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ジオ・ゴンザレス
キューバ系アメリカ人の野球選手 (1985 - ) ウィキペディアから
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ジオバニー・アラミス・ゴンザレス(Giovany Aramis "Gio" Gonzalez, 1985年9月19日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ハイアリア出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。愛称はダブルG[1]。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
モンシニョール・エドワード・ペース高等学校時代はクリス・マレーロとチームメイトだった。
プロ入りとホワイトソックス傘下時代
2004年のMLBドラフト1巡目追補(全体38位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名を受け、85万ドルの契約金で入団した[2]。
フィリーズ傘下時代
2005年にジム・トーミとのトレードで、アーロン・ローワンドらと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[3]。ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではフィリーズ傘下でコール・ハメルズに次ぐ評価を受けた。
ホワイトソックス傘下復帰
2006年12月、フレディ・ガルシアとのトレードで、ガビン・フロイドと共に再びホワイトソックスへ移籍した。
2007年にはマイナーリーグで150イニングを投げて185奪三振を記録した。
アスレチックス時代

(2011年6月6日)
2008年1月3日にニック・スウィッシャーとのトレードで、ライアン・スウィーニー、ファウティノ・デロスサントスと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した。8月5日にメジャー初昇格し、翌日メジャーデビューした。この年は10試合に登板し、1勝4敗を記録した。
2009年はスプリングトレーニングで傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツに戻された。5月3日、再びメジャーに呼び戻され、このシーズン6勝7敗を記録した。
2010年は1年間先発ローテーションを守り、33試合に先発登板し、15勝9敗、防御率3.23を記録した。
2011年も好成績を残した。この年は自身初めてオールスターに選出された。また、チーム最多の16勝を記録。オフにはトレード候補になり、争奪戦が繰り広げられた。
ナショナルズ時代

(2017年5月8日)
2011年12月22日にブラッド・ピーコック、トム・ミローン、デレク・ノリス、A.J.コールとの1対4のトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍することが発表された[4]。
2012年1月15日に5年総額4200万ドル(6年目の2017年は1200万ドルのオプション)でナショナルズと契約を延長した[5]。移籍1年目のシーズンは21勝でナショナルリーグ最多勝のタイトルを獲得する活躍を見せ、ナショナルズ躍進の原動力となった。サイ・ヤング賞の投票ではR・A・ディッキー、クレイトン・カーショウに次ぐ3位に入った。しかしオフにバイオジェネシス・スキャンダルが発覚し、薬物使用疑惑が浮上した。この問題については、ジオの父親が合法な痩せ薬を購入しただけである事がMLBの調査により判明し、ジオの疑惑は晴れて処分も受けなかった[6]。
2013年2月9日に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された[7]。シーズンでは4月は不調だったが、5月以降に調子を上げ始めると、投げた試合の約70%を自責点2以内で切り抜ける投球を披露した[6]。最終的には32試合全てで先発登板して11勝8敗、防御率3.36、192奪三振を記録した。
2014年は、5月の試合で炎上した後、肩痛で故障者リスト入りした[8]。復帰後の防御率は3.08[8]と好投したが、規定投球回には届かなかった。27試合に投げて防御率3.57、5年連続2桁勝利となる10勝(10敗)を記録した。
2015年は31試合に先発登板して2年ぶりに規定投球回に到達した。11勝を記録して連続2桁勝利の記録を6年に伸ばしたが、防御率は3年連続で悪化して3.79だった。
2016年も先発ローテーション通りに登板し、32試合に先発登板した。7年連続2桁勝利となる11勝を記録し、通算100勝も達成したが、防御率は4.57に悪化した。また、被本塁打19でもキャリアワーストを更新した。ポストシーズンでは、ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズに1試合先発登板したが、4.1イニングで4安打、3失点、1本塁打と打ち込まれた。
2017年は開幕から好調で、4月は5度の先発登板で3勝、防御率1.62の成績を記録する。前半戦をリーグ3位となる防御率2.86、投球回数、奪三振数でもリーグトップ10の位置につけたが、ナショナルズから他に先発投手のマックス・シャーザー、スティーブン・ストラスバーグが選出されていたこともあり、オールスターには選出されなかった。シーズン通算では6年ぶりとなる200イニングに到達して15勝9敗、防御率2.96と5年ぶりの15勝、防御率2点台を記録した。
2018年は再び調子を崩し、8月までに27試合の先発登板で7勝11敗、防御率4.57だった。
ブルワーズ時代
2018年8月31日にKJ・ハリソン、ギルバート・ラーラとのトレードで、金銭と共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[9]。移籍後は調子を取り戻し、5試合の先発登板で3勝0敗、防御率2.13、WHIP0.95を記録した。オフの10月29日にFAとなった[10]。
ヤンキース傘下時代
2019年3月20日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約(メジャー昇格すると300万ドル、さらに先発1試合につき30万ドルのインセンティブを受け取る。4月20日にオプトアウトの権利を持つ)を結んだ[11]。開幕後は傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースでプレーしていたが、4月22日に自由契約となった[10]。
ブルワーズ復帰
2019年4月27日にブルワーズとメジャー契約を結んだ[12]。5月10日にシーズン初勝利を挙げると、6月1日に故障者リスト入りするまで防御率3.19を記録。7月20日に復帰後は調子を落としたが、9月には10年ぶりのリリーフも含め防御率1.17を記録[13]。最終的に19試合(先発17試合)の登板で3勝2敗、防御率3.50、78奪三振を記録した。オフにFAとなった。
ホワイトソックス時代
2019年12月20日にホワイトソックスと1年総額500万ドル(2021年球団オプションあり)の契約を結んだ[14]。
2020年10月30日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[15]。
2021年3月4日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[16]が、25日に現役引退を表明した[17]。
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選手としての特徴
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝利:1回(2012年)
表彰
- ウォーレン・スパーン賞:1回(2012年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(2011年、2012年)
背番号
- 47(2008年 - 2020年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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