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ボディーガード (競走馬)

日本の競走馬 (1991-1999) ウィキペディアから

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競走馬におけるボディーガードとは、

  1. 日本の、1991年生まれの競走馬。本項にて記述。
  2. 日本の、2010年生まれの競走馬。英文スペルが1とは異なる[1]
  3. イギリス生産の、1995年生まれの競走馬[2]

概要 ボディーガード, 欧字表記 ...

ボディーガード(欧字名:Bodyguard、1991年4月4日[3] - 1999年5月[4])とは日本競走馬。主な勝ち鞍に、1993年デイリー杯3歳ステークス1995年阪急杯

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経歴

  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[5]

1993年9月5日函館競馬場新馬戦でデビューし、大差勝ちで初勝利を挙げる[6]。続く函館3歳ステークスでは、新馬とクローバー賞を連勝したライネストウショウ[7]、のちの三冠ナリタブライアンに続く3番人気に支持されたが、4着[6][8]京都競馬場での黄菊賞も4着に終わったが、デイリー杯3歳ステークスでは8番人気ながら2着ケイアイメロディーに3馬身2分の1差つけ、かつナリタブライアンを3着に下し重賞初制覇を挙げる[6][9]。続く朝日杯3歳ステークスはナリタブライアンから1秒6離された7着に終わり、年が明けて1994年を迎えてすぐのシンザン記念ナムラコクオーの5着[6]。以降共同通信杯4歳ステークス9着、菜の花ステークス4着を経てクリスタルカップヒシアマゾンの10着となったあと体調を崩し、放牧に出される[6]1995年フェブラリーステークスで復帰し、以後コーラルステークスとダービー卿チャレンジトロフィーをともに5着、京王杯スプリングカップで10着、シルクロードステークス5着を経て出走の阪急杯で1分20秒0のレコードタイムで重賞2勝目を挙げた。しかし、再び長期休養に入り、1996年に2戦したのち浦和競馬場・稲葉道行厩舎に移籍したが、不出走のまま登録を抹消された。

競走馬引退後、埼玉県のブック牧場に引き取られ、引退名馬の助成制度を受けながら余生を過ごした[4]。1999年、突如発症した顔面神経痛に苦しめられ、次第に衰弱[4]。4か月近い闘病生活の末、同年5月に死去した[4]。9歳没。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[5]およびnetkeiba.com[10]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

ボディーガード血統(血統表の出典)[§ 1]
父系テスコボーイ系
[§ 2]

トウショウボーイ
1973 鹿毛
父の父
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
父の母
*ソシアルバターフライ
Social Butterfly
1957 鹿毛
Your Host Alibhai
Boudoir
Wisteria Easton
Blue Cyprus

ミスイエロー
1983 栗毛
*イエローゴッド
Yellow God
1967 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Sally Deans Fun Fair
Cora Deans
母の母
タマコダマ
1965 栗毛
コダマ *ブッフラー
シラオキ
ミスチェスター *ハロウェー
スズマサ
母系(F-No.) ソネラ(USA)系(FN:4-r) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4×4 = 12.50%、Hyperion 4×5 = 9.38% [§ 4]
出典
  1. JBISサーチ[11]
  2. netkeiba.com[12]
  3. JBISサーチ[11]
  4. JBISサーチ[11]、netkeiba.com[12]

*近親にカミノテシオ天皇賞(秋)[6]ニホンピローエース皐月賞[6]、クリールサイクロン(スプリングステークス新潟3歳ステークストーホウレーサー(ニュージーランドトロフィー)[12]

脚注

参考文献

外部リンク

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