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ジェームズ・ローニー (野球)

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ジェームズ・ローニー (野球)
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ジェームズ・アンソニー・ローニーJames Anthony Loney, 1984年5月7日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

プロ入り前

エルキンズ高等学校英語版時代にはチャド・ハフマンとチームメートだった[1]

ドジャース時代

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ロサンゼルス・ドジャース時代
(2011年4月4日)

2002年MLBドラフト1巡目(全体19位)でロサンゼルス・ドジャースからで指名され、ベイラー大学奨学生として進学予定だったが、契約金150万ドルでドジャースと契約[2]。同年、ルーキー級とA-級で64試合に出場し、打率.350を記録。シーズン終了後にはベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングで、ドジャース傘下での最高評価を受けた[2]

2006年はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎えたが、4月4日ノマー・ガルシアパーラ故障者リスト入りに伴ってメジャー昇格[3]。同日メジャーデビューを果たしたが、22日にガルシアパーラが復帰するとローニーはラスベガスへ降格[3]。AAA級ラスベガスではマイナーリーグ最高の打率.380を記録し、ドジャース傘下の最優秀マイナー選手("Branch Rickey Minor Leaguers of the Year")に選出された[4]

2007年、ドジャースは一塁手として守備位置の重複するガルシアパーラと2年契約を結び、ローニーは開幕をAAA級ラスベガスで迎えた。6月10日にメジャー昇格を果たし[5]グレイディ・リトル英語版監督は6月26日からガルシアパーラを三塁手として起用し、ローニーを一塁手として起用[6]。その後、ローニーは、シーズン終了まで一塁手として出場を続け、96試合の出場で打率.331を記録。9月の月間最優秀新人に選出され、新人王の投票では6位に入った。

2008年は開幕から15試合連続安打と好調なスタート。開幕からの連続安打では球団史上1978年スティーブ・ガービーが21試合連続安打を記録して以降最長となった[7]。161試合に出場し、チーム最多の90打点を記録。シカゴ・カブスとのディビジョンシリーズでは第1戦でライアン・デンプスターから満塁本塁打を放ち、チームは7-2で勝利。

ドジャースには7シーズン在籍したが、本塁打は2007年の15本が最高で、一塁手としてはパワー不足が致命的だった。

レッドソックス時代

2012年8月25日にジョシュ・ベケットエイドリアン・ゴンザレスカール・クロフォードニック・プント+金銭のトレードで、イバン・デヘスース・ジュニアアレン・ウェブスターほか2選手と共にボストン・レッドソックスへ移籍した[8]

レイズ時代

2012年12月6日に年俸200万ドルと出来高100万ドルの1年契約でタンパベイ・レイズに移籍した[9]

2013年は一塁のレギュラーとして158試合に出場。規定打席に到達したシーズンとしては自己最高となる打率.299を記録。本塁打と打点の水準も復調し、2012年の不振から脱却した。シーズン後、10月31日にFAとなったが、12月12日にレイズと3年2100万ドルで再契約に合意したと報道された[10]

2014年1月3日に球団が再契約したことを発表した[11]。シーズンでは、前年に引き続き一塁のレギュラーに固定され、155試合に出場。本塁打は9本(2年ぶりの1桁、規定打席到達したシーズンでは初の1桁)に留まったが、自己最多の174安打・打率は2年連続で.290を超え、シュアな打撃は健在だった。

2015年は、他の選手との併用もあって3年ぶりに規定打席未満、8年ぶりに400打席未満に終わった。その影響もあって、本塁打が9本から4本に、打点が69から32にそれぞれ約半減した。

メッツ時代

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ニューヨーク・メッツ時代
(2016年6月16日)

2016年3月30日に開幕25人枠には残らないことを告げられ[12]、4月3日にレイズを自由契約となった。4月7日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[13]。5月28日に金銭トレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した[14]。5月31日にメジャー契約を結び25人枠入りし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦に先発出場した[15]

メッツ退団後

2017年1月24日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[16] が、3月27日に自由契約となった[17] 。4月12日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び[18]、18日に傘下のAAA級トレド・マッドヘンズへ配属された。5月7日に自由契約となった[14]。5月18日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び[19]、翌19日に傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属された[14]。ところが、直後の20日にチームはトレードでセントルイス・カージナルスからマット・アダムスを獲得し、GMのジョン・コッポレラ英語版は「アダムズが獲得できると分かっていればローニーとは契約しなかった」と発言した。これにより、ローニーは契約解除を要求し、22日に了承された[20]

7月18日、不振により退団したルイス・ヒメネスの代役として韓国プロ野球LGツインズと契約した。

同年7月27日より一軍で23試合に出場、打率.278、22安打、3本塁打、12打点の成績だったが、8月19日からの5試合で2安打と下降線をたどるようになったため、8月25日の試合終了後に二軍降格を通告された。しかしこれを受け入れられず8月27日に韓国を出国したため、LGはKBO(韓国野球委員会)に任意脱退選手としての公示を要請し退団することになった。

2018年は所属球団なく、2019年2月9日に独立リーグ・アトランティックリーグシュガーランド・スキーターズと契約。11試合に出場後、5月7日に現役引退を表明した。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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背番号

  • 27(2006年 - 同年途中)
  • 29(2006年途中 - 同年終了)
  • 7(2007年 - 2012年途中)
  • 22(2012年途中 - 同年終了)
  • 21(2013年 - 2015年)
  • 28(2016年)
  • 34(2017年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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