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フアン・モリーヨ
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フアン・バティスタ・モリーヨ(Juan Bautista Morillo, 1983年11月5日 - )は、ドミニカ共和国・ サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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経歴
2001年にコロラド・ロッキーズと契約。
2005年にはデトロイトのコメリカ・パークで行われたオールスター・フューチャーズゲームに出場した。
2009年4月17日にミネソタ・ツインズに移籍。11月19日、東北楽天ゴールデンイーグルス入団が発表された[1]。推定年俸5,000万円+出来高払いの1年契約。当初阪神タイガースも獲得に興味を示していた[2]が、11月9日にモリーヨがツインズの40人枠に登録され、獲得の代償として移籍金が必要となったことや、代理人を介さずツインズに直接申し入れていた楽天が交渉を有利に進めたこともあり、阪神は獲得を断念した。
2010年は、開幕直後に離脱した福盛和男に代わるクローザーとして期待されたが、制球難のため4月10日に二軍で調整することになった[3]。その後一軍に復帰するも右肘の炎症に悩まされ、9月には検査を受けるため帰国した。一軍では7試合の登板に終わったが、12月1日に球団から翌年の契約を継続することが発表された。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の後、家族を安心させるためという理由で帰国し、3月31日に再訪日の予定であったが結局戻らないまま[4]、震災によって精神的なダメージを受けたという理由で退団を球団側に申し入れた[5]。その後、4月14日に正式に退団が発表された[6]。プロスポーツ選手が東日本大震災の影響により所属チームから退団した例としては、サッカー・ベガルタ仙台のマルキーニョスに次ぐもので、プロ野球では初のケースであった[5]。
2012年3月25日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。

(2013年9月5日)
2013年は当初メキシカンリーグでプレーしていたが、7月より中華職業棒球大聯盟の義大ライノズに所属。登録名は強克[7][8]。
2014年2月11日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[9]。オフに自由契約となる。
2015年11月には第1回WBSCプレミア12にドミニカ共和国代表として出場。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
獲得タイトル・表彰・記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2005年)
- NPB
- 初登板:2010年3月27日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(クリネックススタジアム宮城)、9回表1死に6番手で救援登板・完了、2/3回無失点
- 初奪三振:同上、9回表にディー・ブラウンから空振り三振
背番号
- 52 (2006年、2008年、2013年)
- 51 (2007年)
- 31 (2009年)
- 50 (2010年 - 2011年)
登場曲
代表歴
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脚注
関連項目
外部リンク
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