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サンディー・アロマー・シニア
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サントス・アロマー・コンデ・シニア(Santos "Sandy" Alomar Conde, Sr. , 1943年10月19日 - )は、プエルトリコ・サリナス出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投両打(スイッチヒッター)。
息子サンディー・アロマー・ジュニアは現在クリーブランド・ガーディアンズのコーチ。ロベルト・アロマーは二塁手として活躍し、アメリカ野球殿堂入りした。
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経歴
ミルウォーキー・ブレーブスに入団し、持ち前の好守と俊足でメジャー昇格し、1964年9月15日にメジャーデビュー。なかなかレギュラーには定着できず、1967年にはニューヨーク・メッツに移籍し、さらにそのシーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。1968年に133試合に出場し、レギュラーとなり21盗塁を記録するが、打撃力は非力で、打率.253で本塁打0、12打点に終わる。
1969年途中にはカリフォルニア・エンゼルスに移籍。合計156試合に出場し、メジャー初本塁打も記録。1970年と1971年には全162試合に出場。オールスター出場も果たした。また、1971年の689打数は、現在でもエンゼルスのシーズン球団記録である。
1974年途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍。1975年には151試合に出場するが、チームがワールドシリーズ進出を果たした1976年にはウィリー・ランドルフに正二塁手の座を奪われ控えとなり、ア・リーグチャンピオンシップシリーズで1試合に出場したのみで、ワールドシリーズでは出番がなかった。1977年にはテキサス・レンジャーズに移籍し、1978年限りで現役引退。
現役引退後は、サンディエゴ・パドレス、シカゴ・カブス、コロラド・ロッキーズでコーチ、及び傘下マイナーリーグの監督・コーチを歴任。パドレスのコーチ時代には二人の息子、サンディー・ジュニアとロベルトがメジャーに昇格。2005年にはメッツの一塁ベースコーチに就任し、2007年には三塁ベースコーチに異動。ロベルトはすでに現役引退したが、サンディー・ジュニアはメッツで現役を続けて、2008年には現役引退後メッツの捕手コーチに就任した。
エンゼルス時代のチームメイトで、アメリカ野球殿堂入りのノーラン・ライアンは通算7回ノーヒットノーランを記録したが、そのうち最初の2回では二塁手を務めていた。そして、レンジャーズ時代の7回目(最後)のノーヒット・ノーランでは息子ロベルトが相手トロント・ブルージェイズの二塁手として出場していた。また、1970年にはクライド・ライト(のち讀賣)のノーヒットノーラン試合で二塁手を務め、最後の打者となったフェリペ・アルーのセカンドゴロをさばいてダブルプレイにしとめた。1997年のワールドシリーズでは、クライドの息子ジャレット・ライト(投手)と、アロマーの息子サンディー・ジュニア(捕手)がクリーブランド・インディアンスでバッテリーを組んで出場したが、アルーの息子モイセズ・アルーが在籍していたフロリダ・マーリンズに敗れた。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- MLN(ミルウォーキー・ブレーブス)は、1966年からATL(アトランタ・ブレーブス)に球団名を変更
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字はリーグ最高
- MLN(ミルウォーキー・ブレーブス)は、1966年からATL(アトランタ・ブレーブス)に球団名を変更
背番号
- 16 (1964年 - 1966年)
- 5 (1967年 - 同年8月15日)
- 11 (1967年8月16日 - 同年終了, 1974年途中 - 同年終了)
- 1 (1968年 - 1969年5月14日)
- 4 (1969年5月16日 - 1971年途中)
- 2 (1971年途中 - 1972年, 1975年 - 1978年)
- 24 (1973年 - 1974年途中)
受賞歴・記録
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関連項目
外部リンク
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