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レニー・ランドル
アメリカの野球選手 (1949-2024) ウィキペディアから
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レオナルド・シェノフ・ランドル(Leonard Shenoff Randle, 1949年2月12日 - 2024年12月29日[1])は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス郡ロングビーチ出身のプロ野球選手(内野手・外野手)。右投両打。
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経歴
1970年6月のMLB二次ドラフト1巡目(全体10位)でワシントン・セネタース(現在のテキサス・レンジャーズ)から指名され、プロ入り。1971年に早くもメジャーデビュー。1974年からはレギュラーとなり打率.302をマークするが、1977年のスプリングトレーニング中にフランク・ルケーシー監督を殴って負傷させ、30日間の出場停止処分を受けた後にニューヨーク・メッツへトレードされる[2]。移籍1年目のこの年はともにキャリアハイとなる打率.304・33盗塁をマーク。
その後、ニューヨーク・ヤンキース(1979年)、シカゴ・カブス(1980年)を経て1981年にシアトル・マリナーズへ移籍。同年5月27日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦、この時三塁を守っていたランドルはエイモス・オーティスが放ったボテボテの三塁ゴロになった打球を見て、四つん這いになって息を吹きかけた。球審に注意されたランドルは「息をかけたんじゃない。ファウルになれとおまじないを唱えただけだ」と釈明する。球審は一旦ファウルを宣告するが、ロイヤルズ監督のジム・フライの抗議を受けて判定を覆した[3]。翌1982年がメジャーでの最後のシーズンとなった。
メジャーから退いた後はイタリアの野球トップリーグ・セリエAでプレー。1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手として参加。そのため、スト破りを行った報復措置としてメジャー昇格後も選手会への加入を認められなかった。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 2(1971年 - 1972年)
- 21(1973年、1980年)
- 7(1974年 - 1975年途中、1976年)
- 33(1975年途中 - 同年終了)
- 11(1977年 - 1978年)
- 34(1979年)
- 1(1981年 - 1982年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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