トップQs
タイムライン
チャット
視点
ファウティノ・デロスサントス
ウィキペディアから
Remove ads
ファウティノ・デロスサントス(Fautino de los Santos、1986年2月15日 - )は、ドミニカ共和国サマナ州サマナ出身の元プロ野球選手(投手)。
Remove ads
経歴
要約
視点
プロ入りとホワイトソックス傘下時代
2005年にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結び、プロ入りを果たした。入団当時は、先発投手だった。
2006年は、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ホワイトソックスでプレーした。この年は、10試合(9試合で先発)登板し、3勝3敗・防御率1.86・61奪三振を記録した[1]。
2007年は、まずA級カナポリス・インティミデイターズでプレーした。ここでは、21試合(15試合で先発)登板し、9勝4敗、防御率2.40、121奪三振を記録した[1]。その後、A+級ウィンストン・セイラム・ワーソッグスでプレーした。ここでは、5試合に先発登板し、1勝1敗・防御率3.65・32奪三振を記録した[1]。
アスレチックス時代
2008年1月にニック・スウィッシャーとのトレードでライアン・スウィーニー、ジオ・ゴンザレスと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[2]。シーズンでは、傘下のA+級ストックトン・ポーツでプレーした。この年は、5試合に先発登板し、2勝2敗・防御率5.87・26奪三振を記録した[1]。シーズン中にトミー・ジョン手術を受けた。
2009年は、リハビリに費やした。オフの11月に40人枠に登録された[3]。
2010年は、まずA+級ストックトンでプレーした。ここでは、12試合に登板し、1勝0敗1セーブを記録した[1]。その後、AA級ミッドランド・ロックハウンズでプレーした。ここでは、25試合に登板し、1勝5敗・防御率6.54・51奪三振を記録した[1]。
2011年は、まずAA級ミッドラウンドでプレーした。ここでは、8試合に登板し、0勝0敗3セーブ・防御率2.89・15奪三振を記録した。5月5日にAAA級サクラメント・リバーキャッツに昇格した。ここでは、15試合に登板し、防御率1.83、21奪三振を記録した[1]。5月20日にブランドン・マッカーシー、タイソン・ロスの故障者リスト入りに伴いメジャーに昇格を果たした[4]。しかし5月24日にギジェルモ・モスコーソをメジャーに昇格させるため、AAA級サクラメントに降格した[5]。その後、6月3日にメジャー再昇格を果たした[6]。 翌4日のボストン・レッドソックス戦で、メジャーデビューを果たした。この試合では、ジェド・ラウリーから初奪三振を記録するなど1イニングを投げた[7]。最終的にこの年は、メジャーで34試合に登板し、3勝2敗・防御率4.32・43奪三振を記録した[8]。オフに、母国ドミニカ共和国で行われているウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナに参加し、ティグレス・デル・リセイでプレーした。ここでは、10試合に登板し、1勝1敗・防御率2.00・12奪三振を記録した[1]。
2012年は、日本の東京ドームで行われた開幕戦のメンバーとして来日している[9]。帰国後は、6試合に登板した[8]が、4月中にAAA級サクラメントに降格した。これを最後にデロスサントスは、メジャーに昇格していない。AAA級サクラメントでは、28試合に登板し、1勝3敗・防御率7.25・43奪三振を記録した[1]。
ブルワーズ傘下時代
2012年7月23日にジョージ・コッタラスとのトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。移籍後は、傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズへ異動した。ここでは、11試合に登板し、1勝0敗・防御率1.98・17奪三振を記録した[1]。オフには、レオネス・デル・エスコヒードでプレーした。ここでは、8試合に登板し、2勝1敗2セーブ・防御率4.70・10奪三振を記録した[1]。
パドレス傘下時代
2013年2月6日にウェイバー公示を経てサンディエゴ・パドレスへ移籍した。開幕を傘下のAAA級ツーソン・パドレス(現:エル・パソ・チワワズ)で迎えた。ここでは、2試合に登板した[1]。しかし、シーズン中にヒト成長ホルモン(HGH)などの禁止薬物を購入した事が判明した[10]。8月5日に50試合の出場停止処分を受けた[11]。これが後のバイオジェネシス・スキャンダルと言われる事件である。
独立リーグ・武蔵時代
2015年4月7日に、日本の独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの武蔵ヒートベアーズへ入団[12]。7月13日に任意引退を理由に退団した[13]。
武蔵退団後
2016年と2017年は所属球団なく、ドミニカのウィンターリーグに参加。
2018年7月4日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約したが、8月14日にリリースされた[14]。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
- 2018年度シーズン終了時
記録
- MLB
- 初登板:2011年6月4日、対ボストン・レッドソックス戦(フェンウェイ・パーク)、8回裏に4番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏にジェド・ラウリーから空振り三振
- 初勝利:2011年8月7日、対タンパベイ・レイズ戦(トロピカーナ・フィールド)、9回裏に4番手で救援登板、1回無失点
- 初ホールド:2011年8月17日、対ボルチモア・オリオールズ戦(オー・ドットコー・コロシアム)、7回表に2番手で救援登板、1回1失点
独立リーグでの投手成績
背番号
- 60 (2011年 - 2012年)
- 42 (2015年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads