欠場した。オフの10月30日にFAとなった。
レッドソックス時代
2012年1月23日にボストン・レッドソックスと1年契約で合意。4月12日のタンパベイ・レイズ戦でバーク・ベイデンホップから移籍後初本塁打となる2 点本塁打を放った。翌日の試合でもマット・ムーアから3点本塁打を放った。 5月18日の試合で、自打球を足に当て骨折した。5月22日に15日間の故障者リスト入りし、全治6週間から8週間となった。6月16日に怪我から復帰した。この怪我の影響がありながらも130試合に出場し、22本塁打を記録した。また守備では主に右翼を守ったが、外野すべてのポジションを守った。オフの10月29日にFAとなった。
ダイヤモンドバックス時代
2012年12月22日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額2600万ドルの3年契約(2016年のオプション付き)を結んだ[12]。
2013年3月31日に左脚の脹脛の故障で15日間の故障者リスト入りし、4月13日に復帰した。8月11日の試合で一塁へ走塁中に右腰を故障し、翌12日に15日間の故障者リスト入りした[13]。9月2日に60日間の故障者リストへ異動し、残りのシーズンを欠場した。オフの11月1日に故障者リストから外された。
2014年3月19日に前年の故障の影響で、15日間の故障者リスト入りした。4月3日にリハビリのため、AAA級リノ・エーシズへ異動した。
2015年4月4日に自由契約となった。
アスレチックス時代
2015年4月8日にオークランド・アスレチックスとメジャー契約を結んだ。5月3日にDFAとなり[14]、6日に自由契約となった[15]。
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詳細成績
年度別打撃成績
表彰
- ナショナルリーグ・チャンピオンシップシリーズMVP 1回:2010年
背番号
- 26(2003年)
- 49(2005年)
- 54(2006年 - 同年途中)
- 16(2006年途中 - 同年途中)
- 12(2006年途中 - 2010年途中)
- 13(2010年途中 - 2011年)
- 7(2012年 - 2015年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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