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シクスト・レスカーノ

プエルトリコの野球選手 (1953-) ウィキペディアから

シクスト・レスカーノ
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シクスト・ホアキン・レスカーノ・クラスSixto Joaquin Lezcano Curras , 1953年11月28日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

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ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(1977年頃)

1970年ミルウォーキー・ブルワーズと契約。1974年9月10日にメジャーデビュー。独特のクラウチングスタイルでフルスイングする打撃スタイルからメジャーでは1122安打、148本塁打を放った実力者だったが、ピッツバーグ・パイレーツに在籍していた1986年は夫人の病気の看病の為プレーしていなかった。

1987年の開幕直後に横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団し、来日。前年にまずまずの活躍を見せたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが、前年のブランクに加えて、メジャーでも度々トラブルを起こしていたことから、獲得を疑問視する声も少なくなかった。5月10日の対読売ジャイアンツ戦で水野雄仁斎藤雅樹から1試合2本塁打を放つまではよかったものの、その後、22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。結果として前年のブランクを埋めることはできなかった。退団に際し、他球団に在籍する外国人選手から、「彼が日本でプレーできないことは最初から分かっていた」「ワールドシリーズを頭痛で欠場する奴が日本でやれるわけがない[1]」といった声が聞かれ、全くの期待外れに終わった。

大洋では背番号18を着けていた。レスカーノ以降、日本プロ野球で18番を着用した野手は2017年の岡大海北海道日本ハムファイターズ)まで現れなかった。

なお、帰国したレスカーノに代わってシーズン途中に大洋に入団したのがジム・アドゥチであった。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

表彰

MLB

背番号

  • 37 (1974年 - 1978年)
  • 16 (1979年 - 1981年)
  • 14 (1982年 - 1983年途中)
  • 43 (1983年途中 - 同年終了)
  • 28 (1984年 - 1985年)
  • 18 (1987年)
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関連項目

脚注

外部リンク

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