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マット・ムーア (野球)

アメリカの野球選手 (1989 - ) ウィキペディアから

マット・ムーア (野球)
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マシュー・コディ・ムーア(Matthew Cody Moore、1989年6月18日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州オカルーサ郡フォートウォルトンビーチ英語版出身のプロ野球選手投手)。左投左打。現在はMLBロサンゼルス・エンゼルス所属。愛称はメイティ・ムー[2]

概要 ロサンゼルス・エンゼルス #55, 基本情報 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

フロリダ州で生まれ、ニューメキシコ州アルバカーキ郊外で育つ。また、父がアメリカ空軍のヘリコプター部隊に所属する軍人だったため、その仕事の関係で7歳から11歳までの間は沖縄嘉手納基地で過ごした経験がある[3]。高校時代から91~92mph(約146.5~148.1km/h)を記録していた速球の評価は高かったが、変化球の精度と制球力に難があると言われていた[4]

プロ入りとレイズ時代

2007年MLBドラフト8巡目(全体245位)でタンパベイ・デビルレイズから指名され、プロ入り[5]。プロ初年度は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級プリンストン・デビルレイズ英語版で20回を投げ、29奪三振を奪うも16四球を出す粗削りな内容であった[4]

2008年からは球速が飛躍的に上昇する一方で、与四球率は年々低下し、好成績を残していった。

2009年はA級ボーリンググリーン・ホットロッズ英語版に所属し、123回で176奪三振を記録した。

2010年はA+級シャーロット・ストーンクラブズに所属し、144回で208奪三振を記録し、マイナー屈指の有望株に成長する。2010年シーズン終了後には、「ベースボール・アメリカ」誌選定の有望株ランキングにおいて、既にメジャーへ昇格していたジェレミー・ヘリクソンに次いで球団内2位、全体でも15位の評価を受けた[6]

2011年はAA級モンゴメリー・ビスケッツとAAA級ダーラム・ブルズで合計27試合に先発し、6月16日にはノーヒットノーランを達成するなど、12勝3敗、防御率1.92、210奪三振、WHIP0.95という圧倒的な成績を残し、マイク・トラウトブライス・ハーパーと並ぶマイナー最高級の有望株と見なされるようになる[4]。9月14日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャー初登板。初先発となった9月22日のニューヨーク・ヤンキース戦では5回を投げ、11奪三振無失点の快投でメジャー初勝利を挙げた[7]。初先発での奪三振数11は2009年にウェイド・デービスが記録した9を更新する球団新記録であり、ヤンキース相手に5回以下の投球回数で11奪三振以上を記録した史上初の投手となった[8]。プレーオフのロースターにも入り、ジョー・マドン監督はテキサス・レンジャーズとの地区シリーズ第1戦の先発にムーアを指名した。メジャーでの先発経験が1試合のみの投手がプレーオフの試合で先発した例は過去になく、奇襲とも言える抜擢だったが、その期待に見事に応え、7回2安打無失点で勝利投手になった[9]。同年12月9日にレイズと5年1400万ドル(オプションを含めると最大で8年3750万ドル)で契約を延長した[10]

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2012年9月11日

2012年は31試合に先発登板して11勝11敗、防御率3.81、175奪三振を記録した。

2013年7月31日に左肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月3日に復帰。この年は27試合に登板し、自己最多の17勝(4敗)、防御率3.29、143奪三振の成績を残した。

2014年は開幕ロースター入りし、開幕後は2試合に登板したが、4月8日に左肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[11]。4月15日にトミー・ジョン手術を翌週に行うことが発表され、シーズンを全休することとなった[12]。5月27日に60日間の故障者リストへ異動した[13]

2015年、戦列に戻り7月2日のクリーブランド・インディアンス戦にてシーズン初登板を果たした。そこから12試合に先発登板したが、3勝4敗と負け越して防御率も5.43に終わり、完全復活とはならなかった。

ジャイアンツ時代

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ジャイアンツ時代
(2016年9月16日)

2016年8月1日にマット・ダフィールーシャス・フォックスマイケル・サントスとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[14][15]。8月25日のロサンゼルス・ドジャース戦、9回二死までノーヒットで3四球だけに抑え、ノーヒットノーランまであと1人と迫ったが、この試合の133球目でコーリー・シーガー単打を打たれ偉業達成を逃した[16]。ジャイアンツ加入後は12試合に登板、6勝5敗、防御率4.08、レイズとの2球団合算では33試合に先発登板、13勝12敗、防御率4.08の成績で、自身3年ぶりの2桁勝利を記録した。10月11日、シカゴ・カブスとの地区シリーズ第4戦に先発。カブス打線を8回まで2安打、デビッド・ロスの本塁打と犠飛による2失点に抑え10三振を奪い、バッティングでも1-1の同点で迎えた4回に一死満塁のチャンスでカブス先発のジョン・ラッキーから一・二塁間を破る勝ち越しの適時打を放つ活躍を見せた。3点リードで勝利投手の権利を持ってマウンドを降りたが、9回に後続が逆転を許し勝敗はつかず、チームは1勝3敗でディビジョンシリーズ敗退に終わった。オフの11月3日に球団が2017年のオプションを行使した[17]

2017年は先発ローテーションの一員として32試合(内先発31試合)に登板したが、リーグ最多の15敗、107自責点を喫し、6勝、防御率5.52、WHIP1.53に終わるなど散々なシーズンに終わった。

レンジャーズ時代

2017年12月15日にサム・ウルフ英語版イスラエル・クルーズとのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した[18]

2018年オフの11月2日にFAとなった。

タイガース時代

2018年11月28日にデトロイト・タイガースと年俸250万ドルで契約合意した[19]

2019年はシーズン2試合目の登板で、右膝に打球を当てて負傷退場。4月17日に半月板の手術を受けて、残りシーズンを全休した[20]。オフの10月31日にFAとなった[21]

ソフトバンク時代

2019年12月26日、福岡ソフトバンクホークスに入団することが発表された[22]

2020年7月の練習中に左ふくらはぎを痛め約2か月の離脱[23]。復帰戦となった8月29日の北海道日本ハムファイターズ戦(福岡PayPayドーム)で5回無失点と好投しNPB初勝利を記録[23]。9月以降は基本的に週末カードの初戦となる金曜日の先発を任され続け、NPB移籍後2度目の中5日登板となった10月22日の日本ハム戦(札幌ドーム)では7回無失点と好投しチーム15年ぶりの11連勝に貢献[23]。8月末から11試合に先発し6勝を挙げ[23]、リーグ優勝に貢献した。読売ジャイアンツとの日本シリーズの第3戦(11月24日)に先発し、7回無失点無安打に抑えて勝利投手となった[24]。この活躍により優秀選手に選ばれた[25]。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示された[26]

フィリーズ時代

2021年2月3日にフィラデルフィア・フィリーズと300万ドルの単年契約を結んだ[27]。24試合(うち先発13試合)に登板したがわずか2勝に終わり、オフの11月3日にFAとなった[28]

レンジャーズ復帰 

2022年3月14日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[29]。開幕はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎え、4月16日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[29]。オフの11月6日にFAとなった[30]

エンゼルス時代

2023年2月16日にロサンゼルス・エンゼルスと1年755万ドルの契約を結んだ[31]。エンゼルスでは41試合(44回)に登板し、4勝1敗、防御率2.66、49奪三振と好投していたが、チームの「ぜいたく税」回避に伴う総年俸削減の対象となり、8月29日に他の5選手[注 1]とともにウェイバーにかけられた[32]

ガーディアンズ時代

2023年9月1日にクリーブランド・ガーディアンズが獲得を発表した[33]。ガーディアンズでは5試合に登板した。

マーリンズ時代

2023年9月19日にウェイバー公示を経てマイアミ・マーリンズに移籍した[29]。マーリンズでは4試合に登板して1勝を挙げたが、オフの10月5日にFAとなった[29]

エンゼルス復帰

2024年1月27日に前シーズン途中まで在籍したエンゼルスと1年900万ドルの契約を結んだ[34]

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人物

レイズではメジャー昇格後の2011年より背番号55を着用していた。翌2012年、松井秀喜が移籍してきたため、ムーアは松井に背番号を譲ろうとしたものの、松井自身はこれを固辞し、背番号35を着用した。

選手としての特徴

さらに見る 球種, 配分 % ...

スリークォーターから平均球速152km/h、最速157.6km/hを計測するフォーシームツーシーム、さらに平均142km/hのカッターの速球3種と、ナックルカーブチェンジアップスライダーを持ち球とする。メジャー昇格当初は、フォーシーム、チェンジアップ、スライダーの3球種だったが、2012年にツーシームを、2015年にはカッターとナックルカーブを新たに持ち球に加えた。カッターを投げ始めた当初はスライダーと使い分けていたが、2016年からはスライダーを一切投げなくなり、その分だけナックルカーブの割合が増している。ちょうどトミー・ジョン手術明けから球威・球速が著しく低下しており、2015年以降のフォーシームの平均球速は約147km/hで、実に約5km/hも低下している[36]

マイナーでの通算奪三振率は12.7を記録している。一方で2012、2013年とも与四球率が4を超えており、制球難が課題とされてきたが[8]、トミー・ジョン手術以降は球威不足をカバーするため、制球重視のスタイルに移行している。2015年の与四球率は3.3でほぼMLB平均レベルだった。

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時

表彰

NPB

記録

MLB
NPB

背番号

  • 55(2011年 - 2016年途中、2018年、2023年 - 同年途中)
  • 45(2016年途中 - 2017年、2022年、2023年途中 - 同年終了)
  • 51(2019年)
  • 37(2020年)
  • 48(2021年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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