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ドリュー・ブテラ
イタリア系アメリカ人の野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから
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アンドリュー・エドワード・ブテラ(Andrew Edward Butera, 1983年8月9日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州バンダーバーグ郡エバンズビル出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。コーチ。愛称はザ・ドン(The Don)[1]。
一部メディアでは「ビュテラ」と表記されることもある。
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経歴
要約
視点
プロ入りとメッツ傘下時代
2005年のMLBドラフト5巡目(全体149位)でニューヨーク・メッツから指名され、6月9日に契約[2]。契約後、傘下のA-級ブルックリン・サイクロンズでプロデビュー。55試合に出場して打率.217、1本塁打、23打点を記録した。
2006年はA級ヘイガーズタウン・サンズでプレーし、95試合に出場して打率.186、5本塁打、38打点を記録した。
2007年はA+級セントルーシー・メッツで52試合に出場後、6月にAA級ビンガムトン・メッツへ昇格。AA級ビンガムトンでは30試合に出場して打率.188、1本塁打、4打点を記録した。
ツインズ時代

(2012年6月26日)
2007年7月30日にルイス・カスティーヨとのトレードで、ダスティン・マーティンと共にミネソタ・ツインズへ移籍した。移籍後は傘下のAA級ニューブリテン・ロックキャッツに所属し、17試合に出場して打率.260、3打点を記録した。
2008年はAA級ニューブリテンに所属し、96試合に出場して打率.219、7本塁打、39打点を記録した。オフの11月19日にツインズとメジャー契約を結び[3]、40人枠入りを果たした。
2009年3月31日にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ配属され、開幕を迎えた。この年はAAA級ロチェスターに所属し、99試合に出場して打率.211、2本塁打、25打点を記録した。
2010年3月7日にツインズと1年契約に合意し、自身初の開幕ロースター入りを果たした。4月9日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。この年はジョー・マウアーに次ぐ2番手捕手として、49試合に出場(捕手としての出場は47試合)。打率.197、2本塁打、13打点と打撃面では結果を残せなかったが、盗塁阻止率は43%という高水準だった。
2011年2月26日にツインズと1年契約に合意。この年はマウアーの故障によって出場機会が増え、93試合で守備に就いた。しかし、打率は.167と力不足は明らかだった。オフには、MLBの台湾遠征チームの一員に選ばれた[4]。
2012年3月31日にAAA級ロチェスターへ配属され、3年ぶりにAAA級で開幕を迎えることとなった。5月1日にメジャーへ昇格[5]。その後はマウアーのバックアップとしてシーズンを過ごした。この年は42試合に出場して打率.198、1本塁打、5打点を記録した。
2013年1月17日にツインズと1年契約に合意。開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のイタリア代表に選出された[6]。
シーズンでは3月25日にAAA級ロチェスターへ配属され、開幕を迎えた。7月24日にマウアーが育休リスト入りしたため、メジャーへ昇格[7]。2試合に出場したが、7月28日にマウアーが復帰したため、AAA級ロチェスターへ降格した[8]。結局ツインズでは2試合の出場に留まった。
ドジャース時代
(2014年9月19日)
2013年7月31日にミゲル・スルバランとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[9]。移籍後はAAA級アルバカーキ・アイソトープスで16試合に出場し、登録枠が拡大された9月1日にメジャーへ昇格[10]。昇格後は4試合に出場(うち2試合では一塁手として出場)し、打率.143だった。オフの11月29日にドジャースと70万ドルの1年契約に合意した[11]。
2014年はA.J.エリスに次ぐ2番手捕手として開幕ロースター入りしたが、4月8日にエリスが左膝の故障で離脱したため、先発としての出場機会が増加。また、投手としても2試合に登板した。この年は61試合に出場して打率.188、3本塁打、14打点を記録した。
オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[12]。帰国後の12月5日にウェイバー公示を経てボストン・レッドソックスから捕手のライアン・ラバーンウェイが加入したため、同日にDFAとなった[13]。
エンゼルス時代
2014年12月9日にトレード[14]で、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した[15]。
2015年はエンゼルスでは10試合に出場したが、打率.190で本塁打と打点なしに終わり、5月4日にDFAとなった[16]。
ロイヤルズ時代
2015年5月7日にライアン・ジャクソンとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。ロイヤルズ加入後はサルバドール・ペレスの控え捕手として45試合に出場したが、打率は.200未満(.198)に留まり、通年での打率は.196だった。守備では、2球団計で盗塁阻止率38%を記録。また、数試合で一塁手も守った。
2016年はフルシーズン、ロイヤルズで控え捕手を務めた。打撃面では好調を維持し、打率.285・4本塁打・16打点・OPS0.808という成績を記録、打点以外は自己最高だった。守備面では51試合に出場したが、6失策・守備率.981・DRS - 5・盗塁阻止率25%(アメリカンリーグ平均は29%)と芳しくない数字が並んだ。また、前年に続いて一塁も守ったほか、2014年以来となる2試合に投手としても登板。計1.1イニングを1安打1奪三振の内容で無失点に抑えた。
2017年開幕前の3月に開催された第4回WBCのイタリア代表に選出された。ベネズエラとの試合で、走者としてホームに突入した際にロイヤルズでのチームメートのサルバドール・ペレスと衝突して、ペレスの左膝を負傷させてしまった[17]。
ロッキーズ時代
2018年8月31日にジェリー・バストとのトレードで、金銭と共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[18]。オフの10月29日にFAとなった。
2019年2月5日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[19]が、3月21日に自由契約となった[20]。
その後、3月25日にロッキーズとマイナー契約を結んだ[21]。開幕を傘下のAAA級アルバカーキ・アイソトープスで迎え、4月15日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[22]。5月3日にDFAとなり[23]、6日にマイナー契約でAAA級アルバカーキへ配属された。9月3日に再びメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[24]。オフの10月31日にFAとなったが、12月18日にマイナー契約で再契約を結んで2020年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[25]。
エンゼルス復帰
2021年1月13日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[28]。シーズン開幕前の3月27日に一旦自由契約となったが、同日中にマイナー契約を結び直した[29]。5月のマイナーリーグ開幕時には傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスに所属していたが、出場試合は無かった。
その後、5月7日に金銭トレードでエンゼルスへ移籍し、即日でメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[30]。5月10日のヒューストン・アストロズ戦では1試合2犠打かつ決勝点となるスクイズを決めた[31][32]。5月29日にDFAとなり[33]、6月1日にマイナー契約で傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズへ配属された[34]。その後、8月31日に自由契約となった[25]。
アストロズ傘下時代
エンゼルスを自由契約となった同日の2021年8月31日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シュガーランド・スキーターズへ配属された[25]。
現役引退後
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人物
詳細情報
年度別打撃成績
年度別投手成績
記録
背番号
- 41(2010年 - 2013年途中)
- 31(2013年途中 - 2014年)
- 3(2015年 - 同年途中)
- 9(2015年途中 - 2018年8月30日)
- 16(2018年9月3日 - 同年終了、2021年)
- 25(2019年)
- 6(2020年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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