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トミー・ファム

アメリカ合衆国のプロ野球選手 ウィキペディアから

トミー・ファム
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トーマス・ジェームズ・ファムThomas James Pham, 1988年3月8日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。愛称はT・ファム[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

プロ入りとカージナルス時代(1次)

2006年MLBドラフト16巡目(全体496位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り。この年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ジョンソンシティ・カージナルス英語版でプロデビューした。

2014年まで足かけ9年マイナーでは、肩の手術、手首の怪我、眼疾などで長期欠場を強いられる事が多かった[2]。しかし、その2014年はAAA級メンフィス・レッドバーズで104試合に出場して打率.324、10本塁打、44打点、20盗塁の好成績を残し、9月にメジャー初昇格を果たした。9月9日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。この年メジャーでは6試合に出場し、2打数無安打(いずれも三振)だった[3]。なお、この年のオフにはベネズエラに派遣され、同国のウィンターリーグに参加。レオネス・デル・カラカスに所属した[3]

2015年大腿四頭筋を痛めたため、開幕を故障者リストで迎えた[4]。7月3日にこの年初めてメジャー昇格し、翌4日のサンディエゴ・パドレス戦にて「1番・中堅手」で先発出場してメジャー初安打となる二塁打を放った[5]。また、ポストシーズンでのメンバーにも選ばれ、10月9日のシカゴ・カブスとのディビジョンシリーズ第1戦では相手先発のジョン・レスターから本塁打を放った[6]。この年は最終的に52試合に出場し、打率.268、5本塁打、18打点、2盗塁という成績を残した[3]。全体的に、長打をハイペースで生産した為、長打率が高く、それに伴ってOPSも.824と高かった。外野の守備は、中堅を守った33試合が最多で、無失策DRS+5という安定した守備力を発揮した。左翼手を18試合、右翼手を3試合でも守り、DRSはそれぞれ - 2と0だったが、エラーはなかった。

2016年は控え外野手としてフル活用され、78試合に出場。打率.226、9本塁打、17打点、2盗塁・OPS.764という、まずまずの成績を残した[3]。ディフェンス面では34試合で中堅を守り、無失策、DRS-3、UZR-5.3という、イマイチの内容。左翼は30試合で守りに就き、こちらも無失策ながらDRSは-1・UZRは-0.1と、指標はマイナス。右翼は5試合で、DRSは0だがUZRは-1.2だった。全体としては、指標はマイナス傾向だったが、メジャーデビュー以来の外野守備の無失策を継続した。

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セントルイス・カージナルス時代
(2017年7月5日)

2017年は開幕をAAA級メンフィスで迎えるも、最終的には128試合に出場して打率.306、23本塁打、73打点、25盗塁という自己最高の成績を残した[3]

レイズ時代

2018年7月31日にジャスティン・ウィリアムズヘネシス・カブレラロエル・ラミレス英語版とのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[7]。トレードされた時点では、打率.248、14本塁打、41打点だった[8]。ファムは「私はただがっかりしている。もっと多くを与えたかった。プレーの観点からもっと多くを与えたかった。カージナルスに関われた。本当にプレーが楽しかった。しかしもっと多くを与えたいと今も思う。チャンスをここで持てた。カージナルスは私にチャンスをくれた[9]。」と述べた。ただ「苦痛だった、私は特に期待を下回り続けていると感じていた。もし自分の役目を全うできているなら、そこまで順位は低くならなかっただろう[10] 。」とも述べた。レイズでの2回目の試合の際に、足に死球を受け10日間の故障者リストに入らざるを得なかった[11]。8月16日のニューヨーク・ヤンキース戦で復帰し、レイズで初めて1試合で2安打を放った。8月25日のボストン・レッドソックス戦でブランドン・ワークマンからレイズで初めて本塁打を打った[12]。シーズン終了までで32試合連続出塁を記録したため、チーム記録であるジョニー・デーモンの7試合連続出塁を更新した。9月には、打率.368、出塁率.407、長打率.705、5本塁打、17打点を記録したため、9月の月間MVPチームに選出された[13][14]。レイズの39試合では打率.343、出塁率.448、長打率.622、7本塁打、22打点だった[15]

2019年は145試合に出場して打率.273、21本塁打、68打点、25盗塁を記録した[3]

パドレス時代

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サンディエゴ・パドレス時代
(2021年6月19日)

2019年12月6日にハンター・レンフローゼイビア・エドワーズ後日発表選手とのトレードで、ジェイク・クロネンワースと共にパドレスへ移籍した[16]

2021年オフの11月3日にFAとなった[17]

レッズ時代

2022年3月26日にレッズと600万ドルの単年契約を結んだ[18]。2023年は相互オプションとなり、バイアウトの際は150万ドルが支払われる[19]

2022年5月29日には27日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦の試合前にファンタジーフットボールでのロースターセットを巡ってジョク・ピーダーソンに平手打ちを行ったとして3試合の出場停止処分を受けた。

レッドソックス時代

2022年8月1日に後日発表選手または金銭とのトレードで、レッドソックスへ移籍した[20]。オフの11月4日にFAとなった。

メッツ時代

2023年1月24日にニューヨーク・メッツと600万ドルの単年契約を結んだ[21][22]。オプションとして最大200万ドルの出来高が含まれる[22]

ダイヤモンドバックス時代

2023年8月1日にジェレミー・ロドリゲスとのトレードで金銭と共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[23]。オフの11月3日にFAとなった[24]

ホワイトソックス時代

2024年4月15日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[25]。同月26日にアクティブ・ロースターに登録された[26]

カージナルス時代(2次)

2024年7月30日に三角トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍した[27]。移籍後は23試合出場で打率.206という成績を記録した。8月30日にDFAとなった[28]

ロイヤルズ時代

2024年8月31日にウェイバー公示を経てカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[29]。移籍直後の9月1日にセプテンバー・コールアップでメジャー昇格を果たしたものの、10月31日にFAとなった[3]。この年は3チーム合計で116試合に出場して打率.248、9本塁打、39打点、7盗塁を記録した[3]。なお、FA期間中の12月5日にはレオネス・デル・エスコヒードと契約を結び、ドミニカのウィンターリーグに参加した[3]

パイレーツ時代

2025年2月7日にパイレーツと1年400万ドルで契約合意した。

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選手としての特徴

俊足で守備範囲が広く、選球眼に優れた巧打者[2]。デビュー当初は打力不足だったが、2015年シーズン以降は向上している。

人物

2020年10月11日の夜に、サンディエゴ市内で自分の車の近くにいた複数人に移動するように言ったところ、口論となりナイフで腰のあたりを刺された[30]。加害者との面識はないという。その後病院に搬送され手術を受けた。命に別条はなく、臓器の損傷もなかったという。

詳細情報

年度別打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

ポストシーズン打撃成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 60(2014年 - 2015年)
  • 28(2016年 - 2018年7月30日、2020年 - 2022年7月30日、2023年 - 2024年7月29日)
  • 29(2018年8月1日 - 2019年, 2024年7月30日 - 同年8月28日)
  • 22(2022年8月2日 - 同年終了、2024年9月1日 - 同年終了)
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脚注

関連項目

外部リンク

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