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パブロ・ニエト

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パブロ・ニエト
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パブロ・ニエト・アギラール(Pablo Nieto Aguilar, 1980年6月4日 - )は、スペインマドリード出身の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で延べ13回のチャンピオンを獲得したアンヘル・ニエトの息子。兄のアンヘル・ニエトJr.(ヘレテ・ニエト)、いとこのフォンシ・ニエトと同じくロードレース世界選手権に参戦した経験を持つ。

概要 パブロ・ニエト, グランプリでの経歴 ...
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経歴

キャリア初期

1995年にはミニバイクのマドリード地方選手権で3位、カスティーリャ=ラ・マンチャ州の選手権でチャンピオンを獲得した。1996年には125ccカジバカップ、1997年からはロードレースヨーロッパ選手権125ccクラスに参戦を開始した。

世界選手権125ccクラス

1998年にはロードレース世界選手権第12戦カタルニアで、兄ヘレテの所属するチームから125ccクラスのレースにワイルドカード枠でGPデビューを果たした。

1999年からはデルビ・チームからGPフル参戦を開始し、エースライダーの宇井陽一のチームメイトとして3シーズンを戦った。このチームでは2000年に68ポイントを獲得しシリーズ13位に入ったのがベストシーズンとなった。

2002年にはホルヘ・マルチネス率いるアスパー・チームに移籍。アプリリアのワークスマシンを駆って初表彰台・初ポールポジションを獲得し、シリーズ6位に入る活躍を見せた。2003年には第11戦エストリルで初優勝、他にも2度表彰台に立つ活躍を見せ、ポイントは前年より多く獲得したものの、シリーズランキングは1つ落として7位となった。アスパー・チーム最後のシーズンとなった2004年は表彰台2回の獲得でシリーズ6位となった。

2005年にはデルビに復帰したが、マシンの競争力不足でシリーズ13位に終わる。2006年からは Multimedia Racing チームに移籍し、再びアプリリアを駆ったが、今回はプライベーター仕様のマシンだったこともあり、ランキングはまたも13位に終わった。

フル参戦10年目となった2008年、パブロは125ccクラスの年齢制限の28歳に到達することもあり、この年が現役最後のシーズンとなった。父アンヘル、兄ヘレテと共に立ち上げた新チーム「オンデ2000」のライダーとしてKTMのマシンを駆ったが、シリーズ21位で最後のシーズンを終えることになった。

引退後

パブロは引退後、兄ヘレテと共にオンデ2000チームの運営に集中することになった。2009年よりチームは最高峰MotoGPクラスに移り、現役復帰したセテ・ジベルナウをライダーにドゥカティ・デスモセディチを走らせることになった。ところがスポンサーのグループ・フランシスコ・エルナンドが資金難に陥ったため、シーズン途中で撤退の憂き目にあってしまった。

2010年には兄と共に「G22レーシング」を立ち上げ、新たに始まったMoto2クラスにモリワキのシャシーで参戦、いとこのフォンシ・ニエトがエースライダーを務めた[1]

2024年現在はVR46レーシングチームのチームマネージャーを務めている。

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ロードレース世界選手権 戦績

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脚注

外部リンク

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