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三冠 (野球)
野球用語 ウィキペディアから
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野球における三冠(さんかん、英語:Triple Crown)とは、打者の場合、日本プロ野球(NPB)およびメジャーリーグベースボール(MLB)において1シーズンに1人の打者が首位打者(打率トップ)・本塁打王・打点王の3つのタイトルを獲得することである[1][2]。打者の選手が三冠を達成した場合は「三冠王」と呼びNPB、MLBともに表彰される[1]。
投手の場合、MLBでは1シーズンに1人の投手が最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振の3つのタイトルを獲得すること[3]と定義されているが、日本プロ野球では定義されていない。日本では、1リーグ時代から最高勝率が連盟表彰とされてきた(他方で最多奪三振が表彰の対象となったのは平成以降)ことから、2000年代前半までは投手三冠といえば最多勝利・最優秀防御率・最高勝率を指すことが一般的であった[4][5][6][注釈 1]。打者の三冠とは違い投手の三冠はNPBでは表彰の対象ではない。
一般的に「三冠王」とのみ表記される場合は打者の三冠王のことを指し、投手が三冠を達成した場合は「投手三冠王」と区別して呼んでいる。
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概要
日本プロ野球においては、中島治康が1938年秋のシーズンで打撃3タイトルを独占した当時は、「打撃3部門の全てで1位となった」ことへの認識が薄く、話題にはならなかった[7]。後に1953年から1958年にかけて、西鉄ライオンズの中西太が、4度にわたって打撃3タイトルの独占を僅差(1打点差や打率数厘差)で逃すという出来事があった[7]。この時期の中西を巡る報道の中で、打撃3タイトルの独占が「トリプルクラウン」として取り上げられるようになり、「トリプル冠」「三重勝」といった表現の試行を経て、1958年頃から「三冠王」という訳語がマスコミで定着した[7]。1965年に野村克也が打撃3タイトルを独占した際には、「三冠王」として大きく報道されている[7]。
この事実を紹介した日本経済新聞の記事では、先に存在していた競馬の「三冠馬」という言葉の影響を受けた可能性が強いとも指摘している[7]。
NPBおよびMLBにおける公式の定義以外でも、メディアなどでは野球におけるその他のタイトルやリーグトップの複数の記録の獲得、あるいは野球以外の競技における複数の最高記録の獲得を「○冠」と呼ぶ場合がある。
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NPB
要約
視点
打者部門
2024年シーズン終了時点で12例(8人)の三冠王が誕生している。史上初の三冠王は1938年秋の中島治康である。複数回達成しているのは王貞治(2度)、ランディ・バース(2度)、落合博満(3度)[9]。
1938年秋に中島治康、1973年に王貞治、1982年に落合博満、1985年にランディ・バース、2004年に松中信彦が、首位打者・本塁打王・打点王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王になっている。また1995年にイチローが首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王になっている[注釈 9]。
投手部門
「*」は当時連盟表彰対象外の項目
2024年シーズン終了時点で投手三冠王は24例(21人)。史上初の投手三冠王は沢村栄治である。外国人史上初はヴィクトル・スタルヒン。複数回達成しているのは稲尾和久(2度)と山本由伸(3度、連年達成)。 沢村賞とのWタイトルになることが多く、沢村賞制定(1947年)以降に対象リーグ(1950 - 1988年はセ・リーグのみ、1989年以降は両リーグ対象)の投手三冠は15例あるが、うち13例で沢村賞を獲得している(1981年江川卓・2020年千賀滉大のみ不選出)。
他方、MVPとの親和性は打者三冠王よりも低く、投手三冠を達成したケースでMVPに選出された事例は、全体の半分に満たない(全体で24例中、MVP10例[注釈 18])。
球団別では、巨人7回、南海(現在のソフトバンク)4回、中日3回、西鉄(現在の西武)2回、近鉄2回、オリックス3回、国鉄(現在のヤクルト)1回、日本ハム1回、広島1回。
投手○冠
投手○冠という場合の項目はマスコミ等でも統一されていないため、最高勝率タイトルを含めて4冠と呼ぶことがある。さらに、元記録員としてたびたび個人記録に介入した宇佐美徹也は、この4冠に「球威を現すバロメーター」という理由で[10]最多完封を加えて投手5冠王とすることで、打者の三冠王に「匹敵する五冠王と呼んだらどうだろう」と提唱した(ただし、なぜ完封が「球威を現すバロメーター」なのかに関する説明はない)[11]。このように、投手5冠とは宇佐美が自説として創作した称号であるが、近年は宇佐美に合わせてこの5項目を投手5冠とする報道がある[12]。
2023年シーズン終了時点で投手5冠王達成者は1937年春の沢村栄治(巨人)、1938年秋のスタルヒン(巨人)、1943年の藤本英雄(巨人)、1954年の杉下茂(中日)、1959年の杉浦忠(南海)、1981年の江川卓(巨人)、2006年の斉藤和巳(ソフトバンク)、2021年・2022年の山本由伸(オリックス)の8人(9回)。斉藤和巳以外は所属チームがいずれもリーグ優勝を果たしている[13]。こちらはMVPとの親和性が高く、リーグ優勝を果たした7人のうちスタルヒン、藤本英雄を除く5人がMVPを受賞している[注釈 19](2006年の斉藤和巳もMVP投票において1位票を最も多く獲得していた[14])。
その他
- 同シーズンに打者部門・投手部門の両方で三冠王の達成者が出たのは、1938年秋・1985年・2022年の3回である。
- 1938年秋は、三冠王が投打両部門ともに東京巨人軍の選手であった為、三冠王同士の直接対決はしていない。
- 1985年は、打者三冠王がランディ・バース(阪神)と落合博満(ロッテ)であり、投手三冠王は小松辰雄(中日)であったが、バースと小松はセ・リーグ在籍であったため両者はそのシーズン中に直接対決をしている[注釈 20]。ただし三冠王が決定するのはシーズン終了後なので、三冠王同士としての直接対決という形ではない。
- 2022年は打者三冠王がセ・リーグの村上宗隆(ヤクルト)、投手三冠王がパ・リーグの山本由伸(オリックス)であり[注釈 21]、2022年10月22日の日本シリーズ第1戦において史上初の三冠王同士としての直接対決が実現した[注釈 22]。
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MLB
要約
視点
パンチョ伊東のエッセイによると、打点がリーグの記録として公表されるようになったのは1907年からであり[注釈 23]、当時は打点の定義がリーグによって微妙に違いがあったため、それを統一して公式記録となったのは1920年からであるという[注釈 24]。さらに当時の本塁打の多くは「ランニング本塁打」であったので、ほとんど注目されておらず、本塁打は三塁打の延長程度に考えられていた[注釈 25]。従って、1910年代までの打撃の「三冠王」とは、打率・安打数・得点数の部門を制した選手を指していた[注釈 26][注釈 27]。
打者部門
打撃6部門制覇は1909年にタイ・カッブが記録している。監督兼任での達成は1925年のロジャース・ホーンスビーが記録している。
年齢は達成年度の年齢。リーグのNLはナショナルリーグ、AAはアメリカン・アソシエーション、ALはアメリカンリーグ。不明は記録不明。()はランニング本塁打の本数(判明している数のみ。走本0本の場合は未記載)、走本はランニング本塁打の意。守備位置は達成年に最も守ったポジション。外野手は右翼手など詳細が判明している場合は記載。盗塁の太字はリーグトップ。
参考記録 フレッド・ダンラップ 打率.412 本塁打13 打点不明
1884年にユニオン・アソシエーションでの記録。安打数 (185)、得点 (160)、本塁打 (13)、打率 (.412)、出塁率 (.448)、長打率 (.621)はいずれもリーグトップ。ユニオン・アソシエーションにおける個人の打点数は現在も判明していないが、他の部門の成績から見て、この年のユニオン・アソシエーションの「三冠王」になっていたと思われる。
投手部門
投手5部門制覇は1884年にチャールズ・ラドボーン、1930年にレフティ・グローブが記録している。
両リーグからの達成はUA、AA、NLなどの3リーグ以上ある場合の2リーグから誕生も含む。セーブの太字はリーグトップ。
また、メジャーリーグベースボールの三冠王一覧も参照
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KBO
打者部門
投手部門
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CPBL
打者部門
林立は2022年に首位打者、打点王のタイトルを獲得、また本塁打数もリーグトップタイであったが、規定により本塁打王とは認められず、三冠王は惜しくも逃している。[注釈 28]
投手部門
脚注
参考文献
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