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一関市立中里中学校

岩手県一関市にあった中学校 ウィキペディアから

一関市立中里中学校
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一関市立中里中学校(いちのせきしりつ なかさとちゅうがっこう)は、岩手県一関市中里にあった公立中学校2015年3月を以って一関市立磐井中学校への統合に伴い、閉校した[1][2]

概要 一関市立中里中学校, 過去の名称 ...

概要・歴史

第二次世界大戦後の1947年4月、学制改革により中里村立中里中学校として開校した[2]。翌年には市制施行により一関市立中里中学校へ改称され、閉校時までこの校名が使われた[3]。開校当初は他の学校と校舎を併用していたが、1953年に大平山にて普通教室12室を含む計23室を構える独立校舎を落成し、移転した[3]。講堂(体育館)やその他教室は翌年以降に増設された[3]。学区は一関市の市街地が含まれていたが、本校は一関市立中里小学校脇から入った山の中腹に立地している関係上、周囲一帯は森林に囲まれていた。1958年には学校林が設置され、1967年に環境緑化実験校に指定されてからは数々の緑化コンクールなどで受賞を果たしている[3]

その他にも多方面から表彰されており、1989年読売全国小中学校作文では「全国特選表彰」、1990年小さな親切では「全国表彰」、1992年にはPTAの活動が認められ「文部大臣表彰」を受賞している[3]

1950年代から1960年代にかけて落成した2階建ての校舎や講堂(体育館)といった施設は、幾度の改修されながら閉校時まで50年近く利用され、2021年時点で設置されている一関市内の小中学校の各施設と比較しても最古の部類に値する[3][4]

生徒数は、記録が残る2000年度以降は増減を繰り返していたものの、2006年度の125人をピークに一関市の中心市街地からほど近い場所に位置していながらも、減少傾向が続いていた[注釈 1]。一方で本校から約500メートルほど南に位置していた一関市立山目中学校(一関市山目字館)は、市内最多となる450人以上の生徒数が在籍しており各学年4学級以上を有する大規模校かつ、ほぼ横ばいの生徒数で推移していた[5][6][7][8]2012年頃には所在地を「一関市中里字太平山4[9]」から「一関市蘭梅町104-1[10]」へ変更されているのが確認できるが、移転などは行わなれなかった。

統合

最終年度の2014年度は78人(1年生23人、2年生35人、3年生20人[11])で、全学年が1学級となっていた当校は2015年3月22日に閉校式が挙行された[1]。30年以上継承され続けてきた郷土芸能の「鶏舞」を披露したり、閉校記念碑の除幕式が執り行われた[1]

同年3月31日付で閉校した。延べ5,926人の生徒を送り出し、68年間の歴史に幕を閉じた。4月7日には新設の一関市立磐井中学校が山目中学校跡地に開校した[1]。閉校から5年以上経った2023年時点でも校舎をはじめとした各施設は残存しており、校舎に至っては落成してから70年が経過した。

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沿革

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学校目標

教育目標

心豊かで、創造力に富み、心身共にたくましい生徒の育成をめざす
  • 自ら求めて学ぶ意欲的な生徒(知)
  • 明るく思いやりのある生徒(徳)
  • 気力をもって体力づくりに励む生徒(体)

出典[3]

部活動

運動部

  • 野球部
  • サッカー部
  • バレーボール部
  • バスケットボール部
  • テニス部

出典[3]

文化部

  • 総合文化部

付属施設

主な施設のみ掲載。

  • 体育館(3,498 m2[3])- 校舎と接続
  • 校庭
  • テニスコート

生徒・学級数

2000年度以降は毎年度、生徒数と学級数を掲載。

さらに見る 年度, 生徒数 ...
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学区

  • 一関市
    • 東五代、蘭梅町、新町、川辺、石畑、上日照、上坊、町浦
  • 一関市山目
    • 山目一丁目 - 三丁目
  • 一関市中里
    • 字沢田、字在家、字南白幡、字神明、字照井、字舟場
    • 字大平山(一部)

出典[23]

進学前小学校

  • 一関市立中里小学校(一関市蘭梅町)

出典[23]

アクセス

蘭梅山の中腹に位置していた。

鉄道

自動車

周辺

  • 一関市立中里小学校
  • 配志和神社
  • 山目町郵便局

脚注

関連項目

外部リンク

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