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ジョン・レスター (左投手)
アメリカの野球選手 (1984 - ) ウィキペディアから
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ジョナサン・タイラー・レスター(Jonathan Tyler Lester, 1984年1月7日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州タコマ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとレッドソックス時代
2002年にMLBドラフトでボストン・レッドソックスから2巡目(全体57位)指名を受け、プロ入り。
2003年シーズン終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードでマニー・ラミレスとともにテキサス・レンジャーズへ放出されそうになるも、トレードは破談に終わる[1]。
2006年6月10日に本拠地フェンウェイ・パークでのレンジャーズ戦で先発してメジャーデビュー。その試合では勝敗はつかなかったものの、4.1イニングを投げて5安打を浴び、自責点3。その後は先発ローテーションに入って2カ月の間に7勝を記録。8月中旬になって背中の痛みに悩まされるようになった[2]。そのため8月下旬にシアトルに遠征した際、精密検査を受け、血液癌の1つである悪性リンパ腫のうちの「未分化大細胞リンパ腫」であることが判明[2]。抗癌剤による治療を受けることになった。癌は12月に緩解した[1]。
2007年のスプリングトレーニングには参加できたが、抗がん剤の副作用で体重が激減したレスターに対し、球団はMLB復帰を慎重に考え、MLBチームとの投球はなかった[1]。復帰には時間がかかると思われたが、リハビリに励み4月末にマイナーへ復帰[3]。7月23日に先発投手としてマウンドに再び登った。ポストシーズンではレッドソックスが優勝に王手をかけたワールドシリーズ第4戦で先発登板し、勝利投手となり、ワールドシリーズ優勝を決めた。シーズン終了後にはヨハン・サンタナとのトレード要員として挙がったが、成立せずに終わった[1]。
2008年3月6日にレッドソックスと1年契約に合意[4]。この年は先発ローテーションの一角として起用され、左腕として球団史上ベーブ・ルース、レフティ・グローブの2人しか達成していないシーズン15勝・30先発・200イニング・150奪三振を達成[5]。5月19日には本拠地フェンウェイ・パークでカンザスシティ・ロイヤルズを相手に球団史上のべ18人目、球団の左腕投手としては1956年のメル・パーネル以来となるノーヒットノーランを達成。投球数は130球(うちストライクは86球)、許した走者は2つの四球だけであり打者29人に対し奪三振9、内野ゴロ11、フライ7という投球内容だった[6]。メジャーで自身初の完封であり、完投であった。シーズン終了後にはハッチ賞を受賞した。

(2009年6月29日)
2009年3月15日にレッドソックスと総額3000万ドルの5年契約(2014年・1300万ドルの球団オプション付き)に合意した[5][7]。この年は32試合に先発登板し、15勝8敗、防御率3.41だった。
2010年は前半戦の18試合で11勝(3敗)を記録し、オールスターゲームに初選出された[8]。この年は32試合に先発登板し、19勝9敗、防御率3.25だった。
2011年は2年連続でオールスターゲームに選出された。この年は31試合に先発登板し、4年連続2桁勝利となる15勝(9敗)を記録し、防御率3.47だった。
2012年もエースとして開幕を迎え、33試合に先発登板したが9勝にとどまり、チームワーストの14敗、防御率も自己最低の4.82を記録した。
2013年は33試合に先発登板し、2年ぶりの2桁勝利となる15勝(8敗)、防御率3.75だった。オフの11月1日にレッドソックスが1300万ドルの球団オプションを行使した[9]。
2014年は7月には3年ぶりにオールスターゲームに選出された。この年は21試合に先発登板し、10勝7敗、防御率2.52だった。
アスレチックス時代
2014年7月31日にヨエニス・セスペデス+2015年のMLBドラフト・戦力均衡ラウンドB指名権とのトレードで、ジョニー・ゴームスと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[10]。アスレチックスでは11試合に先発登板し、6勝4敗、防御率2.35だった。オフの10月30日にFAとなった。
カブス時代
2014年12月15日にシカゴ・カブスと総額1億5500万ドルの6年契約(2021年・2500万ドルのベスティング・オプション[11]とトレード拒否権付き)を結んだ[12][13]。契約金は3000万ドルで、2006年12月にバーノン・ウェルズがブルージェイズと1億2600万ドルの7年契約を結んだ際の契約金2550万ドルを超え、MLB史上最高額の契約金となった[14]。
2015年は4月5日のセントルイス・カージナルスとの開幕戦で先発して新天地デビュー(結果は4.1回を3失点で敗戦投手)。5月27日のワシントン・ナショナルズ戦では打者として2打数無安打、通算59打数無安打となり、通算57打数無安打のMLB記録を更新した(この記録は後に66打数まで伸びた[15])。本業のピッチングでは、好不調の波があった[15]ものの先発ローテーション通り32試合に先発登板し、防御率3.34、11勝12敗、207奪三振(リーグ7位)、WHIP1.12という好成績を残した。これで、3年連続2桁勝利を継続した。
2016年の前半戦は9勝4敗、防御率3.01、108奪三振などの好成績を残し、自身2年ぶりにオールスターゲームに選出された。オールスターゲームでは7回裏に登板し、1四球を許したものの、0.2イニングを無失点に抑えた。7月31日のシアトル・マリナーズ戦の延長12回裏の一死三塁の場面で代打として起用され、サヨナラスクイズを決めた[16]。シーズン通算では32試合に先発登板し、2010年と並ぶ自己最多タイとなる19勝(5敗)、防御率2.44、197奪三振、WHIP1.01で、勝利数・防御率ともにリーグ2位という好成績を収め、4年連続の2桁勝利となった。

(2016年10月27日)
ポストシーズンではサンフランシスコ・ジャイアンツとのディビジョンシリーズ第1戦で8回までジョニー・クエトとの投手戦を演じ、8回にハビアー・バエズのソロ本塁打で先制したカブスが1-0で勝利し、自身も8回無失点で勝利投手となった。ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦と第5戦に先発し、第1戦では勝敗はつかなかったものの6回1失点の好投を見せ、第5戦では7回を1失点に抑えて勝利投手となり、同僚のバエズとともにMVPに選出された。クリーブランド・インディアンスとの対戦となったワールドシリーズでは敵地での第1戦と本拠地での第5戦に先発。第1戦は5.2イニングを6安打されながら3失点に抑え、7奪三振を奪ったものの、味方打線がインディアンスの3人の投手陣に無得点に抑えられ敗戦投手となったものの、第5戦では6回を4安打2失点に抑え勝利投手となった。カブスが3勝3敗のタイに戻して迎えた第7戦ではカブス4点リードの5回二死一塁から、先発のカイル・ヘンドリックスの後を受けて2番手としてリリーフ登板。3回を3安打、2失点で8回二死で降板となった。チームは108年ぶり3回目のワールドシリーズ優勝を果たした。
2017年8月1日のダイヤモンドバックス戦でパトリック・コービンからメジャー初本塁打を記録し、通算2000奪三振も達成した[17]。このシーズンは好不調の波が激しく、2失点以下に抑えた試合が15試合あった一方で、7月22日の試合では0.2イニングで10失点を喫するなど6点以上失った試合も6試合あった。シーズントータルでは13勝8敗と勝ち越したものの、2012年以来となる防御率4点台となり、被本塁打26は自己ワーストだった。
2018年は序盤から安定した投球が続き、6月には5試合で5勝0敗、防御率1.13を記録した。7月・8月こそ防御率6.16と不調だったが、その後持ち直し、18勝6敗、防御率3.32を記録。マックス・シャーザー、マイルズ・マイコラスと並んで、自身初のタイトルとなる最多勝利を受賞した。
2019年序盤は安定した投球を見せていたが、オールスター以降は12試合で62.2イニング44失点と大幅に調子を落とした。シーズン通算では31試合の先発登板で13勝10敗、防御率4.46、WHIP1.50と前年から大きく落ちる成績となった。
2020年は新型コロナウイルスの影響で60試合の短縮シーズンとなる中で12試合に先発登板し、3勝3敗、防御率5.14だった。オフの10月30日に球団からオプションを破棄され、FAとなった[18]。
ナショナルズ時代
2021年1月27日にナショナルズと500万ドルの1年契約を結んだ[19]。5月17日のリグレー・フィールドでのカブス戦に先発登板し、前年まで所属した古巣と対決とのことでスタンディングオーべションを受けた[20]。
カージナルス時代
2021年7月30日にレーン・トーマスとのトレードで、カージナルスへ移籍した[21]。9月21日のミルウォーキー・ブルワーズ戦にて、左投手としては史上30人目となる通算200勝を達成した[22]。オフの11月3日にFAとなった[23]。
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選手としての特徴
スリークォーターから常時88 - 89mph(約142 - 143km/h)のカットボールと最速98mph(約158km/h)のストレートのコンビネーションを軸にカーブ、チェンジアップを組み合わせ投げる[2]。投げる投手が少ないワンシームを使うことができる。
一塁への送球・牽制が困難なイップス(動作障害)で、盗塁を許すことが多かったが、ワンバウンドやゴロで送球するなどして送球に工夫をしていた[25][26]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝利:1回(2018年)
表彰
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:6回(2008年7月・9月、2010年5月、2016年6月・9月、2018年6月)
- ナショナルリーグ・リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(2016年)
- ウォーレン・スパーン賞:1回(2016年)
- ベーブ・ルース賞:1回(2016年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:4回(2010年、2011年、2014年、2016年、2018年)
- ノーヒットノーラン:1回(2008年5月19日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦)
背番号
- 62(2006年)
- 31(2007年 - 2014年、2021年途中 - 同年終了)
- 34(2015年 - 2021年途中)
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脚注
関連項目
外部リンク
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