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三輪隆
日本の元プロ野球選手、コーチ ウィキペディアから
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三輪 隆(みわ たかし、1969年12月1日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、コーチ。
2004年のプロ野球再編問題では、オリックス・ブルーウェーブ最後の選手会長として労使交渉に疾走した[1]。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
関東一高では、控え捕手として1986年春の第58回選抜大会に出場するが、1回戦で中村良二らのいた天理高に敗退[2]。 翌1987年春の第59回選抜大会に正捕手として連続出場。エース平子浩之(東洋大-日本通運)の好投もあって勝ち進み、準決勝で池田高を降し決勝に進出。立浪和義が主将として率いるPL学園と対戦するが、野村弘、橋本清の継投に抑えられ大敗、準優勝にとどまる[2]。この大会では四番打者として2本塁打を放った。 同年夏の東東京大会では準々決勝で修徳高に敗退。1年下のチームメートに二塁手の鈴木浩文がいた。
明治大学に進学。東京六大学リーグでは優勝に届かなかったが、リーグ通算70試合出場、254打数75安打、打率.295、7本塁打、41打点を記録、ベストナインに3回選出された。日米大学野球選手権大会日本代表2回、1991年インターコンチネンタルカップ日本代表。
卒業後は神戸製鋼に進む。1992年バルセロナオリンピックの野球競技・日本代表に選出され、後に同僚となる大島公一らと共に銅メダルを獲得。この結果を称え千葉県知事賞を受賞した。同年から2年連続で都市対抗に出場、1993年のインターコンチネンタルカップ日本代表にも選出される。 社会人屈指の捕手として、1993年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから2位指名を受けプロ入りを果たした。
プロ入り後
入団当初は高田誠・中嶋聡の控えに回るが、ヤクルトスワローズとの1995年の日本シリーズ第4戦(明治神宮野球場)、読売ジャイアンツとの1996年の日本シリーズ第4戦(本拠地・グリーンスタジアム神戸)では仰木彬監督からの指名で先発マスクを被る。
1997年には正捕手の座を獲得し73試合に先発出場する。
1998年のプロ野球脱税事件で懲役1年、執行猶予3年、罰金500万円の有罪判決を受け、開幕から1ヶ月以上の出場停止処分を科された。同年からは日高剛と併用され、2000年以降は段々と出場機会が減る。
2003年にはオールスターゲームに出場を果たす。これが現役中唯一のオールスターゲーム出場であった。同年は自身最多の8本塁打を放つなど打撃面で好成績を残し、規定打席未満ながら打率3割をマークした。同年7月28日のダイエー17回戦(福岡ドーム)では、26日、27日の同カード2日間に先発し22失点した日高に代わり先発スタメンを任されたが、1回裏に11失点するなど6回まで26失点して記録的大敗を喫してしまった。
現役引退後
その後はオリックス・バファローズでコーチ業をスタート。2005年から2006年まで一軍バッテリーコーチ、2007年から2008年まで二軍バッテリーコーチ。2009年からは再び一軍バッテリーコーチを務めていたが、2010年4月8日に投手陣の不振の責任を取らされる形で二軍バッテリーコーチに降格となり[3]、同年自身の希望により退団[4]。
2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルス一軍バッテリーコーチに就任し、他球団のユニフォームに初めて袖を通す。
2014年10月14日にコーチ契約を更新しないことが球団から発表された[5]が、翌2015年には、球団に在籍したままアマ・スカウト(関西地区担当スカウト)を務めた[6]。
2015年10月13日付で楽天を退団[7]。同月15日に、オリックスの一軍バッテリーコーチに復帰した[8]。
2016年4月28日に二軍育成コーチに異動となった。9月26日に第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表コーチを務めることが発表された[9]。
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人物
神戸製鋼時代は総務部に所属しており、野球中心の生活であったが、会社ではプロジェクトに関わったり、イベントの会議にも参加していた[11]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
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表彰
- 千葉県知事賞(1992年):バルセロナ五輪野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて
記録
- 初出場:1994年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表にタイ・ゲイニーの代打で出場
- 初先発出場:1995年4月13日、対近鉄バファローズ3回戦(藤井寺球場)、8番・捕手として先発出場
- 初安打:同上、4回表に池上誠一から
- 初本塁打・初打点:同上、8回表に清川栄治から左越ソロ
- オールスターゲーム出場:1回(2003年)
背番号
- 39 (1994年 - 1998年)
- 2 (1999年 - 2004年)
- 82 (2005年 - 2010年)
- 70 (2011年 - 2014年、2016年 - 2020年)
代表歴
- 1991 IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表
- 1992年バルセロナオリンピックの野球競技・日本代表
- 1993 IBAFインターコンチネンタルカップ 日本代表
コーチ歴
脚注
関連項目
外部リンク
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