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シーザー・セデーニョ
ドミニカ共和国の野球選手 (1951-) ウィキペディアから
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シーザー・セデーニョ・エンカーナシオン(César Cedeño Encarnación, 1951年2月25日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(中堅手)。右投右打。
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経歴
現役時代
1967年にヒューストン・アストロズと契約してプロ入り。1970年6月20日に19歳でメジャーデビューすると[1]、早速中堅手のレギュラーを掴んだ。1971年は40二塁打、1972年は39二塁打と2年連続でナショナルリーグトップとなったのに加え、いずれもリーグ3位の打率.320・56盗塁を記録した。異例の10年契約を結んだ1974年も自己最多の26本塁打(リーグ5位)・102打点を挙げた。1972年から6年連続50盗塁以上、5年連続ゴールドグラブ賞と活躍したが、その一方でトラブルも多く、アストロズの監督でもあったレオ・ドローチャーから”ウィリー・メイズの再来”と評されていたほどの力を存分に発揮したとは言えなかった。1980年には7年ぶりの3割となる打率.309・出塁率.389(リーグ2位)でチームの地区優勝に貢献した。
その後、シンシナティ・レッズを経て1985年途中に移籍したセントルイス・カージナルスでは28試合に出場して打率.434・6本塁打・19打点で地区優勝への追い込みの助けとなった[2]。
ロサンゼルス・ドジャースに所属した1986年がメジャーでの最後のシーズンとなった。実働17年で打率.285・199本塁打・976打点・550盗塁の成績を残した。
引退後
引退後は、ドミニカ共和国(リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ)やベネズエラ(リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル)のウィンターリーグ、ワシントン・ナショナルズ傘下とアストロズ傘下でコーチを務めた。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- ゴールドグラブ賞:5回(1972年 - 1976年)
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス:2回 (1972年6月、1977年9月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:4回(1972年 - 1974年、1976年)
- サイクル安打:2回(1972年8月2日、1976年8月9日)
背番号
- 28(1970年 - 1985年途中)
- 7(1985年途中 - 1986年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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