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ギジェルモ・モスコーソ

ベネズエラの野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから

ギジェルモ・モスコーソ
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ギジェルモ・アレハンドロ・モスコーソGuillermo Alejandro Moscoso, 1983年11月14日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身のプロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
視点

タイガース傘下時代

2003年に、アマチュアFAでデトロイト・タイガースと契約。

レンジャース時代

2008年12月にジェラルド・レアードとの交換で、マイナー1選手と共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[1]

2009年5月30日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。このシーズンは全てリリーフで10試合に登板したが勝敗は付かなかった。

2010年は、主にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレー。メジャーでの登板は1試合のみだった。オフには、ベネズエラウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル所属のレオネス・デル・カラカスでプレーし、10試合(先発8)に登板して3勝0敗、防御率2.66という成績だった[2][3]

アスレチックス時代

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オークランド・アスレチックス時代
(2011年6月7日)

2011年1月8日にライアン・ケリー英語版とのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した[2]。5月24日に故障者リスト入りしたタイソン・ロスと入れ替わる形でメジャーに昇格すると、その後は先発ローテの一角としてメジャーに定着した。9月7日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では、8回二死からサルバドール・ペレスに右前打を許すまで、ノーヒットノーランという好投を見せた[4]。23試合の登板で8勝10敗だった。

ロッキーズ時代

2012年1月16日にセス・スミスとのトレードでジョシュ・アウトマンと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[5]

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ロッキーズ時代

カブス傘下時代

2012年11月3日にウェーバーでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍した[6]

2013年3月13日に放出された[7]。3月27日にシカゴ・カブスと契約[8]

ジャイアンツ時代

2013年7月26日にトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍[9]。13試合に登板し2勝2敗。11月20日にDFAとなり、翌日の11月21日にFAとなった。

DeNA時代

2013年12月26日に横浜DeNAベイスターズが獲得したことが発表された[10]

2014年シーズンの開幕から先発ローテーションの一角に定着。ユリエスキ・グリエルの加入に伴う外国人枠の関係で一時は二軍落ちするも、トニ・ブランコの故障で再度一軍昇格。その後はローテーションを外れることなく、シーズン最終登板で規定投球回に到達。9勝を挙げ、2003年ドミンゴ・グスマンが記録したベイスターズの外国人投手シーズン最多勝記録(8勝)を更新した。10月7日に2015年シーズンも契約する事が発表された。[11]

2015年は前年と同じく先発として起用され、3・4月は4試合に投げて3勝1敗と活躍していた。しかし4月22日の対阪神タイガース戦で負傷緊急降板し[12]、それ以降は1勝もあげることができず成績不振に陥った。一時的にリリーフへ配置転換されたが、救援防御率16.20と活躍することはできなかった。

2016年には序盤不振が続くも、5月の読売ジャイアンツ戦で初完投勝利を収める。しかし、その後再び不振が続き、7月に二軍落ち。すると、9月17日に再び一軍登録され、阪神戦(甲子園)に先発。6回2失点で勝利投手となった。これが自身の日本での最後の勝利となった。また、チームは3位となり11年ぶりのAクラスを達成。球団史上初のクライマックスシリーズに進出し、巨人を相手に2勝1敗で1stステージを突破。ファイナルステージでは10月12日の対広島東洋カープ戦の初戦で先発し、7回途中まで2失点と粘るも、集中打を浴びノックアウトされる。これがNPBでの最後の登板となった。12月2日に自由契約公示された[13]

DeNA退団後

2017年は、第4回WBCにベネズエラ出身ながらもコロンビア代表として選出。3月10日の1次ラウンドプールCにおけるアメリカ合衆国戦で、2-2の同点の場面に9回一死からリリーフとして登板。延長10回二死まで追い込むも、2四球などで二・三塁とピンチを作り、アダム・ジョーンズに2ストライクから真ん中に入ったスライダーをサヨナラ中前打にされ、敗戦投手となった[14][15]。3月7日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルレオン・ブラボーズと契約。16試合に登板し7勝3敗、防御率3.89[3]。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加し、ティグレス・デ・アラグアに所属した。14試合に全て先発として登板。5勝2敗、防御率2.05[3]の好成績を残し、ベネズエラの年間最優秀投手賞を獲得した[16]

2018年2月7日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[17]。6月29日にFAとなった。7月3日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルレオン・ブラボーズに復帰。

2019年は当初メキシコシティ・レッドデビルズと契約したが、登板がないまま4月23日にレオン・ブラボーズに移籍した。7月2日にトレードでプエブラ・パロッツに移籍[18]。11月29日に再びトレードでレオン・ブラボーズに復帰[18]

2020年2月17日にレオン・ブラボーズを自由契約となった。この年は春から秋まではプレーせず、ベネズエラのウィンターリーグのみでプレーし、カリビアンシリーズにも出場した。

2021年も春から秋まではプレーせず、ベネズエラのウィンターリーグのみでプレー。12月20日にレオン・ブラボーズと契約[19]

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選手としての特徴

主な球種は、平均91マイル(約146.4km/h)の速球と、カーブチェンジアップ、スライダー[20]

フライボールピッチャーであり、2011年はゴロ率が26.8%だったのに対し、フライ率は55.5%に達した[20]。 なお、日本での最速球速は、150km/h[21]である。

人物

愛称は「ジーモ[22]

2016年4月に生まれた娘にはミドルネームに「サクラ」と付けた[23][24]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB
投手記録
打撃記録

背番号

  • 58 (2009年 - 2010年)
  • 52 (2011年)
  • 56 (2012年)
  • 34 (2013年)
  • 49 (2014年 - 2016年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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