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ティム・タフェル
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ティモシー・ショーン・タフェル(Timothy Shawn Teufel, 1958年7月7日 - )はアメリカ合衆国・コネチカット州フェアフィールド郡グリニッジ出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
1978年のMLBドラフト16巡目(全体398位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名されるが、入団せず、翌1979年のMLBドラフトでも3巡目(全体48位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名されるがまたも入団を拒否した。3度目のドラフトとなった1980年のMLBドラフトでは2巡目(全体38位)でミネソタ・ツインズから指名され、ようやくプロ入り。
1980年後半から1982年途中まではAA級オーランド・ツインズでプレーし、AAA級トレド・マッドヘンズに昇格。1983年には打率.323・27本塁打・100打点の活躍で、メジャーの登録枠が40人に増える9月にメジャーに昇格し、9月3日にメジャー初出場を果たす。いきなり打ちまくり、特に9月16日の試合では2本塁打を含む5打数5安打の活躍。
翌1984年は157試合に出場し、打率.262・14本塁打・61打点を記録するが、この年がほとんどキャリアハイの成績となった。
1985年も138試合に出場するが、守備面の不安もあり、この年限りでビリー・ビーンら3選手とのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍。メッツでは、ウォーリー・バックマンとのツー・プラトン(併用)となり、主に左投手先発の試合のみの起用となった。6月上旬までは打率2割2分前後の不振にあえいでいたが、6月10日のフィリーズ戦では延長11回の熱戦に終止符を打つ代打サヨナラ満塁本塁打を放つ。7月19日には遠征先のヒューストンで、チームメイトのロン・ダーリング、ボブ・オヘーダ、リック・アギレラと共にバーで非番警官と喧嘩して逮捕されるという「事件」も起こした。この年、最終的な打率は.247に終わったが、一発長打もある打撃でチームの地区優勝に貢献。チームはボストン・レッドソックスとのワールドシリーズに進出。しかし、その第1戦ではタフェルのタイムリーエラーによって0-1で敗戦と、大事な場面で守備面の課題を露呈してしまった。第5戦ではタイムリーヒットを打つがチームは敗戦し、2勝3敗と追い込まれた。最終的にメッツが第6戦、第7戦に勝ち、ワールドチャンピオンにはなったが、少し心残りのシリーズとなった。
1987年は97試合の出場で打率.308を記録し、出塁率.398、長打率.545と好成績を残した。
1988年は2割前後の低打率で、故障もあり不本意な成績に終わる。チームは地区優勝を果たすが、シーズン終盤にメジャー昇格したグレッグ・ジェフリーズに追い出される形でリーグチャンピオンシップシリーズには1試合しか出番がなく、翌1989年には衰えの目立つベテランキース・ヘルナンデスとの併用で一塁での起用も多くなった。
1990年は80試合の出場に終わり、1991年は開幕から打率.118の大不振で、5月31日にギャリー・テンプルトンとのトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍。パドレスでは二塁の他に三塁手でも起用され、メッツ時代の後半よりも出場機会は増えたが1992年までは2割2分台の低打率に終わる。
1993年4月14日には自身2度目の5打数5安打を記録するが、シーズン打率は.250。この年チームは101敗を喫し、若返りを図る方針で解雇され、そのまま現役を引退した。
引退後、2001年と2002年はメッツ傘下のマイナーで巡回インストラクターをつとめ、2003年にはA-級ブルックリン・サイクロンズで監督を務める。
2004年と2005年はA+級セントルーシー・メッツの監督を務める。一年おいて、2007年1月11日にA級サバンナ・サンドナッツの監督に就任したのを皮切りに、2011年までメッツ傘下の球団で監督を歴任。2012年から2016年までメッツで三塁コーチを務めた。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 11 (1983年 - 1991年途中、2016年)
- 20 (1991年途中 - 1993年)
- 18 (2012年 - 2015年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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