トップQs
タイムライン
チャット
視点
ダン・アグラ
アメリカの野球選手 (1980 - ) ウィキペディアから
Remove ads
ダニエル・クーリー・アグラ(Daniel Cooley Uggla, 1980年3月11日 - )は、アメリカ合衆国・ケンタッキー州ルイビル出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投右打。
Remove ads
経歴
要約
視点
ダイヤモンドバックス傘下時代
ゼネラル・エレクトリックに勤務している父は、彼の父親(アグラの祖父)が熱烈なヤンキースファンだったこともあり、息子がヤンキー・スタジアムでプレイするのを観ることを夢見ていた[1]。アグラはメンフィス大学を経て、2001年のドラフトでアリゾナ・ダイヤモンドバックスから11巡目(全体338位)指名を受けて入団、プロ野球選手となる。
2005年に傘下のAA級テネシー・スモーキーズでオールスターに選出され、その後の秋季リーグ "アリゾナ・フォールリーグ" でも活躍。
マーリンズ時代
(2009年5月7日)
2005年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトでフロリダ・マーリンズから指名され移籍。
2006年春のオープン戦でアグラは二塁のレギュラーを獲得した。開幕戦(アストロズ戦)でアンディ・ペティットから初安打を放つと、4月21日のフィリーズ戦では初盗塁を本盗で挙げた。その後2番・二塁でレギュラーに定着し、前半戦は打率.307・13本塁打の好成績を残し、その活躍ぶりから7月にはオールスターゲームにも選出された。ルール・ファイブ・ドラフトで移籍した選手が移籍初年にオールスターに出場したのはメジャー史上初だった[2]。シーズン終盤には3番を任されるようになった。この年は154試合に出場し打率.282、27本塁打、90打点という成績を残した。27本塁打はジョー・ゴードンの新人二塁手のシーズン本塁打記録を68年ぶりに更新するものだった[3]。新人王投票ではアグラは3位で、同賞はチームメイトのハンリー・ラミレスが受賞したが、二遊間を組むアグラとラミレスのコンビは攻守で活躍した。攻撃面では新人の得点数1位がラミレスで2位がアグラで、守備面では荒削りだが数多くの併殺を完成させた。
2007年は前年を超える159試合に出場したが、3・4月と9月の月間打率が.210台に落ち込むなど不調で、シーズン打率も前年より4分近く下げた。しかし長打は増え、二塁打は前年の倍近くに、本塁打でも自身初の30本塁打を記録した。
2008年は5月に球団新記録となる月間12本塁打を記録[4]。2年ぶりに選出され、初出場を果たしたオールスターでは4打数0安打3三振に終わり、守備では延長10回に2失策で無死一三塁のピンチとなり、延長13回にも失策を記録[5]。オールスターでの1試合3失策は史上初で、「球宴史上最低のパフォーマンス」でナ・リーグ敗戦の責任選手の槍玉にあがった[4]。それでも、本塁打・打点・四球・出塁率・長打率・OPSなどで自己ベストとなる数字を残した。
2009年は、3年連続の30本塁打以上を記録したほか、四球が初めて90を超えた。一方で打率は自己最低の数字に終わり、三振も3年連続で150以上となってしまった。
2010年は、打率・本塁打・打点の全部門で自己最高の数字を記録。また、出塁率・長打率・OPSも自己最高の数値をマークしたほか、3年ぶりの100得点、メジャーデビューイヤー以来4年ぶりに三振を150以下に抑えた。
FOXのマーリンズ戦中継では、アグラがホームランを打った直後、実況のリッチ・ウォルツが"His name is…"と言った後に、解説のトミー・ハットンと声を合わせて"Dan Uggla!"と言うのがお決まりであった。
ブレーブス時代

(2014年5月22日)
2010年11月16日にオマー・インファンテ、マイク・ダンとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍[6]。
2011年1月6日にブレーブスと総額6200万ドルの5年契約に合意した[7][8]。この年はチームトップの161試合に出場し、打率.233、36本塁打、82打点、1盗塁だった。
2012年は自身3度目となるオールスターに選出された。この年は154試合に出場し、打率.220、19本塁打、78打点だった。四球はリーグトップの94個を記録した。
2013年は136試合に出場し、22本塁打55打点を記録したが、打率は.179とチーム内で最低の成績に終わり、ポストシーズンのロースターから外れた[9]。この打率.179(448打数80安打)は、ロブ・ディアーが1991年に記録した当時の歴代最低のシーズン打率に並ぶものであった[10]。後に最低打率の記録は2018年にクリス・デービス (内野手)が.168で更新した[11]。
2014年も正二塁手として開幕を迎えたが、打率は1割台まで落ち、新人のトミー・ラステラの昇格もあり、6月から代打としての起用となった。自身の出場機会が減った事に対し、クラブハウス内でチームを批判したため、7月13日に1試合の出場停止処分を受けた[12]。7月14日に処分は解かれたが、7月18日に放出された[13]。
ジャイアンツ時代
2014年7月21日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[14]。契約後はAAA級フレズノ・グリズリーズで2試合に出場し、7月25日にジャイアンツとメジャー契約を結んだ[15]。昇格後は4試合に出場したが、11打数無安打と結果を残せず、8月1日に戦力外となった[16]。8月7日に放出された。
ナショナルズ時代
2014年12月26日に、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[17]。
2015年4月5日にメジャー契約を結び40人枠に入る。67試合に出場したが、打率.183、2本塁打、16打点に終わった。11月2日にFAとなった[18]。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 2019年度シーズン終了時
表彰
- シルバースラッガー賞:1回(2010年)
- 月間MVP:1回(2011年8月)
- 月間最優秀新人:1回(2006年6月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:3回(2006年、2008年、2012年)
背番号
- 6(2006年 - 2010年)
- 26(2001年 - 2014年途中、2015年)
- 22(2014年途中 - 同年終了)
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads